2005年3月20日のことだそうだ。
夫婦の念願だった子供を授かった佐野さんは、幸せな日々を送っていた。
現在、九大学研都市などができて栄えてきてからは人気の移住地となっているが、当時まだそれほど賑わってもいない頃に、佐野さん夫婦は夫の転勤のため、糸島のとあるマンションの1室に移り住んだ。
最初は、慣れない地でうまくやっていけるか不安もあったそうだが、のどかな空気の流れがすぐに気に入り、せっかく自然豊かな場所に引っ越してきたんだからという理由で、家庭菜園なども行っていたそうだ。
その日、佐野さんは旦那さんを送り出すと、ある程度の家事を終えて休憩に入った。布団に寝転がり、生後8か月になる愛娘の雪ちゃんをあやしながら自分もウトウトとしはじめる。
日ごろの疲れもあって、いつの間にか意識が飛んでいたのだが、途中で自分を呼ぶ声で目が覚めた。
「まさこ、まさこ」
どこかで聞いたことのある声だ。不思議と恐怖は感じなかった。ゆっくりと目を開けると、部屋の中に1人の老婆が立っている。
「えっ、イトおばあちゃん?」
そこに立っていたのは、3か月前に亡くなったはずのイトおばあちゃんだった。佐野さんの両親は共働きだったため、一緒に住んでいたイトおばあちゃんが良く面倒を見てくれていて、そんなおばあちゃんのことが大好きだった。
雪ちゃんが生まれてからも、引っ越してくる前は、イトおばあちゃんが手作りの布パンツをいつも換えてくれていて、大変なかわいがりようだった。そして、3か月前に実家で眠るようにして息を引き取ったイトおばあちゃんだったのだが、なぜか今目の前に立っている。
「おばあちゃん会いに来てくれたと?」
あまりの嬉しさに涙が溢れ出した。
イトおばあちゃんはニコニコと笑いながら、足元に寝っ転がっている雪ちゃんを抱っこした。どうやら、寝てしまっているうちに雪ちゃんはハイハイで移動していたようで、気づいたときにはテレビ台の下だった。
「雪を頼むね」
そう言うと、イトおばあちゃんは佐野さんの方にゆっくりと近づき、雪ちゃんを優しく手渡した。
ガッタンガッタンガッタン!
イトおばあちゃんが消えると同時に、突き上げるような激しい揺れが起こった。
マグニチュード7.0、最大震度6弱の、福岡市付近では有史以来最大規模の西方沖地震だ。その揺れの影響で、先ほどまで雪ちゃんがいた場所にはテレビが転げ落ちていた。
佐野さんは雪ちゃんを強く抱きしめると、泣き続けた。そして、自分の胸の中でポカンと口を開けている愛娘を見つめ、呟いたそうだ。
「おばあちゃんありがとう」