野球ごっこ(岩手県盛岡市) | コワイハナシ47

野球ごっこ(岩手県盛岡市)

当時のYにとって、野球ごっこはもっとも熱中していた遊びだった。

野球ごっことはその名の通り、野球の真似事だ。例えば本当の野球がしたかったとして、そもそも十八人も集まらないし、九人集まったことがあったかも怪しい。だから集まった三、四人の友人と、キャッチボールをしたり試合もどきをして遊んでいた。それらすべてを指して野球ごっこと呼んでいたのだ。

ごっことはいえ、一塁に走者がいる体で試合を行うなど、子供ながらに知恵を出し合って遊んでいた。なかなか白熱したごっこ遊びで、ある日を境にぱったりやめてしまうまでは、毎日友達と明け暮れていたという。

その空き地には、ある民家が隣接していた。

「あっ!」

Yが声を上げたときには遅かった。友達が暴投したボールはYのグローブのはるか上を飛び、空き地の塀すら飛び越えて、隣の民家の敷地へと入ってしまった。

何かに当たっていたり割れるような音はしなかったが、人の敷地にボールが入るなんて褒められたことではない。Yと友人たちは顔を見合わせ、結局全員でその民家に向かうことにした。

玄関に回り込み、大声を上げる。

「すみませーん! ボールが入ってしまったので取らせてください!」

少年特有の高い声がわんと響く。

少しして、じゃりじゃりと土を踏む音をたてながら人が出てきた。玄関からではなく、庭がある方から静かに歩いてきた。

現れたのはつっかけを引っ掛けた老人だ。Yの見立てによれば八十歳程度、緩めのポロシャツとズボンを身に着けており、今まさに縁側で和んでいたかのような雰囲気がある。

老人は少年たちの姿を見ると少し驚き、にっこりと優しく笑った。

「ボールなら縁側にあるよ。取って行きなさい」

こちらだから、と老人は来た方へ引き返す。背中は曲がっており、足は遅いが、老人にしてはしっかりと歩けていた。

「ありがとうございます!」

叱られるものだと思って沈んでいた少年たちは、途端に元気になって老人に続く。

ついていくと、確かに縁側があった。日の差す暖かい雰囲気の場所だ。縁側にはお茶とお煎餅が出してあり、老人が日向ぼっこでもしていたのかもしれない。

そのすぐ近く、縁側に再び腰掛けた老人の足元にボールが転がっていた。

「あった!」

「もう、お前のせいだぞ」

「お前だって取れなかったじゃん」

そう言い合う少年たちを、老人はあくまでにこにこと見守っている。

少年たちは揃って頭を下げ、老人にお礼を言うと、ボールを持って再び空き地に戻っていった。

Yがひっきりなしに老人の家を振り返るのに気づいて、友人の一人が不思議そうに声をかけた。

「なんかあった?」

「あのさ、変じゃなかった?」

「何が?」

「あの家、なんで全部雨戸が閉まってたんだろ。こんなにいい天気なのに」

そんなことがたびたび起きた。

そもそも空き地の塀は低くて、少しでも投げ方が悪かったりバットの当て方が悪かったりすると、すぐに隣の民家に飛んでいってしまう。とはいえ、そちらの老人が優しいことは知っているので、見知らぬ人の家に飛ばすよりは、と少年たちも野球ごっこのベースの位置を変えようとはしなかった。

ボールを取りに行くたび、老人は優しく迎えてくれた。いつも縁側にお茶とお菓子を出して、足元に落ちているボールを指さしてくれた。

「君たち、羊羹は好きかな」

ある時ボールを取りに行った時、そんな風に声をかけられた。

いつも走り回っていて、いつでもお腹はペコペコだ。老人が出してくれた小さな包みの羊羹に誰もが喜んだ。

「お茶もあるけど、どうかな?」

と奥に引っ込み、人数分の湯呑を出してくれる。少年たちはありがとうございます! と大きな声で頭を下げたあと、行儀悪くも縁側で立ったまま、笑いながら羊羹を食べてお茶を飲んだ。老人は縁側に腰掛けながら、それをニコニコと見守っていた。

「おやつに付き合ってくれてありがとう。老人の一人飯は寂しくてね。遅くならないように帰るんだよ」

少年たちが帰る時、老人は軽く肩を叩いてくれた。Yも本当のおじいちゃんのような態度が嬉しくて、けれど老人特有のひんやりした手が少し意外だった。だからいつも日向ぼっこしているのだろうな、と思った。

そんなやりとりをする日があっても、やはり縁側を除いたすべての戸は締め切られていた。事情を知らなければ、まるで誰も住んでいないかのように感じるかもしれなかった。

老人と出会って一週間ほど経ったある日。

その日も友達が暴投して、ボールは隣の民家に飛び込んでいった。いつもと違ったのは、途端にガラスの割れる酷い音が響いたことだ。

げっ、と少年たちが顔を見合わせる。

「お……怒られるよ。絶対怒られるって」

「でも謝らないと」

すでに老人と親しくなっていて、叱られる恐怖よりも優しい人を怒らせてしまったかもしれないという罪悪感が先立った。だが犯人が誰かなんて老人には分かりきっているはずで、自分たちだって、あれが唯一のボールなのだ。あれが無ければ野球ごっこを続けられない。

全員で慌てて民家の方へ走った。

「ごめんなさい!」

と、いつもどおり声を上げ、いつもどおり縁側に走る。

縁側の様子はいつもとは違っていた。老人が居るはずなのに、今日に限って縁側の雨戸がピタリと閉ざされている。さらに運の悪いことに、その横の勝手口の窓が割れていた。きっと向こうにボールが落ちているのだろう。

「やっちゃったな……」

「入ったら怒られるかなぁ」

「おれたちだってもうバレてるって、いまさらだよ」

言い合って、でも誰もが一番に開けたくなくて、結局じゃんけんをしてYが開けることになった。

Yは渋々ながら勝手口のドアノブに手をかける。

「すみませーん……」

しょんぼりした声で、うっすらと扉を開けた。

途端、嗅いだこともないような臭いが鼻を突く。

Yが咄嗟に連想したのは夏のゴミ捨て場だ。けれどあれより遥かに強烈で、例えようもない強烈な臭いが中から漂ってくる。うえっ、と、一人の友人が鼻と口を抑えた。

――一体何の臭いだろう?

未知のものに背中がひやりとしたが、ボールが無ければ遊べない。子ども特有の欲求が、違和感を跳ね除けて扉を開けさせた。臭いはあまりに濃く、鼻がもげそうだった。

Yはガラスに気をつけながら、そっと中を伺う。たたきからできるだけ身体を伸ばして様子を見た。

そこは台所を兼ねた食卓になっていた。異様に暗いのは、今Yが開けた勝手口と雨戸のない細窓からさす日光しか光源がないからだ。

暗くとも様子はなんとか伺えた。食卓には料理の乗った皿が並んでいる。

そしてそのテーブルのすぐ傍らに、誰かが倒れている。そこにちょうど光が差し込んで、うっすらとその人の姿が浮かび上がっているようだった。

Yも時々ふざけてやる態度だ。そのたびに行儀が悪いと母に叱られた。だからYは、その不思議な姿勢にあまり疑問を抱かず、声をかけようとした。が、声が出ない。

声が出なかったのは、その人が例の老人だと気づいたからだ。

そしてうるさくたかる蝿が、食卓だけでなく老人にも纏わりついていると分かったから。

Yは自分がどうして夏のゴミ捨て場を連想したのか気づく。それは、生ゴミが腐ったときの臭いに似ていた。それより強烈なのは、生ゴミだけでなく肉すら腐って置かれていたからだ。

老人はすでに死んでいた。小学生でも分かる状況だった。

誰か一人が悲鳴を上げたのをきっかけに、Yたちは弾かれるように民家から逃げ出した。各々が自宅に転がりこんで、泣きながら喚きながら母親に見たものを訴えた。

とたんに通報が行われ、日頃穏やかな町内にパトカーのサイレンの音が満ちる。Yたちは第一発見者となったが、小学生であったし、現場には確かにボールも転がっていたため、軽く事情を聞かれただけで解放された。

ボールはいつもどおり、老人の足元に転がっていたという。

数日後、警察が母親に事情を説明しているのをこっそり盗み聞きした。あの民家は老人の一人暮らしで、どうやら一週間ほど前に心臓発作で亡くなっていたとのことだ。

一週間ほど前に。

Yは老人から受け取って食べた羊羹の味と、少し温かったお茶の温度と、肩を叩いてくれた老人の手を思い出した。ちょうど三日前の記憶だ。

老人は一週間前に亡くなっていた。それは間違いなく、Yたちが初めてボールを投げ込んだ日のことだった。

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