三角点展望台(岩手県胆沢郡金ケ崎町) | コワイハナシ47

三角点展望台(岩手県胆沢郡金ケ崎町)

春も終わり、そろそろ梅雨かという肌寒い時期のことだった。

三角点展望台は標高三百メートルの高台だ。展望台というだけあって、そこに至るには緩やかな道がそこそこ長く続き、運転免許を取得した記念に行くにはちょうどいい道程でもあった。

その日、Rが助手席に乗せたのは当時の恋人だ。免許を取ったら初めて乗せるのは彼女だと心に決めており、彼女もRが買った中古車を可愛らしいと褒めてくれた。彼女は運転免許を持っていないので、二人にとってこれが初めてのドライブデートだ。

Rが展望台で車を停めた時、他の人の姿はなかった。

車から降りた途端、ひんやりとした空気がむき出しの腕を撫でる。気のせいか吐く息も白い。

「ここ、こんなに寒かったっけ?」

助手席から降りた彼女も、そう言いながら両手で身体をさすっている。慌てて車内に置いていたカーディガンを掴み、彼女に羽織らせた。

「標高が高いからかな。思ったより寒いね」

「梅雨が近いせいもあるのかもね」

彼女と隣り合いながら、他愛ない言葉を交わす。

車から降りたとはいえ、周囲を見渡しても他に目につくものはなかった。せいぜい自販機と公衆トイレくらいのものだ。曲がりなりにも展望台なので、眼下にはのどかな牧場が広がっている。その光景は確かにいいロケーションだが、ただそれだけ。二十代前半のカップルにとっては物足りないのが正直なところだ。

「俺、ちょっとトイレ行ってくる」

そう言って少し彼女のもとから離れる。公衆トイレで用を足しながら、初のドライブデートにしては場所選びに失敗したかも知れない、とRはこっそりため息をついた。

手を洗ってトイレから出ると、彼女はつまらなさそうに牧場を眺めていた。

二人で高台をぐるりと見て回る。とは言え、何もないのは見渡せば分かるし、ゴミも落ちていなければ野良猫一匹いない。会話しながら十分程度時間を稼ぐのが限界だった。

「お腹空いたし、別のところ行かない?」

彼女がそう言って笑う。気落ちしたRを気遣ってくれたのが伝わってきて、少し胸が温かくなった。

車に戻り、彼女が助手席側に回る。Rも運転席に乗ろうと自動車のドアを開けたところで、両足に何かがぶつかった。

──何が?

十分時間をかけて見て回った。この高台に何もないのは分かりきっている。じゃあ今更、何が足に当たるというのだ。

Rは反射的に自分の足元を見ていた。そこに〝それ〟がある意味が分からなくて、最初は白っぽいなにかとしか認識できなかった。

ぎしりと骨が軋みそうに締め付けられる感覚。それは間違いなく、その白っぽいなにかのせいだ。

車の下から生えた青白い手が、Rの両足首を掴んで締めていた。

「──うわ」

思わず悲鳴を上げる。咄嗟に身を屈め、足首を掴むそれを手で払おうとする。

すると、今度はそれも掴まれた。

──三本目の手が車の下から現れたのだ。

「掴まれた! 足!」

思わず叫ぶと、すでに助手席に乗り込んでいた彼女が驚いた顔をする。

逃げなければ。とにかくその思いだけがRを急かし、強く背中を押した。

なんとか足を持ち上げ、自分を掴む手を振りほどいて踏みつける。手もよじって無理やり抜け出し、勢いよく運転席に乗り込んだ。バン、とドアを閉めた時、あの手が一瞬挟まれる錯覚が見えた。

まだ慣れない手付きでエンジンをかけ、アクセルを踏み込む。シートベルトもそこそこに、慌てて高台から走り去った。

「だ……、大丈夫?」

彼女が不安げに声をかける。Rの勘違いだと切り捨てなかったのは、彼の様子が明らかにおかしかったのと、彼の手に確かに濃い痣が残っているためだ。

彼女は気遣うようにRの顔を見たが、そこでまた異変に気づいた。Rの顔は真っ青で、唇もわずかに震えている。それは過ぎ去った恐怖にとらわれているというよりも、今現在何かに迫られているようだった。

「どうしたの?」

慌てて声をかける。Rは狼狽するように喘いだあと、か細い声を絞り出した。

「俺──今アクセルを踏んでる?」

言われた意味が分からなくて、彼女は思わずRの足元を見る。そもそも車は軽快に走っているし、運転席に座っているのは彼なのだ。彼以外の誰もアクセルペダルを踏むことなどできない。

困惑していると、さらにRが戦慄わなないた。

「なぁ俺、ハンドル掴んでる? 掴んでるのかな?」

「どうしたの? 大丈夫?」

「感覚がない」

Rが呆然と声を吐き出す。

「掴まれた先の感覚がない。足も手も」

彼女の背中に冷たいものが走る。車は少しずつ加速していて、ということは、Rはアクセルを踏み続けているということだ。

だが、その感覚がないということは──自分たちが乗っているこの車を、誰も制御していないのに等しい。

短い悲鳴を押し殺し、彼女はなんとかRに声を掛ける。

「目線は動かせる? 大丈夫?」

「うん、うん」

「じゃあさ、目で見ながらさ、ゆっくりブレーキ踏んでみよ。他の車もいないから大丈夫だって」

「うん、うん」

Rは恐慌気味に、必死で頷きながら、道路が直線に差し掛かったところでしっかりと足先を見つめる。相変わらず感覚はなさそうだったが、少しずつ車が減速したのを感じて、彼女も震える息を吐いた。

「◯◯さんに来てもらおうよ。運転してもらえばいいし」

「うん……」

Rは未だ怯えた様子だが、少しずつ落ち着いてきたらしい。サイドブレーキをかけ、しっかりエンジンまで切って、あとはハンドルにもたれかかるようにぐったりとする。

免許を持っていない彼女が運転するわけにもいかない。彼女は携帯電話を取り出し、震えを押し殺しながら共通の友人を呼び出した。

Rの手にも、足首にも、まだくっきりと痣は残っていた。

その後、Rは三角点展望台には近づきもしていないという。

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