【長編】座敷わらし二編(岩手県) | コワイハナシ47

【長編】座敷わらし二編(岩手県)

座敷わらし その一

岩手県をテーマとして怪談を語るとき、座敷童子を避けて通ることはできないだろう。

民俗学者・柳田國男氏の『遠野物語』に「この神の宿りたまふ家は富貴自在なりといふことなり」という記述がある。

これが所謂、座敷童子のことで、「座敷童子の住む家は繁栄する」「座敷童子が去った家は衰退する」ということに繋がるのであろう。

この遠野というのが、遠野郷(『遠野物語』が発表された当時、明治の町村制によって編制された綾織、遠野、松崎、上郷、土淵、附馬牛のこと)を指していて、現在の岩手県遠野市のあたりだそうだ。

そして、日本各地に座敷童子に会える宿というのが存在するが、岩手県ほどそういわれる宿が多い都道府県はないだろう。軽く調べただけでも、二戸市の「緑風荘」、盛岡市の「菅原別館」、遠野市の「民宿わらべ」と、怪談マニアならずともテレビで聞いたことのある宿が出てくる。

さて、そんな「座敷童子」であるが、「座敷童子の住む家は繁栄する」は本当のことだろうか?

ここに二例ほど、今回の取材で手に入れることができた体験談を紹介しよう。

取材の中で、実際に座敷童子に会い、そして一緒に暮らしていたという話をしてくれたのは、八十代になるFさんだ。

彼は七十年以上前、上閉伊郡附馬牛村に住んでいた。両親は当時、林業に従事していて、村民としては標準的な暮らしをしていたそうだ。

そしてそれは、Fさんが物心付いた頃から『居た』という。

昼間、家の前のあぜ道で友達たちと遊んでいると、一人多いような気がする。

不思議に思って友達を集めてみるが、そんなことはない。

気のせいかと思って、また遊び始めると、やはりなんとなく一人多いような気がする。

友達たちも、Fさんが集合をかけては解散させ、また集合をかけるといったことを何度も繰り返すので、怪訝な顔をする者、理由を問うてくる者、それも遊びの一種だと思って気にしない者と、反応は様々だった。

また、夜には用を足そうと厠へ行く途中、誰かとすれ違うことがあった。それは、自分と同じくらいの体格で、(あれ?)と思って振り返ると、そこには誰もいないというようなこともあったし、足音だけが遠ざかっていくというようなこともあった。

さすがに気味が悪いと思い、両親に相談すると「それは座敷童子様だよ」と言われるだけで、真剣に取り合ってもらえなかったそうだ。

昭和二十三年、岩手県に台風が直撃し、県全域に甚大な被害をもたらした。附馬牛村も例外ではなく、その復旧の困難さに自殺を考える者まで出る騒ぎとなった。

そんな中、Fさんの家だけは半壊することすらなく、外出していた父親もまったくの無傷で帰ってくるなど、村全体の損害と比べると驚くべき被害の少なさであったという。

台風一過のあと、Fさんは家に座敷童子が居ると強く信じるようになったそうだ。それは、台風直撃の夜、両親が仏壇や祖父母の位牌に祈るよりも、一心不乱に居間でお手玉に祈っているところを見たからで、そのお手玉はFさんが家で一度も見たことがない遊び道具だった。

ただ、両親からはきつく座敷童子のことを他言するなと言われていた。狭い村である。どのような噂が立って、強引な方法で座敷童子を連れ出そうとする輩がいるかもわからない。Fさんの両親は、座敷童子を独占するつもりだったようだ。

しかし、何がきっかけかわからないが、ある日突然、遊んでいる最中や家の中で、座敷童子に会うことが無くなってしまった。

それを機に、Fさんの家は見る間に貧しくなってしまった。母親は、原因不明の微熱に悩まされるようになり、父親も仕事中に利き腕を失くしてしまう大怪我を負った。

Fさんも、呼吸器系の病気(のちに肺気腫とわかった)にかかってしまい、以前のように友達と外で遊ぶことができなくなってしまった。

「記憶違いなのか、気のせいなのかわからないけど、座敷童子が来る前より貧しくなってしまってねぇ」

その後、Fさんは盛岡市に引っ越して、現在は曾孫たちと暮らしている。

もうひとつの話。

Aさんが最近まで住んでいたのは、鉄筋コンクリートで建てられた近代的なマンションだった。

四年前に、盛岡市に仕事の都合で引っ越してきたのだ。

今から半年ほど前の寒い日のこと。

深夜、Aさんが部屋のベッドで寝ていると、部屋の前、マンションの廊下を誰かが歩く音が聞こえてきた。

(誰だよ、こんな時間に)

と仕事で疲れた身体を起こして小さく悪態をついたが、ひとつ疑問が湧いた。

聞こえてくる、その足音は下駄の音だった。

しかも歩いているというよりは、小走りに駆けているという印象だ。

すぐに止むだろうと思っていたのだが、どうやら部屋の前の廊下を往復しているようで、いつまで経っても止む気配がない。

(何やってるんだ?)

Aさんは気になって、ベッドから降りるとカーディガンを羽織り、ドアの前まで行き、一気にドアを開けた。

するとそこには、吃驚した表情で固まっている、おかっぱ頭で赤い和服を着た小さな少女が自分を見上げていたそうだ。

驚いて固まってしまったのはAさんも同じで、お互いしばらくの間、見つめあっていた。

しかし、ある瞬間、すうっと少女は消えてしまったのだという。

いったい何が起きたか理解できなかったAさんは、それから寝付けず、寝坊して会社に遅刻してしまったそうだ。

そんなことがあってから、不思議とAさんに運気が上がっていった。

仕事で失敗するようなことはなくなり、上司からの評価も上々で、同僚の女性と付き合うようになった。

探していたプレミアのプラモデルも、オークションで(良いのだろうか?)というような安価で手に入った。

と、同時に自分の部屋に変化があった。

仕事から帰ってくると、荒らされている。いや、そうではない。いたずらをされているように思えた。

居間の床一面に米櫃にあった白米が散らされていたり、干したはずの洗濯物が生乾きのまま椅子の背もたれに重ねて置かれていたり。

最初は、誰かの嫌がらせかと思ったが、部屋の壁にクレヨンで描かれた絵を見たとき、(あぁ、これは子供のいたずらだ)と思ったそうだ。

それは、たぶんAさん本人であろう人物と、そしてあの夜に出くわした子供が、幼稚園生くらいの画力で描かれていたからだった。

そこで初めてAさんは、最近の好調と、あの夜出くわした少女が頭の中で繋がったのだという。

(この絵、座敷童子のように見えるな。最近の好調はあの子のおかげかな?)

おそらく、Aさんの外出中に部屋のどこかから出てきて遊んでいるのだろう。

Aさんは、それ以上いたずらされていても怒らずに、たんたんと掃除をすることにしたそうだ。

しかし、その状態もあまり長くは続かなかった。

その日、彼女とのデートから帰ってきたAさんの目にしたものは、バラバラに壊されたあのプレミア付きプラモデルだった。

さすがに、大事なものを壊されて怒り心頭のAさんは、どこに隠れているかわからないいたずら好きの子供に怒鳴り散らした。

すると、今まで感じていた『部屋にもうひとり居るような気配』が、ふっと消えてしまった。

子供が怒られて逃げただけ。そのうち戻ってくるだろうと思っていたが、その後、気配が戻ることはなかった。

「それからが散々でね。すぐに彼女に別の好きな人ができたとかで別れ話を切り出されて、そのあと仕事で一千万単位の受注を自分のミスで逃して、二週間前に左遷だよ」

電話の向こうのAさんからは、乾いた笑い声しか聞こえてこなかった。

と、二つの例を読んでいただいたわけだが。

いささかサンプル数が少ないが、共通して言えるのは、「座敷童子と一緒に住んでいた」ように思えること、そして「その後、良いことがあった」こと。

たしかに、座敷童子と会うと良いことが自分に起こるようだ。

ただ……、もうひとつ。

「座敷童子が去ったあとは悲惨なことになる」ということが、さらに共通点として言えるのではないだろうか。

と、すると。

ここで、疑問なのは「座敷童子が去ったあとは、座敷童子と会う前に戻る」ことではなく、マイナスとも言えるほど運に見放されているのは、なぜかということだ。

それは、もしかしたら、座敷童子はたしかに幸運を運んでくる存在かも知れないが、去るときは、必要以上の運を持って行ってしまうのではないだろうか。

そういう意味では、恐ろしい妖怪だとも考えられる。

座敷わらし その二

二十二話で、座敷童子をテーマに怪談を交えて論じてみたが、あれは個人が自宅で偶然にも体験した話を主軸に置いたものだった。

では、個人が意図して会いに行った場合は、どうなるのだろうか?

いくつかの体験談を基に考察してみよう。

緑風荘というのは、二戸市にある旅館だ。

おそらく、「座敷童子に会える」宿ということであれば、全国で最も有名な宿のひとつだろう。

ここでは、亀麿かめまろという名前の先祖の守り神が、座敷童子として緑風荘内に亀麿神社(わらし神社とも)を作り祀られている。

主に、本館母屋(別館もある)の奥座敷「槐えんじゅの間」に座敷童子の目撃例が多い。テレビでもたくさんの人形が敷き詰められた座敷を見た人も多いことだろう。

また、本館・別館問わず出没するようで、会える会えないは座敷童子の気分によるものではないかとも言われている。

そして、座敷童子に会えた人は、男性であれば出世、女性であれば玉の輿に乗れると言われているそうだ。

筆者も、ぜひ一度会ってみたいと思う。

さて、この緑風荘で座敷童子に会った人たちの体験談を聞いてみることにしよう。

・Aさん

お供えする人形をテーブルの上に置いたはずだったが、振り向くとお供えされた人形たちの山で一緒になっていた。

・Bさん

廊下を「ぱんっ、ぱんっ、ぱんっ」と走る音が聞こえて、襖が開く音がした。しかし、襖は開いていなかった。

・Cさん

布団で寝ていると、足下から肩の位置まで誰かが布団を踏んで歩いてきた。踏む重さから子どもだと思った。こっちが気づいたことに気づかれたら駄目だと思い、目は開けなかった。

・Dさん

お供えにと持ってきたスイッチ式のおもちゃが勝手に動き出した。吃驚して見ていると、勝手に止まった。

AさんとDさんは女性で、BさんとCさんは男性だ。

取材中、四人に同じ質問をしてみた。それは、「その後、幸せになれましたか?」というものだ。

『男性であれば出世、女性であれば玉の輿』という話だったが、女性二人からは『困ったことが起きてもすぐに解消するようになった』という回答をもらい、男性二人からは『心配事がなくなっていった』という回答を得た。

以降、緑風荘に泊まったことがあって、かつ座敷童子に会った気がするという人に同様の質問をするようにしていたのだが、どれも似たような回答だった。

では、菅原別館ではどうだろうか?

菅原別館は、緑風荘と同様に座敷童子に会える宿として有名である。盛岡市の天神町にあり、出世の宿とも呼ばれている。また、旅館には部屋がいくつかあり、どの部屋で座敷童子に会うかで、良いことの種類が変わってくるという。

さて、菅原別館の座敷童子に会った人たちの体験談を聞いてみることにしよう。

・Eさん

棚に置いてあった人形やぬいぐるみが何体も続けて落ちてきた。もちろん地震など起きていない。

・Fさん

寝ようとしたとき、障子に下から上に動く影を見た。

・Gさん

部屋に着いて荷物を降ろした瞬間から、もう一人いる気配がして、帰るまでそれが続いた。気配は、部屋の中を移動しているようだった。

・Hさん

食事をして部屋に戻ってくると、荷物が別の場所に置かれていた。その荷物の中身は、テーブルに並べられていた。

やはり緑風荘のときと同様に、「その後、幸せになれましたか?」という質問をしてみた。

すると、緑風荘同様、女性からは『困ったことが起きてもすぐに解消するようになった』という回答があり、男性からは『心配事がなくなっていった』という回答を頂いた。

『困り事がすぐ解消する』『心配事がなくなる』という二つの回答であるが、共通しているのは、『問題がなくなる』ことだろう。

特に、大人が問題を抱えるときは、利害の不一致がほとんどのように思えたので、この八人には、もうひとつ質問をぶつけてみた。

「その問題って相手がいましたか?」

すると、全員が首を縦に振った。

つまり、この八人は問題が解消した。利益があったと考えられる。しかし、八人の相手方はどうだろう? おそらく。おそらくではあるが、不利益があったのではないだろうか。

座敷童子とは身近な者を幸運に導くのかも知れないが、その幸運に隠されて、不幸になる者がいるのではないか。

座敷童子にまつわる体験談を取材していると、そう考えずにはいられない。

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