ある理容師の話(岩手県盛岡市) | コワイハナシ47

ある理容師の話(岩手県盛岡市)

取材中ではあったが、伸びすぎた髪の毛が気になって仕方なくなり、とある千円カットのお店に入った。

意外なことに、その店で怪談を聞くことができたので、ここに記しておこう。

昼下がりのことだ。

駅を降りた私は、取材の拠点であるビジネスホテルに向かって歩いていた。

夏も終わりに近づいているというのに、まだまだ真夏のように気温と湿度が高かった。額には汗がじっとりと浮かび、シャツは背中に張りついてくる。いい加減不快だった。

(あぁ、髪の毛がうっとおしい)と思い、髪を切ることにした。

時間にはまだ余裕がある。いつもと同じくらい丁寧に切ってもらってもよかったが、手短に済ませることにした。さっぱりしたいだけなのだ。ちょうど視界に入った、千円カットのお店に入る。

女性店員がマスクをして店内の掃除をしているだけで、他に客はいない。

私に気が付いた店員が、「いらっしゃいませ!」と元気に声をかけてくる。その声に曇りがないところをみると、どうやらそのマスクは単なる接客用らしい。

清々しい店員の歓迎もさることながら、エアコンで整えられた空気の涼しさが、先ほどまでの不快感をすぐに消し去った。

促されるままセットチェアに座ると、カットクロスを羽織らされる。「今日はどうなさいますか?」伸びた髪を少しだけ短くしたいと伝えると、カットが始まった。髪を湿らせるのにかけられる霧吹きが、先ほどの汗を思い出させる。

「今日はお休みですか?」

「いや、ある取材でこちらに来てまして」

と、なんてことのない会話を交わしていたのだが、流れで怪談を蒐集していることまで話してしまった。

するとこの女性店員、嬉しそうな顔をする。

「怪談ですか? 怖い話ですよね? あたし、ひとつ体験談があるんですけど、一度、プロに聞いて欲しかったんですよ。髪の毛切りながらになっちゃうんですけど、聞いてもらって良いですか?」

鏡越しにそう言ってきた女性店員に興味を持った私は、じゃあお願いしようかな、と話を続けるよう促した。

「えーとですね、最近、引っ越したんですよ」

彼女が語り始める。

彼女は三十代後半の女性で、Aさんという。

半年ほど前に離婚して、この理髪店の近所に越してきたそうだ。旦那が子供たちに過ぎた体罰をしたのだという。

当然ながら親権はAさんに渡ったそうで、小学五年生の長男と小学一年生の長女と三人で暮らすことになった。

引っ越し先は一軒家の二階を借りるという変則的なもので、一階には大家が住んでいた。まるで、一昔前の学生がよく世話になった下宿のようだ。

二階には、廊下を挟んで一部屋ずつ大きな和室、その奥には洋式のトイレがある。風呂と台所は、一階にあるものを大家と共同で使用することになっていた。時折、家族で銭湯にも行っているという。

片方の部屋は居間と兼用したAさんの部屋、もう片方は二人の子どもの勉強部屋兼寝室として使っていた。

そんなある日。

朝、起きて来た長男が変なことを言い始めた。

「お母さん、今日さ、気持ち悪い夢を見たんだよね」

まだ眠い目をこすりながら、長男はその夢を思い出すように、ゆっくりと話し始めた。

夢は、自分の部屋の布団で目覚めるところから始まる。

上半身を起こして部屋を見回すと、隣で寝ている妹がいない。トイレにでも行ったのだろうか。カーテンの隙間から太陽の光が差し込むのを見て、朝なのだと思った。朝なら、トイレではなく朝食を食べに居間に行ったのかもしれない。自分も、起きて隣の部屋に行くことにした。

襖の引き戸を開け、廊下へ出ようとした瞬間。

──熱いっ!

左のわき腹に異常な熱さを感じた。

吃驚してそこを見ると包丁が刺さっていて、その柄は今探していた当の妹が握っている。熱いのは、刺されているからだと理解はした。しかし、もうそれどころではない。

唖然として、妹の顔を見ると、見たこともないような無表情で、兄である自分に向けてくる目は焦点が合っていない。

そこで、目が覚めた。

「夢かぁ……」

安堵の溜息が自然と口から出てくる。

ふと横に視線を向けると、妹が小さな寝息を立てていた。

安心して二度寝しようとした時、時計が目に入り、もう起きる時間だと気が付いた。

「それは気持ち悪い夢ね」

Aさんは、長男が悪夢を見たことにあまり関心を寄せなかった。仕事に行く準備をしなければならない忙しい朝である。

他愛もない朝の会話だと思い、そのまま詳しく聞くこともなく、その場を流したそうだ。

しかし、この話はここで終わらなかった。

毎朝のように、長男が「妹に殺された」と言いながら起きてくるようになった。

階段の最上段に立っていたら背中を押されて転げ落ちた、落ちる瞬間に見たのは妹の顔だった。寝ているところを馬乗りで首を絞められた。聞けば、状況は様々だったが常に『妹に殺される』という結末だった。

最初のうちは、慣れない環境によるストレスかと思っていたAさんだったが、これが毎日・毎週となるとさすがに気味が悪い。

長男も日増しに心労が溜まっていって、どんどん表情が曇ってきた。

そして最大の問題は、妹を避け始めたことだった。気持ちはわかる。でも離婚したばかりだ。三人での生活はまだまだこれからなのだから、仲良くして欲しい。それがAさんの本音だった。

「引っ越し以外で、その前後に何か変わったことはなかったんですか?」

髪を切ってもらいながらAさんに問いかけてみると、彼女は少し困ったように眉をひそめて話を続けた。

「たしかに、変わったことはありましたけど……」

それは、大家が入院したことだった。しかし、それは単なる入院であって、それからすぐに亡くなっただとか、意識不明になったとかいうことではないそうだ。

一階の居住区画に誰もいなくなったというだけ。別段、長男の奇妙な夢と結びつけられるようなことでもないだろう。

さらにAさんは続けた。

毎朝、長男の夢の話を聞かされていたのだが、ある日、長男が気になることを言い出した。

「その夢の中の妹だけどさ、なんか変なんだよ。妹なのに妹じゃないっていうかさ」

たしかに、殺意を向けられていること自体、日常ではない。違和感を覚えるのは当然だ。

しかし長男が言うには、そういうことではないのだそうだ。妹を見ているはずなのに、別人のように見えるのだと。無表情のことでも、あの焦点が合っていない目のことでもない。

「なんだろうねえ。いつものあの娘じゃないの?」

Aさんがそう言った瞬間。

「あ、わかった!」

長男が、曇っていた顔を明るく変えた。

「あのね、左右逆! 利き手も違ったよ」

よくよく聞くと、こういうことだ。

夢の中の妹は、顔にある小さな黒子の位置が左右逆なのだそうだ。しかも、右利きであるはずが、夢の中で凶器を振るう時は左利きだったという。何より、以前父親に傷つけられてできた怪我の痕が、左腕にあるのだという。

Aさんは、なるほどと思ったものの、長男の悪夢を解決できたわけではないことに、少し落胆した。

「そう……。気持ち悪いわね」

そう言って、食卓に視線を落としたAさんは、そこであることに気がついた。

長男が左利きになっていたのだ。

自分の息子は右利きだ。間違えるはずはない。でも今は左で箸を持っている。

ふと父親につけられた傷跡を確認すると、すべて左右逆になっていることに気が付いた。

いったい、いつからこうなっていた?

最初に長男が夢の話をした時から?

あるいは、今この瞬間からなのか?

Aさんは、全身の震えを抑えられなかったそうだ。

「じゃあ、今もそれは続いているんですか?」

話し終わったとばかりに息をついたAさんに、後日談がないのか問うてみた。

すると、

「いえ、これってちょうど今朝の話なので、後日談も何もないんですよ」

そう鏡越しに笑ってみせるAさんと目が合った。

……。

はて……?

鋏を持っている手が逆ではないか?

鏡越しとは言え、間違えるはずはない。いつの間に持ち替えたのだろうか?

名札も上着の左胸についてなかったか?

狼狽していると、再びAさんと目が合った。

合ったと思った。

思っただけで、それは間違いだったとすぐ気付いた。

なぜなら、Aさんの目はまったく焦点が合っていなかったからだ。

その目が、何かがもう手遅れなのだと私に強く感じさせた。

散髪が終わったあと、とてもではないが話を続ける気にはなれず、逃げるように店を後にした。

ただ、喉元過ぎればなんとやら。

またあの店に戻って、改めて取材の続きを申し込みたいと考えてしまっている私がいる。

シェアする

フォローする