一軒家のデッドスペース(東京都) | コワイハナシ47

一軒家のデッドスペース(東京都)

会社員の村山さんは、都内近郊に二階建ての一軒家を購入した。

年齢はまだ二十代前半であったが、将来を見据えての決断である。

価格の面で建て売り物件を選ばざるを得なかったが、とにかく駅に近くて交通の便が非常に良い。

良い物件を買うことができたと、彼はすこぶるご満悦であった。

とある休日の午後、春の爽やかな空気が気持ちの良い、うららかな日であった。

諸々の契約が完了して、彼は新品の鍵を使って自宅に入ってみた。

これから引っ越しやら何やらで忙しくなるが、この新居での生活を思えば全く苦にならない。

感情の昂こう揚ようを感じながら、彼は家具も何もない真新しい家の中を歩いて回った。

一歩毎に、これから訪れるであろう生活が脳裏に浮かんでくる。

一階は二部屋だからリビングとキッチンにして、二階は三部屋あるから寝室と書斎と将来の子供部屋にしようかな。

そのようなことを夢想しながら、書斎にする予定の二階の一番小さな部屋に入った。

壁面は乳白色の壁紙で覆われているが、仄かに香る材木の香りが妙に心地良く、フローリングの床に寝そべってみた。

床はヒンヤリとして冷たかったが、実に爽快であった。

このままここで眠ってみたいなあ

そんなことをボンヤリと考えていると、何かが視界の片隅を横切っていった。

「あれっ。ひょっとして虫か?」

虫の類にしては大き過ぎるような気がしたが、何せ一瞬のことなので確信が持てない。

彼は面倒臭そうに立ち上がると、壁面や天井、床を悉に確かめてみる。

受け渡し前にクリーニングされたと聞かされていた通り、目立つ埃やゴミは一切見つからなかった。

もちろん、虫や他の生き物など全く見当たらない。

彼は安堵の溜息を漏らすと、今日は一旦引き上げることにした。

引っ越しや各種手続きも無事完了して、村山さんと恋人の裕美さんは一階のリビングで家の呼び鈴が鳴るのを待ち侘びていた。

彼女が選んだ家具一式が間もなく届く手筈になっていたからだ。

今年の秋には式を挙げる予定だったので、家具類の選定は全て彼女に任せてある。

やがて呼び鈴が鳴って、宅配業者の制服を着た二人組が家具類を運んできた。

全て高価なものらしく、重そうに運ぶ二人が気の毒に思える程であった。

「ああ、それはこっちで。ああ、それは二階の真ん中の部屋で」

宅配業者に俊敏な指示を出す裕美さんを、彼はますます頼もしく感じていた。

運び込まれる家具類をよくよく見てみると、かなりハイセンスな逸品ばかりである。

どれもこれも一般的な形はしていないことから、実用性よりも彼女好みのデザインで選ばれたものであろう。

まあ、それはそれで一向に構わないさ。女には逆らわないに越したことはない。

むしろ家具を選ぶなどといった七面倒臭い作業から逃れられたことに、内心ホッとしていた。

彼は引っ越し用のダンボール箱でできた急拵えの椅子に座って、のんびりとペットボトルのお茶を飲んでいた。

数十分経った頃、裕美さんが彼を呼んだ。

「ねえ、できあがったから来て!」

彼女の声を聞いて、彼は急いで二階へと向かった。

「へえっ、すごいじゃん!」

奇抜な形をした本棚やらタンスやらの調度品が、綺麗に設置されていた。

彼女が喜ぶであろう美辞麗句を連ねながら見て回っていると、書斎の一角に目が留まった。

部屋の四方に本棚が並べてあったが、この部屋の片開き扉が部屋側に開くことが問題であった。

本棚を四方の壁面に並べてしまうと、内開きの扉がぶつかってしまう。

それを考慮した結果、全ての本棚に皺寄せがいってしまい、部屋の一角に三角形のデッドスペースができてしまったのだ。

空間にしてみれば些細なものではあったが、とにかく彼は気になった。

「ここの隙間、何とかならないかなあ」

彼女に問いかけると、悲しそうな表情を浮かべながら、頭を左右に振った。

「ごめんねえ、ドアの開き方が考えていたものと違っていて」

今にも泣きだしそうな彼女の顔を見るなり、もはやそんなことはどうでも良くなった。

「いやいや。全然大したことないから。うん、何の問題もないよ」

別にちょっとしたデッドスペースがあってもいいじゃないか。俺の家で、誰が困るっていうんだ。

慰めの言葉を掛けたときの彼女の明るい笑顔を見ると、実際そんなことはどうでも良くなってしまった。

「ねえ、何か変な臭いがしない?」

寝室に据え付けたベッドの上で寝そべっていると、遊びに来たばかりの裕美さんが言った。

まるで子猫のように、鼻をクンクンと鳴らしている。

「えっ、別に気にならないけどなー」

彼女の手前そうは言ってみたものも、実は数日前から家中におかしな臭いが漂っているような気がしていた。

あまりにも薄過ぎて捉え所のない臭いであったが、強いて表現すれば有機物の腐敗した香りであろうか。

「いやだあ。絶対何か臭ってるよ。これ、腐った臭いだよ?」

彼女はそう言いながら、臭いの源を探し始めた。

彼女の調査は一階から始まり、そして二階へと進んだ。

そして書斎の中で立ち止まると、本棚の一角を指し示した。

「ここ。絶対、ここから臭ってる!」

彼女が指さした箇所は、例のデッドスペースができているところであった。

「ここって、何もないよ?ひょっとして換気扇から臭いがするんじゃないの?」

各部屋には小さな天井換気扇が備え付けられていたので、そこから外の臭いが侵入しているのではないだろうか。

しかし、彼女に納得した様子は見受けられない。

「違う違う。換気扇なんかじゃないって。ここだよっ!」

少々むきになってきたらしく、彼女の頬が微かに紅潮している。

「でもねえ。家にはペットもいないし、窓もあまり開けないから、違うと思うよ」

それもそうよねえ、彼女は納得したようなしないような煮え切らない態度を取っていたが、漸く理解してくれたらしい。

この部屋には芳香剤を置こうね、そう言って彼女は帰っていった。

「っきゃっっーー!」

リビングで寛いでいると、二階から彼女の悲鳴が唐突に鳴り響いた。

読む本を探しに行く、と書斎に行っているはずだった。

急いで駆け付けると、彼女は床にへたり込んで、ある一点を指し示している。

「む、む、むしっっーー!」

人差し指が示す先に、丸々と太った蛆虫が数匹蠢うごめいていた。

彼は慌てふためいて掃除機を持ってくると、それらを即座に吸引し始めた。

そしてすぐさま掃除機から紙パックを取り出し、スーパーの袋で二重にしてから、急いでゴミ袋へと放り込んだ。

「ど、どっから湧いたのか後で教えてよねっ!分かるまで、私ここには来ないからっ!」

彼女はそう告げて、逃げるように家から出て行ってしまった。

「別に異常はないですねえ」

知り合いの空調業者に換気扇を調査してもらったが、何ら異常は見当たらなかった。

何処かに動物の死骸でもあるのではないかと考え、空調のみならず外壁も全部見てもらったが、何も見つからなかった。

村山さんは頭を抱えてしまった。

最近は臭い以外にも、おかしなことがこの家に起きていたからである。

寝室で寝ていると、何かが這うような不気味な音が、頻繁に書斎から聞こえてくる。

更に家鳴りでは済まないような、ガタンっといった激しい物音が聞こえることもあった。

そして今でも信じられないが、人間の赤ん坊が泣き叫ぶような声が夜中に聞こえてきたこともある。

もう、限界だった。あの蛆虫の一件以来、彼女はこの家に近寄りもしてくれない。

もう、やるしかない。徹底的に、やるしかない。

彼は翌日有休を取る旨を会社の上司に連絡すると、書斎を徹底的に調査する覚悟を決めた。

収納された本を全て取り除くのには、予想以上の時間と労力を費やしてしまった。

午前中に終わる予定であったが、時刻は午後二時をとうに過ぎている。

本を全て除け終えると、暫し休憩してから、今度は本棚を動かす作業に移った。

まず最初に動かすべき所は、ここしかないであろう。

彼女が執しつ拗ように拘こだわった、あのデッドスペースである。

全身の力を振り絞って、彼は本棚を動かし終えた。

そして、信じられない光景を目の当たりにして、暫くの間呆然として立ち尽くした。

本棚と部屋の一角にできたデッドスペース。

そこには、烏の死骸が累々と積み上げられていた。

いずれも死後、相当長時間が経過しているらしく、カラカラに乾燥しているように見受けられる。

何だ、これは。

一体、何処から。

どうして、ここへ。

様々な疑問が泉のように湧いて出るが、どれも答えは見つかりそうもないものばかり。

ここは俺の家だ。自分で何とかするしかない。

彼は大きめのゴミ袋を用意すると、外から見えないように新聞紙で包んだ烏の死骸を全部放り込んだ。

全部で八羽、いずれも水分がなくなっていたのであろう。想像以上に軽量であった。

しかし、ここである疑問が彼の頭の中を駆け巡る。

彼女と一緒に目撃した、数匹の丸々と太った蛆うじ虫。

あんなモノが湧いていたとしたら、その痕跡が何処かに残っているはずではないのか。

だが烏の死骸は実に綺麗なもので、虫が湧いた形跡など一切ない。

そもそもあのような蛆虫が成虫になったとしたら、さぞや立派な蠅になっているだろう。

だが、この家の中で蠅の類を見掛けた試しがない。

答えが見つかりそうもない疑問だらけで、頭の奥深くに鋭い痛みを感じた。

村山さんは極度の疲労感を感じて、小一時間ばかり仮眠を取ることにした。

ベッドに横になって瞼を閉じながら、こめかみの部分を丁寧に揉み解ほぐす。

頭部から伝わるじんわりとした感触に身体が解れてきたとき、腹部に軽い圧迫感を感じた。

電話帳を腹に載せたような奇妙な感覚に、彼は怖々瞼を開いた。

目の前には、幼い子供がいた。

淡い紺の半はん纏てんを着た五ご厘りん刈りの幼児が、彼の腹の上で俯き加減になって正座をしている。

垂れた頭と膝の上で握りしめられた両拳が小刻みに揺れ、まるで叱られて反省を強いられているかのようであった。

時折膝の上に滴り落ちてくる涙らしき液体が、幼児の膝を伝って、彼のシャツに染み込んでいる。

解れてきた全身が不自然なまでに一気に硬直し、村山さんは微動だにできない。

呼吸と胸の鼓動が激しさを増していき、ぶわっと開いた全身の毛穴から脂っぽい汗が滲み出てくる。

叫び声を上げようにも著しい咽の喉どの乾きがそれを妨げ、微かな呻うめき声すら出てこない。

空気が漏れるような間の抜けた悲鳴らしきものを上げながら、彼は精一杯その幼子を睨め付けた。

ふざけんなっ!お前、誰だよっ!早く、どけよっ!

そう心の中で叫び声を上げ続けていると、思いが通じたのか、漸く子供の頭が機械仕掛けのようにぎこちなく上方に動いた。

その幼子の顔を見るなり、彼の胃からは酸味のある液体が泉の如く湧き出てくる。

間もなくそれは食道を逆流し始め、彼は強烈な吐き気を催した。

幼児の顔面は鋭利な刃物で切り裂かれたかのようにずたずたになっており、垣間見える肉の部分はどす黒く変色していた。

何者かに切り裂かれたのか、耳元まで拡がった口角はだらしなく半分ほど開かれ、そこから夥しい量の唾液が滴っている。

そして哀れな酸欠状態の金魚のように口をパクパクと開閉させる度、丸々と太った蛆虫がボロボロとこぼれ落ちてきた。

辺りには歯髄の腐ったかのような腐敗臭が充満し、村山さんの瞳は心ならずも溢れ出した涙で一杯になった。

腐敗臭が目に浸みたのは確かだったが、それよりも憤ふん懣まん遣やる方ない感情が彼にそうさせていた。

やがて涙で視界が滲み出し、ボンヤリと霞んでいく。

いつしか腹上の幼い子供は消えており、彼は身体の自由を取り戻した。

残していったはずの蛆虫は何処を探しても見当たらなかったが、シャツに染みた唾液の痕だけは消えることがなかった。

幾ら洗濯しても一向に染みが落ちず、彼はお気に入りのシャツを捨てることになってしまった。

あの子供に見覚えはなかったが、後日、気になることが判明した。

村山さんはこの家にどうしても一人でいることができなくなり、頭を下げて裕美さんを説得した。

もちろん烏の死骸や子供のことは言えるはずもなく、彼一人の心の中に仕舞ったままである。

そして予定より随分と早く一緒に住むことになったが、二人ともこの家に対する恐怖感が頭の片隅にあったのであろう。

些細なことで喧嘩をしては、お互い口も利かない時間が多くなっていった。

あるとき、喧嘩をして頭に血が上った村山さんが、寝室の壁に拳を打ち込んだことがあった。

そんなに強く殴ったわけではなかったが、石膏ボードでできた壁面が壁紙ごともろくも崩れ落ちてしまった。

あまりの出来事に泣き叫ぶ彼女に平身低頭で謝っているとき、石膏ボードの欠片に混じった奇妙なモノを発見した。

石膏の粉と埃に塗れた、小汚い手拭いの塊である。

注意深く手拭いを開くと、中には鼈べっ甲こう色の柄を持った西洋剃刀が大事そうに包まれていた。

手を傷付けないよう恐る恐る刃の部分を出してみたところ、金属部分はほぼ全て錆に浸食されている。

いつの間にか泣きやんだ彼女が、ボソリと呟いた。

「それ、ヤバそう。早く捨てよう。ね?」

彼女に言われるままに、村山さんは手拭いごと近所の川に放り投げてしまった。

その行為が幸いしたのかどうか、あれ以来、村山さんと裕美さんは平穏な日々を過ごしている。

この建て売り住宅を買った不動産屋にクレームを入れたが、壁を無償で修理してくれた以外、未だ返答はない。

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