カブトムシ(東京都新宿区) | コワイハナシ47

カブトムシ(東京都新宿区)

新宿区に住む宮下さんから、こんな話を聞いた。

ある日、彼女は残業で退社が遅くなり、深夜に市ヶ谷駅に到着したのだという。

「普段はあんなに遅くなることはないんだけど、その日は勤めているブティックの棚卸があって、市ヶ谷に着いたのが最終電車だったのね」

市ヶ谷の地下通路には、長い「動く歩道」がある。

宮下さんはなるべく早く帰宅しようと、動く歩道を速足で歩いたそうだ。

すると、行く先に四、五歳くらいの男の子が、ひとりで立っていることに気がついた。

なぜか進行方向の真逆を向き、じっと宮下さんを見詰めていた。

〈あれっ?なんでこんな時間に子供がいるのかしら?〉

周囲に視線を巡らせたが、真夜中の地下通路は沈んだように深しん閑かんとして、男の子の他に人の姿は見えない。

不審に思っていると、男の子が手のひらの上に、ちょこんと黒いものを載せていることに気づいた。

〈えっ!?やだっ!〉

それは、大きなカブトムシだったという。

自慢して見せびらかしたいのだろうか、ニコニコと無邪気に笑っていた。

「でも私、虫とか小さな生き物が、すっごく苦手なのよ。見るだけでも嫌だし、なるべく近づきたくなくって」

宮下さんは、怖くなって思わず立ち竦すくんだという。

だが、そこは「動く歩道」である。

拒んでも彼女と男の子との距離は、自動的に詰まってしまう。

〈この子、私にカブトムシを触らせたいのかしら?そんなの冗談じゃないわ〉

宮下さんはなるべく身体を遠ざけようと、動く歩道の手すりに上半身を避けた。

そしてすれ違いざま、慌てて駆け出したのだという。

幸いにも、カブトムシが身体に触れた感触はなかった。

〈もうっ!意地悪な子ねっ!〉

動く歩道を降りて振り向くと、男の子がバイバイと手を振っていたという。

彼女はそれを無視して、そのまま地上へ出る階段を駆け上がった。

──その途中、自分が動く歩道の上で、立ち止まっていたことを思い出した。

ハッとして、息を吞む。

あれ?……なんで私、あの子とすれ違ったのかしら?

考えてみると、男の子は自分と同じ「動く歩道」の上で立ち止まっていたのだから、ふたりの距離が縮まるはずはない。

ましてや、追い越すことなどあり得なかった。

「私、虫が怖すぎて、男の子のことをあまり意識してなかったのね。でも、後で考えると、あの子は動く歩道に乗っているのに、ずっと同じ場所に立ち続けていたのよ。それって、宙に浮かんでいたってことだよね……?」

その後、宮下さんは動く歩道を使うのを控えている。

「マズイことになっても、逃げようがないから」というのが理由らしい。

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