隣人の女の声(東京都) | コワイハナシ47

隣人の女の声(東京都)

建てつけの悪いアパートや、安いマンションなんかに引っ越すと、隣の部屋の生活音が、筒抜けになることってありますよね。

僕の家も、昔、そうでしたよ。

まだ、今みたいな表に立つ仕事じゃなくて、テレビの放送作家をしていた頃の話です。

その当時、作家とは名ばかりで、けっこうしんどい生活を送ってました。

放送作家の仕事は、たしかに面白い。番組の企画や構成を考えたり、バラエティーなんかの場合は、コントを考えたりもする。

名前の売れた漫才師さんなんかが、自分のコントを見て、

「面白いな。やってみよう」

と言ってくれた時は、本当に嬉しいもんでしたよ。

でも、いくら仕事をしたって、給料が出ないんじゃ話になりません。

当時所属していた会社の社長が、全部、ピンハネしていたんですよ。僕のお金をです。

「給料下さい」

と直談判すると、銀座の高級クラブに連れて行かれる。

「遠慮はいらない。ジャンジャン飲め!」

それで、ごまかそうってワケなんですよ。

だから当然、貧乏生活なわけですから、下町のボロアパートに住んでいたんです。

しばらくして、隣に若いOLさんが引っ越してきました。

なにか、わけありのようでしたね。けっこう美人なのに、こんな、ボロアパートに引っ越してくるわけですから。

で、隣に住んでいると、その人の生活が全部わかっちゃうわけですよ。

(ああ、テレビ見てるな)

(いまトイレ入ったな)

て感じでね。

それどころか、

(今日は機嫌が悪そう。彼氏と喧嘩したかな)

とか、

(体調が悪そう。生理かな)

なんて、余計な心配もする。

これ、全部の本当なんですよ。

数年前のことです。

北海道から東京に出てきた親友の息子さんのO君が、K区にあるマンションに引っ越してきた。

その世話を、僕がしたことがあったんです。

おしゃれな飲み屋がいっぱいあって、芸能人も多く住んでいる。すぐ近くには、ボート遊びができる、有名なK公園もある。O君が引っ越したのは、その公園から徒歩五分の距離にある、閑静な住宅街でした。

三階建てマンションの、二階部分。1DKでロフトつき。キッチンは、多少狭かったですが、全面フローリングで、リビングの広さも申し分なかったですね。もちろん、バス・トイレは別々です。

契約したのはその子の父親なんで、詳しくはわかりませんがね、おそらく家賃は一〇万前後はしたでしょう。

さて、引っ越しも終えて、いざ勉強となったそうです。

ちなみに、彼は浪人中でして、予備校に通うためにわざわざ北海道から出てきた、ってわけです。

父親から、

「今年一年だけだぞ」

そう厳しく言われていましたから、気合いも相当なもんでした。

予備校のテキストを開き、机に向かうと、

「さあ、明日の予習だ」

とばかりにシャーペンを握った。

その時です。

隣の部屋、つまり壁ひとつ隔てたお隣から、奇妙なあえぎ声が聞こえてきた。

「ああっ、くうう……」

せつなくて、それでいて、官能的な声。

それは、あきらかに若い女性のあえぎ声でした。

「くくう……、くぅ……」

声はとぎれとぎれになり、トーンもだんだんと激しさを増してきました。

気がつくと、彼はズボンの上から、自分のを、握っていたそうです。

無理もありませんね。なんだかんだ言っても、まだまだ若い。一九歳でしょう?しかも、大学受験に失敗してからというもの、ずーっと、禁欲生活を続けてきたわけですから。ずーっとね。

今が一番、興味ある盛りの彼にとって、この状況は、目の前に人参をぶら下げられた、あわれなオス馬みたいなものです。

結局、その日は勉強もまったく手につかず、女性のあえぎ声を聞きながら、自慰してしまったそうです。

翌日、まじめな彼は予備校から帰ってくると、昨日の分も取り戻そうといすぐに机に向かいました。

英語のテキストを開いて、さっそく練習問題にとりかかる。予習、復習をしっかりやりました。

「今日は調子がいいぞ」

と思ったその時です。

「ンンゥ!」

また、例の声が聞こえてくる。

彼は頭を抱えてしまいました。

そんな調子で、何日も、女性の声が聞こえてきます。

昼も夜もおかまいなし。彼が机に向かうと、きまって聞こえてくるんだそうです。

そして、ある日の夜。

いけないことと知っていながら、とうとうたまらずに、彼はベランダからのぞいてみようと考えました。

靴下を脱ぎ、裸足になる。

ベランダに出ると、遠くに新宿の高層ビルの赤い光が、チカチカと夜光虫のように光っている。

外は真っ暗。

冷たい春の夜風が、ヒューヒューと、体を凍らせました。

一瞬、どうしようかと迷ったそうなんですがね。

「えいっ」

とばかりに手すりを乗り越え、とうとう、隣のベランダに飛び移ったそうですよ。

あとは足音を忍ばせ、ゆっくりと窓ガラスに近づく。

いま考えれば、

(おかしい)

とすぐに気づくはずなんですがね。

ベランダ近くの窓ガラスには、カーテンがひとつもなかったそうです。女性が暮らしているのに、そんなこと、ありえないでしょ。

彼は、壁ぎわにピタリと背中をつけて、少しずつ窓ガラスに顔を近づけました。

広々とした内部の様子が、目に入りました。

つくりは、自分の部屋とまったく一緒。

でも、やたらと広く感じるんです。ガラーンとしているんですよ。

で、よくよく見てみたら、家具がまったくないんですね。ソファもテレビもない。

ただ、部屋の中央に、ベットが置かれている。

ポツン、とひとつだけ置かれているんです。

驚いたことに、ベッドの上には誰もいない。

彼が、期待していた、激しくのたうつ女性も、相手の男性も誰ひとりいない。

ただ、ボワーッと、白い煙のようなものが、そのベッドをつつみこんでいたそうです。

だけど、例の声だけは、しっかりとそのベッドから聞こえてくる。

ビシッ!

その時、ものすごい音がして、窓ガラスがビキビキッとひび割れたそうです。

驚いて、彼は一歩後ろにさがりました。

と、大変なことに気がついたんです。

窓ガラス一面に、べっとりと血糊がついている。

真っ赤な血が、天井を伝って落ちてくる。

その間も、ずっと女性の声は聞こえている。

どんどん激しくなる。

狂ったようになる。

その時、その声が、なんだか笑っているように聞こえたそうですよ。

彼は怖くなって、急いで自分の部屋に逃げ帰ったそうです。

翌朝、彼はマンションの管理人に、

「自分の部屋の隣に、いったい誰が住んでいんですか?」

と尋ねたそうです。

すると、年老いた男の管理人は、

「五年前から誰も住んでいない」

と答えたというんです。

「そんなはずはない」

彼は昨夜の出来事を包み隠さず話したそうです。

話を聞き終えた管理人は、天井を仰いで二度頷いた。

そして、そのまま黙って立ち去ると、二度と、そのマンションに戻ってこなかったそうです。

いまも、そのマンションは存在します。

例の部屋には、まだ、誰も住んでいないそうです。

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