資料館(広島県) | コワイハナシ47

資料館(広島県)

その年の家族旅行は、広島だった。

万夜さんはお母さんと一緒に市内を巡った。

広島は川の町でもあって、市内には幾筋もの川が流れている。西から太田川放水路、天満川、太田川、元安川、猿猴川、これらの川の両岸と中州に市街地が広がっている。

その川の町のほぼ中央付近に、広く知られた広島の観光スポットが集中していた。堀に囲まれた広島城趾から南に暫く行くと、太田川と元安川の分岐点に相生橋が架かっている。

一九四五年八月六日午前八時過ぎ。B‐29エノラゲイは、この相生橋めがけて原爆「リトルボーイ」を投下した。相生橋は三つの中州を跨ぐ丁字型の特徴的な橋で、高高度からもそれと分かるランドマークであったことが、投下目標になった理由であるという。

爆弾の精密誘導などない時代でもあり、投下されたリトルボーイは相生橋から僅かに南東に流され、元安川側の畔にある広島県産業奨励館の直上六百メートルで爆発した。

それが、かの有名な原爆ドームである。

子供の頃から、教科書などの写真やテレビ番組の映像でなら何度も見たことがある。だが、実物を見るのはこれが初めてだ。戦後七十有余年を過ぎて今も健在であり、しかし今すぐにでも崩れ落ちそうな、世界で最も有名な廃墟。

柵に囲まれて内部に入ることはできなかったが、たとえ入れたとしても興味本位で立ち入る気が起きるような場所ではなかった。

原爆ドームから元安川を挟んで右岸側に平和記念公園がある。相生橋の途中から突き出た分岐を渡ったその敷地内に、平和記念資料館──俗に言う原爆資料館があった。

修学旅行や外国人のバカンスの時期を外したオフシーズンであったためか、この日の資料館は人影も疎らだった。

館内には原爆の記録と記憶を遺すため、当時の品が展示されていた。

小綺麗なショーケースの中に、朽ちた遺品が並んでいる。それらは皆、七十余年前に実在した人々の日常に寄り添っていた品々であった。しかし同時にそれらの全ては、原爆の爆発の真下で被曝した人々の遺品、営みの痕跡でもあった。

原爆投下について、万夜さんは教科書でしか知らない。彼女にとって遠い時代の出来事だが、それによって亡くなった人々は確かに実在した。襤褸布のような学生服や片足だけ残った下駄などの遺品には、それぞれの持ち主がどこでどのように被曝し、どんな最期を辿ったかについての克明な記録が添えられている。解説板には、彼らは皆、あの業火の中に消え、或いは被爆後の数日間を苦しみ抜いた末に力尽きた、とある。

展示室の一角に、被爆当時の様子を再現した実物大の女性の人形が三体展示されていた。

ざんばらに髪を振り乱し、僅かな襤褸布を身に纏い、熱線を受けた腕からは融けて剥がれ落ちた皮膚がぶら下がり、赤く膨れあがったケロイド跡が生々しくも痛々しい。

人形は真っ赤なライトを浴びて、被爆直後の臨場感を再現していた。

その表情までもがリアルで、まるで生きたままそこにいるようにすら見えた。

きっと、彼女らは自分達の身の上に何が起きたのか、知りもしなかっただろう。

恐ろしさ、哀悼、憐憫、戦争の──原爆の怖さ、そういうものを学び取らせるための展示なのだろうが、同時代を生きたわけではない万夜さんには、ただただ薄気味悪さのほうが先立った。

原爆が怖くて、というよりも、その再現人形が怖かった。匂いや熱さまでも伝わってくるような気がして、思わず目を逸らした。いや、逃げた。

次の展示へ向かう。

今度はごっそり抜けた髪の毛の束がある。

〈──うふうっ〉

万夜さんの耳元で誰かの吐息が響いた。

何かを堪えて、堪えきれずに漏らされた息が、彼女の耳朶を撫でる。

思わず首を竦めた。

静かな館内に人は疎らで、傍らにはお母さんしかいないはず。

そのお母さんは、万夜さんより僅かに前を歩いている。

小走りにその後を追った。

次の展示は水筒と弁当箱。弁当箱の中身は、消し炭になったまま形を留めている。

持ち主の少年はこの弁当箱を抱え込んだ遺体として発見されたという。炭化したのが弁当だけで済んだとは到底思えない。遺体の状態も推して知るべしだろう。

今度は匂いが鼻を衝いた。

それは焼け焦げた何か。何であるのかは分からない。

──うぶう、うぶぶぶぶぶぶう、うぶぶぶぶぶぶぶぶう、

そして呻き声が響く。

互いに互いの言葉を遮り合って、何十人もの人間が同時に呻き合うような。

強い訴えが言葉の形にまで届かない。苦しみを堪えるために発するか弱い咆哮。

匂いはじわじわと強まっていく。

まずい。これはまずい。

万夜さんが顔を上げると、お母さんは展示の遙か先にいた。ずいぶんと足早に歩いているようで、展示品の前では殆ど立ち止まらない。

ちょっと、お母さん。待って──という、その言葉が喉から出てこない。

万夜さんの背後からは重音で響く呻き声に混じって、粘るような足音が聞こえ始めた。

お母さんの後を追おうと踏み出すその一歩が重い。

誰かを背負っているような重さが、万夜さんの肩口にのし掛かる。

それも一人や二人ではない。手足に纏わり付き縋り付かれているかのような重さ。

鼻を衝く焦げた匂いは更に強まっていた。

火事場のそれのような、木材が燃えた匂いとは異なる。もっと脂肪をたっぷり含んだ有機物の焦げる、今までに嗅いだことのないような不快な匂い。

重奏する呻き声は出口に近付くに連れて、より大きく、分厚くなっていく。

──待って。お母さん、待って。

声を絞り出したつもりだったが、あああ、という呻きの中に自分の呻きが重なるばかりで、それという言葉がどうしても出てこない。

呻き声はもはや、大型トラックのエンジンが耳元で唸りを上げているかのような大音響になっていた。静寂を旨とすべきこの資料館にはおよそ似つかわしくない。

耳を塞いでも、それを突き抜けて鼓膜を震わせる。

そして漸く出口が見えた。身体に絡みつく重さと、鼻腔を麻痺させるほどの匂いと、鼓膜を突き破らんばかりの喧噪が最高潮に達した。

出口を出るその瞬間、呻き声は一度だけはっきりと言葉の形を採って聞こえた。

『あつい』

一瞬、館内を振り向きかけた。しかし、これは振り返ってはいけない。

恐らく館内にはこの音は響いていないのだろう。聞こえているのも匂っているのも、自分だけがそう感じているだけだったのだろうか。

焦燥感に煽られて資料館を〈脱出〉し、漸く安堵の息を漏らす。一足先に館外に出ていたお母さんは、追い付いてきた万夜さんの顔を見るなり、こう言った。

「……ずいぶん、煙たいとこやったね。この資料館」

広島平和記念資料館の被爆再現人形展示は、資料館のリニューアルに合わせ二〇一六年度中に撤去される計画である。

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