出られない 谷中霊園(東京都台東区) | コワイハナシ47

出られない 谷中霊園(東京都台東区)

江戸っ子の各務君の話である。

三年ほど前、江東の実家に住んでいた各務君は徳川慶喜公の墓参に出かけたことがある。先祖代々関東平野に住み着き、江東に移ってから既に三代に渡るという各務君は、生粋の江戸っ子である。

平将門によって拓かれた関東は、北条家から江戸幕府を開いた徳川将軍家へ、明治維新を経て薩長によって打ち立てられた明治政府へと、その時々の権力者によって奪い合われてきた。日本に長く続いた封建時代は何代にも及ぶ権力者達と、権力の簒奪者達を生み出したのである。

さて、徳川家墓地は東京都台東区上野にある、谷中霊園の中ほどの場所にある。上野駅と日暮里駅の丁度中程の場所にある谷中霊園は、周囲を天王寺、安立院などを始めとする多くの寺院によって囲まれた五〇〇メートル四方にも満たない墓地である。特に墓地の西側には、夥しい数の寺院が密集している。

この谷中霊園に神道形式で葬られている将軍は十五代将軍・徳川慶喜公のみである。その他の歴代将軍のうち家康公は日光東照宮に、それ以外の歴代将軍は芝増上寺と上野寛永寺などにそれぞれ葬られている。

日本人特有の判官贔屓からか、江戸っ子の将軍贔屓からか、最後にその権力を簒奪された徳川将軍の家系は、古くから関東に住まう江戸っ子達にとって微かな憐憫を寄せる対象であるようだ。

そういう背景もあってか、各務君にとっても徳川家はまったく無縁の存在という訳でもないらしい。

「江戸っ子なら、徳川さんの墓参りぐらいしなくっちゃ。何てったって、谷中霊園に墓があるのは慶喜さんだけなんだから、江戸に住んでる奴が誰か行ってやんなきゃかわいそうってもんだよね」

そう言って各務君は谷中霊園へ勇んで出かけていったのである。

各務君が谷中霊園に足を踏み入れたのは、その日の午後の遅い時間だった。

「……っかしいな」

慶喜公の墓を目指して墓地の中の道を進むのだが、一向に墓にたどり着くことができないのである。何度となくそれらしい場所を歩き回り相当な時間を費やしたのだが、とうとう慶喜公の墓は見つけることができなかった。

仕方なく墓参を諦めた各務君は、不忍池へ向かおうとした。

が、今度はなかなか墓地の外に出ることができない。

不忍池は谷中霊園から南へ二十分ほど歩いた所にある。大して遠い距離ではないし、墓地の中を巡る道を歩いているのにも関わらず、どうしても墓地の外に出ることができない。

そして、ふと気付くと廃墟のように崩れ去った不気味な無縁墓の前に出てしまった。

「おかしい……」

歩く道を変えてみることにした。

まっすぐ、まっすぐ、まっすぐ……周囲はどこを見ても墓ばかり。ここだ、と思ってふと顔を上げると、再び無縁墓の前に出てしまう。

「道なりに歩くからいけないんだな。少し曲がってみよっと」

だが、どの道を何度通ろうと結果は同じだった。まっすぐ歩こうと道を曲がろうと、必ず同じ無縁墓の前に出てしまうのだ。

かれこれ三時間ほど歩き続けたが結果は同じだった。日暮れ時が訪れた。夜の帳が近付いてくる。

「このままでは、夜になってしまう……」

各務君の脳裏に、夜の墓地に取り残される恐怖がよぎった。

と、そのときである。ふと前方を見ると番傘をさして歩いている着物姿の女性が見えた。

着物に番傘。長く江東に暮らし、芸者姿を見慣れてきた彼にとっては、何の不審も抱かない服装ではある。が、もう少し彼が落ち着いていたら、そんな姿の女性が、しかも日も暮れようとしている墓場にいることは幾ら何でも不自然だということに気付いていたかもしれない。

しかし逢魔が時を墓場で過ごした各務君にとって、既に縋れるものは他になかったのである。

(このままついていけば出られるかもしれない……!)

各務君は迷うことなく番傘と着物の女性の後を追った。それから暫くの間各務君は薄暗い墓地の中を歩き続け、今度はやっとの思いで谷中霊園を脱出することができた。

礼を言おうと顔を上げたとき、女性の姿は既になかった。どういう訳か、その女性の姿は後ろ姿しか記憶には残っていなかった。

もしもあのとき番傘の女性が現れなかったら、各務君は谷中霊園からずっと出られなかったかもしれない。

各務君は、あれから三年経った今でも時折、谷中霊園の入り口にぼんやりと立っている自分に突然気付くことがあるという。

「何か知らないんだけど、気が付くといつもそこに立ってるんだよね」

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