油壺(京都府) | コワイハナシ47

油壺(京都府)

紫雲さんの母方のお婆さんのお話。

母方のご実家は丹後半島の突端の山奥にあった。

「今でも凄いよ。大雪が降ったらヘリで救援物資を投下しないとなんないようなド田舎」

太平洋戦争が終わって十年ほど過ぎてもまだまだ電気が開通せず、夜の灯りはもっぱら行灯に頼っていたほどだ。

さて。この家には、家付きの猫がいた。

お婆さんは、この家にお嫁に来たときからずっと、その猫のことが気になっていた。

「何だか、馬鹿にされとるみたいでよぅ」

それと分かるシグナルはない。だが、新参として猫より後にやってきたお婆さんのことを、どこか侮っているようにも感じられた。

「考え過ぎかとは思っただけんど」

ある日のこと。

用事ができたお婆さんが納屋に近付くと、何やらがさごそと物音がする。

──狸か。

何しろ草深い、田舎のこと。裏山から腹を空かせた狸が納屋や母屋の軒下に入り込んで悪さをすることも珍しくなかった。

──脅かしてやろう。

そんな悪戯心が湧いた。物音のするほうにそっと近付くと──。

足下に、陶器の蓋が転がっていた。

おや、と視線を上げると、行灯に使う油を満たした大きな油壺に、猫が前肢を掛けている。頻りに顔を拭いて……いや、しっとりと濡れた前肢の先を舐め回していた。

驚いた。声は出なかったが息を呑む音がお婆さんの喉笛を揺らした。

ごぐり、という音が響いたのと、猫がこちらを振り向いたのは同時だったと思う。

──にたぁ。

猫は嗤っていた。チェシャ猫のように。

恐ろしくなったお婆さんは、このことを義母──紫雲さんの曾お婆さんに相談した。

すると、曾お婆さんは「そうけえ。仕方ないな」と頷いて、お婆さんに「ちょっと使いを頼めるか」と野暮用を言いつけた。

用を済ませて戻ってみると、猫の姿が見当たらない。

それから何日か過ぎても、一向に猫を見かけなくなった。

「どうしたもんかと思ってよぅ。曾婆さんに訊いたら」

──アア。アレは言い聞かせたからもう出ていきよった。

「〈これまで長いこと目ェ瞑ってきたが、人前で油舐めるようになったら、もぉアカンで。これ以上、うちに置いとく訳にはいかん〉……曾婆さん、猫にそう言うて説教しよったん」

猫は二度と戻らなかった。

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