ずるずる殺人(宮城県仙台市) | コワイハナシ47

ずるずる殺人(宮城県仙台市)

百合さんが仙台の大学院生の頃の話。

夏に近い金曜の晩、飲み会で随分盛り上がったことを、途中まで覚えている。朝方、何とか家まで辿りいて、そこで轟沈。目が覚めたのは土曜の午後だった。

「……そうだ。郵便局行かなくちゃ」

送金する用事があったのを思い出し、もそもそと身支度をする。

郵便局は家から徒歩十分。部屋着に近い随分ラフな格好で部屋を出た。

「少し飲み過ぎたなあ……」

二日酔い気味のぼんやりした頭で歩道を歩いていく百合さんの前方に、サラリーマン風の男がいた。

灰色のスーツを着込んだ男は、一歩一歩踏みしめるように歩いている。この暑さに参っているのか、足取りは随分重かった。

その背中に、何かぶら下がっている。

遠目にはぼろきれに見えた。

ざくざくに千切れかけた布が、サラリーマンの背に張り付いている。

だが、すぐに布ではないことに気付いた。

サラリーマンは女の人を背負っていた。

何しろこの陽気だ。暑気に当てられて具合が悪くなった人を運んでいるのかもしれない。

サラリーマンの後を付いていくうち、二日酔いのぼんやりした頭が段々覚めていく。

〈気分が悪くなった人を背負っている。それはいい。いいんだけど、あんな背負い方でいいんだろうか〉

女の人は背負われているというよりも、引き摺られているように見えた。振り落とされないよう、どうにかしがみついているものの、歩道に膝を擦っている。膝も、脛も力なくだらんと伸びたまま、ずるずると運ばれていく。

あの人、痛くないんだろうか。

そう思いかけたとき。

サラリーマンの背中に顔を埋めるように背負われていた女が、ゆるりゆるりとこちらを振り向いた。女の横顔が露わになる。

顔の手前に何か垂れている。

顔面から剥がれ落ちたように見えるそれは、眼窩から抜け落ちた眼球だった。

目玉の抜けた女。

それを引き摺るように運ぶ男。

違う──。

運んでいるんじゃない。連れ歩いているのでも背負っているのでもない。

生きているようには思えない。

死体かもしれない。でも、死体ですらないような気がする。

あれは──。

百合さんは愉快でない想像に足を止めた。

逃げないと。こっちがアレに気付かれる前に、とにかく逃げないと。

〈私のほうに来られたって困るのよ〉

踵を返し、来た道を走るように戻る。振り返るつもりはなかった。

世の中には見える人と見えない人がいる。

百合さんは見えるほうの人だった。細々した不愉快なものが見える。見えたものを指折り数えてひとつひとつ挙げ連ねるのも億劫なくらいだ。人に話したところで、気味悪がられるか、好奇の眼差しで見られるか。良い結果は期待できないことは分かっているから、誰にも話さずに自己解決する。

彼女の場合は貴金属が効いた。金銀プラチナの類、要するに装飾品を身に着けていると、見ないで済むのだという。

最低でも指輪ふたつとブレスレットは欠かさない。出かけるときは更に幾つかの指輪とネックレス。朝に余裕があればイヤリング。そこまでやって、漸く人並みに見えない生活を送ることができる。

しかし、この日はいつもの装飾品は何ひとつ身に着けていなかった。腕時計のひとつに至るまで外してしまっていた。前の晩、酔っていたから。窮屈な格好がいやだったからだ。

本当に、うっかりしていた。

それから暫くは、特別なことは何も起こらなかった。警戒していつも以上にたっぷり指輪を奮発したおかげかもしれない。

〈そろそろ大丈夫だろうか〉

数日後、漸く落ち着きを取り戻し始めた矢先のことだった。

──ピンポーン

自宅のドアチャイムが鳴った。時間は夜の九時を回っている。

こんな時間にいったい誰だろう。

「はい?」

訝しみつつ薄くドアを開ける。

そこには、見覚えのない男が立っていた。

小太りの身体に真っ白いスーツ。ストライプのシャツに、毒々しい派手なネクタイ。

その筋の人に見えた。

慌ててドアを閉めようとしたが、閉まらない。いつの間にか、先の尖った靴がドアの間にねじ込まれている。幸いドアチェーンを掛けたままだったので、それ以上の侵入は許さずに済んだ。

「ここに、男住んでない?」

挨拶も何もなく男は唐突に用件を切り出した。ドスを利かせるでもない。その声色は優しげだったが、付け入る隙を与えてくれない。

百合さんはどう答えたものかと戸惑った。が、自分に分かることをありのままに話す以外に思いつかない。一呼吸置いて、できる限り落ち着いて話した。

「いえ、私は越してきたばかりで……ここに男の人は住んでいません」

男は黙って聞いている。

「あ、でも前に住んでいた方の郵便物が今も届いたりはしています。それは男の人の名前ですから、お探しの方かもしれません。でも、その方は今はここには住んでいません」

「ふうん」

男はドアの隙間から百合さんの部屋を一瞥してから、ニッと笑った。

「……そうか。姉ちゃん、いきなりごめんね」

ドアの隙間から靴を引き抜き、男は去っていった。男の後ろ姿を見送ることなく、百合さんは慌ててドアを閉めた。

男の背中にぼろきれのような女がいた。

見間違いならいいな、と思っている。

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