三角アパート(九州地方) | コワイハナシ47

三角アパート(九州地方)

三角形の不動産に纏わる怪談

数年前のことだ。結婚前の僕は都内に新居を探していた。建て売り、更地、中古物件まで色々見て回った。時々、立地条件の割りに格安な物件に巡り会うことがあった。山手通りの東中野近辺に出物があったが、直角三角形をしていたので何となく止めた。

「三角形の敷地に建つ三角形の建物」というものそのものは、決して珍しい存在ではない。実際、不定形であるが故に使いづらく価格も安い。そのことを起因としているのか、そうした物件に纏わる怪談もしばしば耳にする。

ここでは九州のとある地方都市に実在した物件について触れてみたい。

新婚夫婦の新居について

彼女の名は小夜子としておく。当時二十三歳になったばかりの小夜子は、新婚生活を送るための新居を探していた。まだ若い二人はできるだけ安く、手頃な物件を捜す。

「安い部屋──ありますよ」

不動産屋に紹介された物件は、三階建てのアパートだった。東から西に向けてY字型に分かれる三差路の分岐点の頂点に建っている。周囲には学校や運動公園もある。少々飛行機がうるさいが、それはこの町のどこに行っても避けられない問題なので気にはならない。

アパートは変わった形をしていた。Y字型の分岐点を頂点にした三角形の敷地。そこに、建坪率ぎりぎりまで使い切ろうという魂胆なのか、二等辺三角形の鋭利な建物が建っている。小夜子達の新居は三階の角部屋。東に突き出た三角形の部屋だった。南、北、東側は道路。しかも、三階。周囲にはそこより高い建物もなく、日当たりもかなりよかった。

なのに、その恩恵があまり感じられない部屋でもあった。部屋はいつも湿気ていたし、南北の窓を開いていても風が抜けていかない。いや、風は抜けるのだろうが、却って湿り気が籠もっていくようにすら感じる。

「この部屋、蒸すね」「そうだね」

夫とそんな会話を何度か交わす。

ある夜半、室内に霧が出ていた。外から霧が流れ込んできたのかと、驚いて窓を見る。閉じた窓を開けて外を確かめるも、外に霧はない。部屋の中にだけ霧が立ちこめている。

〈湿気の抜けにくい部屋だから安いのだ〉

小夜子はそう考えて納得した。

部屋にいるものについて

この部屋には、新婚夫婦二人だけで暮らしていた。まだ子供もなく、夫と小夜子の二人だけの生活。そのはずだった。

夫の帰りを待って夕食の支度をしていると、〈みしり、みしり、みしり〉と、畳を踏んで歩く音がする。いつの間に帰ってきたのだろう、と足音のするほうを振り向くと誰もいない。──が、畳の一部が凹んでいる。いや、足音に合わせて畳の凹みが移動していく。見えない誰かの足跡だけが見えていると表現するのが、一番しっくり来る。

息を呑んだ。

が、小夜子が声を上げるより早く、彼女の気持ちを代弁してくれた者がいる。

「ぎゃあああああああああああ!」

絶叫が響き渡った。小夜子のものではない。別の誰かの引き裂くような叫び声。脳が沸騰するような女の悲鳴は、室内、小夜子の耳元で聞こえた。小夜子の上げた悲鳴は、その声に呑まれて声にならなかった。

「この部屋、おかしいよ」

夫に訴えた。いや、おかしいことは薄々気付いていた。例の湿気りのせいもあるのか、壁はすぐに剥がれ落ちる。大家に訴えて塗り直してもらっても、一カ月も保たずに壁はぼろぼろと剥がれ落ちる。剥がれた壁の欠片を片付けていると、また気配。人影が視界の隅をよぎる。その方向を追っても、もちろん誰もいない。諦めて見ないようにする。注意を向けないよう、気付かないように振る舞おうとする。すると誰かが身体に触れる。まとわりつくように肌に張り付く掌。掌。掌。それでも声を上げない。ただ、耐えている。

「そうだな。この部屋はおかしい」

夫もこの部屋の異変には気付いている様子だった。アパートの周囲には、野良猫もいれば小鳥も来る。向かいの路地にあるゴミ捨て場を漁るカラスと猫の縄張り争いも目に入る。が、そうした生き物は決してこのアパートには寄りつかない。猫も鳥も、飼い主に連れられて散歩する犬までもこのアパートを避ける。

「引っ越そうよ!」

「そんな金、どこにあるんだ!」

そうだ。金はない。なけなしの貯金はこの部屋に引っ越すときに叩はたいてしまった。

「でも!」

小夜子の声は、いつもより少し大きかったかもしれない。が、その声は遮られた。

〈どんどんどんどんどんどん!〉

壁が叩かれている。夫婦の諍いが隣室の癇に障ったのかもしれない。壁を打つ音は、薄い壁を打ち破らんばかりに続く。小夜子は声を顰めた。しかし、壁を打つ音は止まない。

〈隣人が怒っているのか〉

隣人に謝罪を──部屋を出たところで気付く。鳴り続けていた壁は、道路側に面していた。ドアを開けた直後、壁の音は止んだ。

「……気持ちは分かる。俺もお前と同じ気持ちだ。でも、我慢するしかないよ」

夫は諦めの入り交じった溜息を吐いた。

封印について

夫婦は次第に体調を崩すようになった。夫は仕事を休みがちになり、小夜子は入退院を繰り返す。馴染みとなった町内の人々の噂に耳を傾けると、この分岐路にはかつて何かの塚があったらしい。それが何かは分からない。

「古い塚だったって。それ潰して、ここを建てたらしい」

「やたら人が死んでるんだって。私達が入居する三年前にも、前の道路で子供が死んだ事故があったって」

夫婦は互いの聞きつけた噂を突き合わせ、ただただ嘆息するしかなかった。どうしようにも、どうにもできない。塩を盛ろうか酒を供えようかと素人考えで試してみるも、何ら効き目は期待できなかった。

そうしたことが繰り返される日々が続いた。不快な事象を受け入れることはできない。が、耐えることに慣れ始め一年が過ぎたある朝。

「あれ?」

寝室代わりにしていた部屋の天井近くの壁に、絵が貼ってあった。小さな紙片に描かれているのは、インド風とも密教風とも取れる妖しいポーズの人物。いや、神像だろうか。判読できる文字らしきものはない。紙片の縁は黄色く色褪せている。紙片を壁に繋ぎ止めていたのはどこにでもある押しピン。ピンは錆び付き古ぼけている。

〈いつから、あんな所にあったんだろう〉

寝室の目に付く場所だった。夫に問うと、

「お前が貼ったんだと思っていた」

一年、ずっと過ごしてきたのに、存在に気付かないはずはない。しかし、夫婦二人とも心当たりがない。それは文字のない御札のようにも見えたし、逆に何かを呼び込む触媒であるようにも見えた。ただ薄気味悪い。小夜子は神像の描かれた紙片を剥がし、燃やした。

もしかしたら、これが不快の原因だったのかもしれない。──取り除けば、或いは。

現れたものについて

紙片を燃やした晩。夫の帰りを待ちつつ、小夜子は一人部屋で過ごしていた。点けっぱなしのテレビが、一人で過ごす勇気をくれる。だが、背後からは夫のものではない気配がしている。ただ、それにはもう慣れてしまった。

〈またか〉

どうせ、誰もいない。気配があるだけ。

そう思いつつ、習慣のように背後を確かめる。すると、出入り口に垂れ下がっていた暖簾が、一枚だけ捲れ上がっていた。誰かがつまみ上げているように思われる。

「誰?」

立ち上がると、暖簾の下に小学生がいた。

「ボク、どこの子?勝手に入っちゃ」

と、諫める間もなかった。小学生の男の子は暖簾の下をくぐり抜け、小夜子のいる室内に上がり込んできた。

「ちょっと、ボク……」

男の子の頭は、少し変わった形をしていた。

額の中央の辺りが顔の内側にめり込むように凹んでいる。凹んだ分の帳尻は合わなかったようで、後頭部から頭頂に掛けて頭皮が捲り上がっていた。その裂け目からストロベリーソースを掛けたピンクのムースのようなものが覗いている。頭蓋が弾けているのだ、ということを小夜子は容易に連想できなかった。

男の子は小夜子の周囲を走る。

片腕を振り回し、へたり込む小夜子を囲い込むように走る。左腕は肘から先が何だかとても長い。裂けているのだろうが、千切れてしまわず、男の子はそれを引き摺るようしている。

〈ずるずる、ばたばた、がくんがくん〉

と、不可解なリズムで彼は走る。

足の関節の数だって多い。この子はなぜ膝が五つもあるのか。なぜ膝が前後に揺れるのか。なぜ左足の脛が前に向かって曲がるのか。

男の子は、奇異な声を上げるでもなく、ただ畳を踏みならしながら走った。どこにでもいる、躾けの悪い子供がそうするように。

「うるさいよ!いい加減にしろ!」

階下の住人が怒鳴り込んできた。

小夜子は、答えのない問いを繰り返すだけの思考から漸く解き放たれた。そして、真っ赤な顔で口角を飛ばす階下の住人と自分の間に、男の子の姿がないことを確認した。

しかし、安堵にはほど遠かった。

小夜子について

この部屋から夫婦が引っ越しを決意するのは、ここから更に一年半も先のことだ。小学生が現れた後、そして引っ越しの後に至るまで、なお話は続く。いや、引っ越しで話が終わった訳でもない。小夜子にとって、この体験はその後に続く全ての出来事への、プロローグでしかなかったのかもしれない。

新婚。新居。そして、三角。三差路。三階。三年。三十三歳。三カ月目。三人目。三に纏わる怪を小夜子──勝田小夜子は長く体験していくことになる。

この話の行き着く先については、またいずれ機会があれば。

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