泣きっ面にハチな男(千葉県) | コワイハナシ47

泣きっ面にハチな男(千葉県)

以前、『「超」怖い話』のシリーズで、鯉に取り憑かれた挙げ句に台風の洪水で自室が水没した紐井君のエピソードを書いたことがあった。先日、別の仕事で一緒になる機会があって、久しぶりに彼にあった。

「最近はどう?何かいいことあった?」

「いやぁ、おかげさまで死なずに何とかやってますよ」

そうか、死んでなくて本当に良かった。

「でも、相変わらず死ぬほどの目には遭ってますけどね」

紐井君という男は、どうやら激しく運のない人らしい。

死にそうだけど死なない。死なないけど死ぬほど酷い目に、実は毎年遭っているのだそうだ。

自宅水没の後、彼は千葉の実家に戻った。

実家は電車の本数も少ない、千葉の中でも田園地帯の彼方にあった。はっきり言えば田舎だ。

その晩、友人の家に遊びに行っていた紐井君は、自転車で夜道を走っていた。街灯らしい街灯もなく、薄暗い自転車のライトだけが頼りである。夜霧に少し湿ったアスファルトが黒々と光っている。

ふと気付くと、どこからか音が聞こえてきた。

(……どがっ、どがっ、どがっ、どがっ、どがっ)

固い地面を踏み鳴らしながら、何かがぐんぐん迫ってくるようにも感じられる。

(な、何だ?)

紐井君は何物かの気配を感じて、ふと後ろを振り向いた。

鬱蒼とした闇の中に、赤い光がふたつ浮かんでいた。

その光はちらちらと輝きながら、どんどんこちらにやってくる。地面を踏み鳴らす音も更に高らかに迫ってくる。

このままでは追い付かれてしまう。

相手が何なのかはこの時点では分からなかった。とにかく、追い付かれまいと必死になった紐井君は、全力でペダルを踏み始めた。しかし紐井君に追い付こうとしているのか、赤い光は地面を踏み鳴らす音をより強烈に響かせながら、ますます近付いてきた。

「ひ、ひぃぃぃぃぃ!」

次の瞬間、後ろを振り向いたままペダルを踏むことの危険さを、紐井君は文字通り痛感することになった。ペダルを踏み下ろした瞬間、不意に身体が軽くなったのである。彼を乗せた自転車は、ガードレールのないカーブから崖下に向かって空を飛んでいた。より正確には、緩やかな弧を描きながら落ちていった。

落ちたところは幸いにも田圃の中だった。

柔らかい泥の上に落ちたおかげで、自転車と一緒にもんどり打って落ちた割には、大きな怪我をせずに済んだ。が、彼が落ちるのとほぼ同時に、彼のすぐ側に大きな塊が落ちてきた。

イノシシだった。

赤い光の正体は、イノシシの目だったのだ。紐井君の後を追って一緒に崖下の田圃に落ちたイノシシは、子供の身体よりはるかにでかい大物だった。だが、上半身から泥の中に落ちたせいか、そのまま泥の中で窒息してしまったらしくピクリとも動かない。

紐井君は、腰まで田圃に埋まったまま、死んだイノシシの巨体とともに朝を待つしかなかった。

「……そりゃ大変だったね」

「ええ、でも死ななかったし」

それから一年もしないうちに、次の事件が起きた。

山の中を散歩していた紐井君は、立派な栗の木を見つけた。折しも季節は秋。見上げると青々とした栗のイガが、たわわに実っている。

少し、貰って帰ろうかと思い立ち、樹の幹を揺すってみた。

ぼとぼとと降ってくるイガ栗に混じって、何やら紐のようなものが落ちてきた。

「ん?」

それはマムシだった。

あっ、と思ったときには紐井君は右足の腿を噛まれていた。

(毒蛇に噛まれた!もう、今度こそダメだ!)

そう思いながら、紐井君は必死になって生き延びる努力をした。

血清だ。血清を打てば助かる。

まず麓に降りなければ。

誰かを呼ばなければ。

講じるべき策は、一瞬のうちにほぼ同時に湧き上がった。たった一人できてしまっているので、とにかく声を上げて助けを呼んだとき、誰かが来てくれるくらいのところまでは自分で降りなければならない。

そう思った紐井君は、山道を降りようとした。

(待てよ。足をマムシに噛まれてるんだ。足を使ったら毒の回りが早くなるかもしれない)

恐らく本人は本人なりに、冷静になろうとした結果だったのだと思う。噛まれた足をできるだけ使わず、そして一刻も早く麓に降りるために、彼は山道に身体を横たえてゴロゴロと転がり出した。

「結構体力が要りましたねー」

幼稚園のときに経験したことはないだろうか。横向きになってゴロゴロ転がるのは、あれはあれで全身運動なのである。普通に降りれば大したことのない噛まれ傷だったのだが、全身運動で血の巡りをよくしてしまったため、マムシの毒の巡りは普通よりも早くなってしまった。

何とか血清は間に合ったものの、毒の回った紐井君の身体は普通の三倍くらいにぱんぱんに腫れ上がったそうである。

「そ、そう……大変だったね」

「ええ、でも死ななかったし」

今年の始め頃、春一番はとっくに過ぎたというのに、関東ではやたら強い風が一日中吹いたことがあった。雨こそないものの、台風並みの突風が吹きすさぶ中、紐井君は出先から家に帰る途中だった。

駅の階段を下りていたところ、折からの突風が彼の背後から吹き付けてきた。段の下まで、まだ五段以上ある。なのに、まるで意地の悪い誰かに突き飛ばされたかのように、紐井君の身体は宙を舞ってしまった。……舞ってしまった挙げ句に、顔から落ちた。

「ごっ……」

落ちた瞬間の音は、意外に鈍い音だった。

痛みというよりしびれのようなものが、顔の下半分を中心に広がっていく。強かに打ちつけたのは、どうやら口だったらしい。一瞬の混乱から立ち返ると、自分を中心にちょっとした血溜まりが広がっていくところだった。

(い、いかん。このままでは救急車を呼ばれてしまう!)

素直に救急車に乗ればいいものを……と思うのだが、救急車が来るまでの間、血塗れのまましゃがみ込んでいるのは嫌だった。通りすがりの人の笑いモノになってしまう!

「あは。えへえへ。あはははは……」

紐井君は、血塗れの彼の姿を呆然として見つめる見ず知らずの野次馬に向かって、照れ笑いとも愛想笑いとも取れる笑いを浮かべながら、そのまま近くの歯医者に飛び込んだ。

「……首とか折らなくてよかったね。本当に」

「ええ。でも死ななかったですしね。大体、いつもこうなんですよ。おみくじ引けば三回に二回は凶だし、いつも必ず『死ぬほど酷い目に遭いますが、決して死なずに済むでしょう』って出るし。まぁ、死なないで済むんなら、このくらいのことは人生のスリリングな味付けだと思えば結構楽しめますよ」

なお、下の前歯四本+上の前歯一本を直すのに、五十万円掛かったそうである。

何が悪いのか分からないが、このまま彼が元気に不幸に遭い続けることを願うより他にない。

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