館林の女 高津戸峡のはねたき橋(群馬県みどり市大間々町) | コワイハナシ47

館林の女 高津戸峡のはねたき橋(群馬県みどり市大間々町)

群馬県東部のみどり市大間々町には、心霊スポットとして有名な高津戸峡のはねたき橋がある。昔はいかにも不気味な吊り橋だったが、飛び込み自殺が跡を絶たないことから、雰囲気を変えるべく、美しい橋に造り変えられた。歩行者専用で中央付近にベンチがあり、夜間は街灯が点く。橋の下を流れる渡わた良ら瀬せ川がわ沿いには遊歩道があって、大勢の人々が散策や観光に訪れる上、警察もパトロールを行っている。

したがって以前と比べれば、だいぶ自殺が起き難い状況になったのだが、現在でも飛び込み自殺は発生していて、毎年数名が亡くなっている。また、およそ五百メートル下流には車が通れる赤い橋、高津戸橋が架かっていて、そこから飛び込む者もいるという。

さて、五十代の男性N田さんは、五月の朝に奥さんを車に乗せて、はねたき橋を訪れた。地元在住で土地勘がある彼らは、渡良瀬川の左岸を通る裏道に車を乗り入れ、周辺の散策をしようと考えていた。天気は良かったが、平日のせいか、珍しく他に人気がなかった。すぐ上流には高津戸ダムがあり、橋の袂にはダムの建設工事中に事故で亡くなった人々の慰霊碑が建てられている。N田さん夫妻はその近くに車を駐めて降車した。

そして歩き出したとき、いきなりダムのほうから全身びしょ濡れの若い女性が現れた。Tシャツにジーンズ姿で、長い髪は乱れ、水を滴らせながら弱々しい足取りで歩いてくる。項垂れて、こちらを見ようともしない。N田さん夫妻は唖然として立ち止まった。

(うわ、幽霊か?)

N田さんは息を呑んだが、怖いとは思わなかった。夜ではないし、どう見ても生きた人間としか思えなかったからである。入水自殺を図ったが、失敗したのであろう。

ダムの手前の路肩に金網が張られた柵が設けられている。女性はその金網を掴むと、柵を登り始めた。柵の向こうにはコンクリートの絶壁が口を開けている。「危ない!」夫妻はほぼ同時に駆け出して、女性の腰の辺りを掴み、引き止めようとした。

「やめなさい!」

「待って!」

女性は二人の制止を振り切って柵を乗り越えようとする。華奢な身体つきをしているわりに力が強くて、二人がかりでもなかなか下ろすことができなかった。こうなれば仕方がない、とN田さんが力任せに引き摺り下ろそうとすると、女性は柵から滑り落ちて転倒し、後頭部を打った。ひと声唸って、大の字に伸びてしまう。脳震盪を起こしたらしい。

「まあ、大変!」

「えらいことになったなあ!」

女性は顔面蒼白で目を閉じていて、呼びかけても肩を揺さぶっても反応がなかった。救急車を呼ぶべきだったのかもしれないが、N田さん夫妻も気が動転していて、思い至らなかった。とはいえ、介抱していると、五分ほどして女性は目を開けたという。

「……ここは、どこですか?」

「みどり市の大間々です。あなたは、どちらから来たんですか?」

「……館林から、来ました」

群馬県の東南端に近い館林市は、ここから車で一時間ほどかかる。見たところ、二十四、五歳と思しき女性は、上半身を起こして訥とつ々とつと身の上話を語り始めた。

「最近、仕事が上手くいかなくて、嫌なことばかりで落ち込んでいたんです。鬱気味でした……。毎日毎日、もう死ななきゃ!と思っていたんですが……そこから記憶がないような……気がついたら、ここに倒れていたんです」

女性は話すうちに少しずつ、元気になってきたようであった。衣服はまだ濡れているが、真夏のように暑い日だったので、風邪を引くこともなさそうである。館林市まで帰るには、東武鉄道に乗らなければならない。N田さん夫妻は車で女性を東武鉄道の最寄り駅まで送ってやることにした。その車内で女性は、

「あたし、よくとり憑かれるんです。自殺した人の霊に呼ばれたのかもしれません」

と、過去の体験談を口にした。

彼女は数年前まで県外の大学に通っており、アパートで一人暮らしをしていた。ある休日、女友達と会って食事をする約束をしていたのだが、当日になって友達が風邪を引き、中止になった。その日、ちょうど待ち合わせをしていた場所で車が歩道に突っ込み、歩行者が死亡する事故が発生している。時間帯も同じ頃だったので、もしも予定通りに行動していたら、二人とも巻き込まれていたことだろう。

彼女は被害者たちのことが気の毒に思えてならなかった。自分たちの身代わりになったような気がして心が痛む。そこで後日、一人で事故現場へ行き、花束を供えて手を合わせた。目を閉じて冥福を祈っていると──。

「ウ……。ウォ……。オ……」

後ろから人の声が聞こえてきた。

「マ……エ……」

苦しそうに、喉の奥から絞り出すような声であった。

彼女が振り返ると、すぐ後ろに女が立っていた。口の周りが吐血で汚れており、髪は乱れ、白く濁った目を剥いている。あちこちの骨が折れているのか、身体が横へ〈くの字〉に曲がっていた。

「ごめんなさい!ごめんなさい!」

咄嗟に彼女は謝っていた。だが、女は土気色をした顔を無遠慮に近づけてくると、血だらけの口を開閉させた。

「オマエガ、シネバ、ヨカッタ、ノニ……」

「何やってるのっ!しっかりしなさいっ!」

気づいたら衣服を着たまま、水風呂に浸かっていた。彼女は母親に肩を掴まれ、揺さぶられていたのである。

「ひゃっ、冷たい!」

慌ててバスタブから飛び出したが、身体の震えが止まらない。

母親の話によれば、彼女はアパートへ帰るなり、館林の実家に電話をかけたらしい。そして「とり憑かれたの!もう駄目だあ!私も死ぬの!」と何度も叫んだ。

「どうしたの!?何があったのか、説明しなさい!」

母親が幾ら訊ねても彼女は同じことを叫ぶばかりでまともに答えようとせず、やがて一方的に電話を切ってしまった。電話を何度かけ返しても出ない。母親は心配してすぐに家を出ると、車を飛ばしてアパートまでやってきた。呼び鈴を鳴らしても返事がないので、預かっていた合い鍵を使って部屋の錠を開け、室内を調べたところ、風呂場のドアが開いていた。そして水道の蛇口から飛び上がらんばかりに冷たい水が流れ出しており、彼女が虚ろな目をしてバスタブに座り込んでいたそうである。

「わ、私……な、何で、そ、そんなことを、したんだろう……?」

彼女自身、わけがわからなかった。いつまでも震えが止まらず、これが原因で風邪をこじらせ、何日も寝込む羽目になったという。

(この子、精神が不安定で幻覚が見えたり、記憶が飛ぶことがあるんだろうな)

N田さんはそう思ったが、黙っていた。

ちょうど女性の話が終わったところで駅に着いた。時間にして五分程度であった。女性は入水した際に財布を落としたのか、金を持っていなかったので、N田さんは千円札を手渡し、改札にいた駅員に事情を告げて「館林まで帰らせてあげて下さい」と頼んだ。

「本当に、ありがとうございました」

女性は深々と頭を下げた。駅員に誘導され、構内踏切を渡ってホームへ向かう。

電車は既に到着していて発車時刻を待っていた。小さな駅なので駅前のロータリーから、柵を挟んでホームの様子が見える。N田さん夫妻はそこから女性を見送ることにした。

電車が発車する。ところが……。

女性は電車に乗らず、まだホームに立っていた。項垂れている。しかも──。

不意に女性の後ろから人影が現れた。四十がらみの男女が一人ずつ。暑い日なのに、男は黒いスーツ姿で、女は臙えん脂じ色いろのセーターを着て、厚手のスカートに黒いタイツを穿いていた。どちらも全身ずぶ濡れで、頭が割れて血を流しており、顔は醜く歪んでいる。

「何だ、あの連中は?」

「えっ、誰のこと?」

「ほら、あの女の子の後ろにいるだろう」

「あの子の他に、誰がいるの?」

奥さんには女性の背後にいる男女の姿が見えていないらしい。N田さんは男女の正体を察して、少しの間だったが、じっとしていられないほどの悪寒に襲われた。

「……もう、行こう」

「放っといていいの?」

「何とか、してくれる、だろ。駅員に、頼んで、おいたから……」

元々、この日ははねたき橋に立ち寄ったあと、さらに山奥にある広い公園まで行く予定を立てていた。それに、あの男女がこちらを見ているようで恐ろしかったのである。

N田さん夫妻は公園へ行き、園内にある鍾乳洞を見学したり、食堂で昼食を食べて楽しく過ごした。そして夕方近くになって帰宅しようと車を走らせていると、高津戸峡の上空をヘリコプターが旋回していることに気づいた。

『ここでヘリコプターが飛んでいれば、はねたき橋か、下流の赤い橋から飛び込んだ者がいる可能性が高い』と地元では言われている。N田さん夫妻がはねたき橋のほうへ行ってみると、警察と消防が捜索に当たっていた。野次馬も大勢いて、N田さんはその一人から、

「橋から女性が飛び込んだそうですよ。流されていったんだって」

という話を聞き出した。

(まさか、午前中に出会った女の子が……)

N田さんは気になって仕方がなかったが、飛び込んだ女性はなかなか発見されず、諦めて帰宅した。その晩から毎日、地元のマスコミ報道を見逃さないようにしていたものの、この一件の顛末が伝えられることはなかった。ただし、N田さんは、自殺したのはあの女性だと確信しているという。

六月の小糠雨が降る夜、彼はその日の仕事を終えて帰宅した。庭に車を駐めて降りると、異様な姿をした複数の人影が、近くに立ってこちらを見つめている。

(あれは……)

前に駅のホームで見かけた黒いスーツの男と臙脂色のセーターを着た女、そして──。

館林から来たあの女が、二人の後方に佇んでいた。彼女も他の二人と同じく、飛び込んだ際に川底の岩に激突したのか、頭から血を流しており、身体中がぐっしょりと濡れている。N田さんは驚いて立ち竦んだが、じきに三人の姿は消えてしまった。

(やっぱり死んでいたのか……。かわいそうなことをしてしまった。あのとき俺たちが、もっと親身になって面倒を見てやっていれば……)

N田さんは後悔した。このときは気の毒に思えてならなかったという。

だが、それから男女三人は三日にあげず、N田さんの前に姿を現すようになった。

夜中にふと目が覚めると、ベッドの脇に立ってこちらを見下ろしている。車を運転中、バックミラーに数秒間だが、姿が映ったこともある。危うくハンドルを切り損ねて事故を起こすところであった。仕事中、職場に現れることも多い。三人の姿はすぐに消えてしまうので気にしないように努めるのだが、その日は決まって仕事で大きな失敗をする。家にいても何となく落ち着かず、夜もぐっすり眠れないので体調が悪くなってきた。

奥さんに相談すると「御祓いを受けたほうがいいよ」と言う。そこで神社へ行って御祓いを受けたものの、効果は出なかった。その夜も男女三人はN田さんの自宅に現れ、生前に助けた〈館林の女〉が、

「御祓いなんかしても、無駄ですよ……」

と、声を発した。

それ以後、三人は少しずつ話しかけてくるようになったという。

「橋に行ごうよう」

「あんたも、川に飛び込めよう」

どことなくピカソのキュビスム作品を思わせる歪んだ顔に変化はなく、口元も動かないのだが、声がN田さんの耳元で大きく響く。その頃からN田さんは、奥さんと些細なことで喧嘩をするようになった。すると家にいるのが無性に嫌で堪らなくなってくる。

やがてある日、また仕事で失敗したN田さんは家に帰らず、夜更けにはねたき橋へ行き、

(ここから飛び込んでしまおうか。楽になれそうだな……)

真っ暗な渡良瀬川のほうを見下ろしながら、ぼんやりとそう考えたことがあった。

(いや、駄目だ!俺は何を考えているんだ!)

じきに我に返ったのだが、振り返ると、後ろにいつもの男女三人が立っていた。珍しいことに三人はこのとき、声を立ててN田さんのことを嘲笑していたという。

それから一年近く経つが、N田さんは別の神社で御祓いを受けたり、寺で護摩焚きをしてもらったりして、何とか難を逃れている。しかし、今でも三人は頻繁に姿を見せており、N田さんは渡良瀬川に飛び込んで死にたくなることがあって、困っているそうだ。

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