黒いニット帽(群馬県) | コワイハナシ47

黒いニット帽(群馬県)

群馬県某所の総合病院で働く女性看護師のBさんから伺った話だ。この病院の近くには、〈曰いわくつき〉とされる踏切がある。

今から十五、六年前の夜、Bさんが夜勤をしていると、事故に遭った初老の小柄な男性が運ばれてきた。自転車に乗っていて踏切を渡ろうとしたときに、普通電車と接触したのだという。もっとも、駅の近くで電車はかなり速度を落としており、男性も咄嗟に自転車ごとよけようとしていた。そのため軽く電車と接触して転倒したものの、軽傷で済み、医師の問診にも的確に答えることができた。認知症や酒に酔っていたわけではなかったのである。

それでも念のため検査を行うことになり、男性患者の胸部や背中のレントゲン写真を撮影した。当時はまだデジタルではなく、フィルムが使われていたのだが、医師はできあがった写真を見て、渋い顔をした。

「あ、手が写っちゃった。撮り直して」

Bさんも写真を見ると、確かに五指の長い大きな手が胸部を覆い隠していた。男性患者が肘を曲げて胸部に手を当てているように見える。Bさんは不可解に思った。

(この患者さん、意識はしっかりしているのに、何で胸の前に手を出したんだろう?)

レントゲン写真を撮り直すと、今度は綺麗に撮れていた。結局、大きな怪我はないことがわかったが、男性患者は診察と治療が終わってから、奇妙なことを口にした。

「信じてもらえないかもしれませんが……踏切を渡っていたらね、急に後ろから腕を強く引っ張られたんですよ。で、振り返ったら、黒いニット帽を被った男が立っていたんです。全然知らない男でした。そいつと目が合ったら、蛇に睨まれた蛙みたいに身体が動かなくなっちゃって、踏切の外へ出られなくなったんです。……電車が見えてきたときは、もう駄目かと思いましたよ」

だが、そこで〈黒いニット帽の男〉は姿を消してしまった。同時に男性患者は身体を動かせるようになったので、間一髪で命拾いをした、というのである。

Bさんは気になって、男性患者が帰ってから、失敗した写真をもう一度確認してみた。そのとき、異変に気づいたという。

本来のレントゲン写真なら、骨が白くくっきりと写るはずなのだが、先程の大きな手には骨が見当たらない。手の肉と皮膚が灰色に写っているだけなのだ。それに男性患者は小柄で、手も大きくなかった。一体、何が写り込んだのか?Bさんは考えるうちに寒気立ってきた。

それから数ヶ月後の夕方、Bさんがその日の勤務を終え、車に乗って帰宅しようとしたときのこと。踏切を渡ろうとすると警報機が鳴り出したので、車を停めて待つことにした。遮断機が下りてくる。彼女の車の前に他の車は停まっていなかったが、七十五、六歳くらいの老婆がいて、電車の通過を待っていた。

と、そこへ──踏切の真ん中に、黒ずくめの男が現れた。身に着けているニット帽、ブルゾン、ジーンズ、靴のすべてが黒い男であった。

(何やってんの、この人!危ないじゃない!)

非常事態にBさんは狼狽した。そのため、〈黒いニット帽の男〉の目撃談をすぐには思い出すことができなかった。Bさんは車窓から顔を出して叫んだ。

「危ないですよっ!出て下さい、早く、踏切からっ!」

しかし男は何も答えず、微動だにしなかった。見たところ、四十がらみで身体つきは中肉中背、肌は浅黒く、鋭い目つきをしていた。

「早く出てっ!」

何度も呼びかけたが、男の反応はない。そのうちに電車が近づいてきた。駅の近くで減速しているとはいえ、まともに衝突すればただでは済むまい。遮断機の前に立っていた老婆は、黙っていて動かなかった。Bさんは車から降りて、踏切の非常ボタンを押そうとした。

ところが、次の瞬間、男の姿が消えた。電車が通過してゆく。

やはり踏切の中に男の姿はなかった。

このときになってようやくBさんは、以前に男性患者から聞いた話を思い出した。

(あれが、〈黒いニット帽の男〉なのかな……)

急に怖くなってきて、踏切を渡り終えたところでバックミラーを覗いた。

すると、〈黒いニット帽の男〉がまた姿を現していた。今度は踏切から外れた線路の上に立って、こちらに背を向けている。その前に先程の老婆が佇んで向かい合っていた。男と、何か言葉を交わしているように見えた。

(あのお婆ちゃん、大丈夫かしら?)

Bさんは老婆のことが心配になったが、後ろから他の車が踏切を渡ってきていたので、車を停めるわけにはいかなかった。結局、気になりながらも、そのまま帰宅したという。

翌日、出勤したBさんは近くの線路で人身事故が起きたことを知った。この日は電車で通勤している他の職員から聞いたのだが、事故があったこと以外は何もわからなかった。

けれども、その翌日には詳しいことがわかってきた。通院している女性患者が近所に住んでいて、一部始終を目撃していたそうで、鉄板の油に火を点けたように喋りまくったのだ。

この女性の自宅は線路沿いにある。二日前の晩、庭で飼っている犬が激しく鳴くので窓を開けて外を見ると、線路と庭を隔てる柵の向こうに人影が動いていた。月明かりを頼りに目を凝らすと、老婆が一人、石に躓つまずきながらふらふらと歩いている。女性は気になって庭へ出てみた。老婆は立ち止まり、線路の上に座ってから仰向けに寝転んだ。

「あっ、お婆さん、そんな所に寝ちゃ駄目よっ!」

女性は柵越しに説得しようとしたが、老婆は返事をしない。そこへ轟音を響かせながら、電車が近づいてきた。

「お婆さん、よけてっ!逃げてっ!」

老婆は目を合わせようとせず、既に死んだように動かない。電車の運転手も気づいたのだろう、ブレーキを掛ける耳障りな高音がけたたましく響く。

だが、間に合わなかった。老婆は電車に轢き潰された。

血が迸って、赤黒い飛沫が女性の着ている衣服にまで飛んできた。

老婆は首を切断されていた。ちょうど車輪が通る位置に寝て、わざと首を切断させたらしい。大騒ぎになった。首は吹っ飛んでなかなか発見されず、長い時間が経ってから、少し離れた民家の庭に植えられていた桜の木の枝に引っ掛かっているのが発見されたという。

さらに警察が取り調べに来て、亡くなった老婆もBさんが働く病院の患者であり、長年にわたって通院していたこともわかった。事故ではなく、長患いを苦にしての自殺、とされたのだが……。

(その人、私が見たお婆ちゃんだわ)

Bさんは、老婆が自殺する前に〈黒いニット帽の男〉と立ち話をしていたことが心に引っ掛かっていた。そしてあの日、引き返して声をかけてやらなかったことを悔いたそうである。

なお、老婆の首が発見された桜の木は本来、桜色の花を咲かせていたが、翌年の早春から首がぶら下がっていた部分の枝だけは、血を浴びたような赤黒い花が咲くようになった。Bさんもその花を見たことがある。加えて数年後には、

「血まみれの老婆の生首が、桜の木の枝に現れる」

との噂も流れるようになった。

真偽は定かでないが、その家の主はひどく気味悪がって、桜の木を伐採してしまった。それ以後、Bさんは老婆の生首に関する噂話を聞かなくなった。しかし、〈黒いニット帽の男〉の目撃談は今でも耳にする。相変わらず黒ずくめの出で立ちで、踏切の遮断機が下りてから線路上に現れ、電車がやってくると姿を消してしまうという。

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