夏の廃屋(群馬県桐生市) | コワイハナシ47

夏の廃屋(群馬県桐生市)

群馬県東部の桐生市には群馬大学のキャンパスがあり、日本全国から集まった大学生たちが暮らしている。香川県出身の男性Xさんも卒業生の一人である。今から三十年ほど前、彼は大学近くのアパートに住んで通学していた。当時の学生用アパートはエアコンがないのが当たり前で、夏場は蒸し暑くて眠れない夜が続く。学友たちも同様で、毎晩外で夕涼みをしながら話し込むのが日課になっていた。ある晩、男子学生Aがこんな提案をした。

「山奥に、旅館が潰れて廃屋になったのがあるんだよ。今から探検に行ってみないか」

こうしてXさんとA、他にBとCが、桐生市梅田町の山奥まで行くことになった。車を持っているのはXさんだけなので、彼が愛車を運転する。途中から民家は一軒もなくなり、道は未舗装になった。渓流に沿って、車一台通るのがやっとの隘あい路ろが延々と続いている。

「ほんとに、こんな所に旅館があったのかい?」

Xさんは不安になったが、Aの案内で前進を続けると、渓流沿いに平坦な土地が見えてきた。池の跡らしき窪みや駐車場の跡と思しき広場もある。車から降りて懐中電灯を向けると、竹林に囲まれた立派な日本家屋が見えた。猟師や釣り人が泊まる宿だったらしい。

せっかく来たんだ、入ってみようぜ、ということになったが、廃屋とはいえ、勝手に入り込めば不法侵入になるので、Xさんは気が進まなかった。だが、腰抜けと思われるのは不本意である。やむを得ず、皆と一緒に扉が壊された入口から廃屋に入った。床はかなり朽ちていて、気をつけて歩かないと踏み抜く恐れがあった。

「おうい、こっちに日記があるぞ!」

Cの声が聞こえる。Xさんたちが行ってみると、食堂と思しき板張りの広間があり、その隅に机があって、Cが手紙をまとめたような紙の束に灯りを当てていた。

『十一月十日、息子に仕送りをした。あの子、いつ帰ってくるのやら』

『十二月三十一日、息子は今日も帰ってこない』

紙は汚れていたが、綺麗な文字がインクで綴られている。それをXさんが読み終える前に、横にいたBがやにわに立ち上がってガラスが割られた窓に近づき、外に灯りを向けた。

「どうした?何か見えるのか?」

Xさんが声をかけてもBは真剣な面持ちで、すぐには返事をしなかった。何事かと、Xさんも窓に近づき、灯りを外に向けてみると、そこは宿の裏手で小さな沢が流れている。真っ暗で不気味なだけで、何も変わったものは見えなかったのだが……。

「帰ろ……」

Bの声は緊張していた。

「何だよ、急に?」

「まだ探検は始まったばかりじゃないか」

「いや、駄目だ。帰ろう!ここ、やばいよ!」

Bの表情が強張っている。ただごとではなさそうだ。元々乗り気でなかったXさんばかりか、AとCも押し切られる形で引き揚げてきた。

帰路の車内でBに話を聞いてみると──。

先程彼は誰かに見られているような気がして、窓のほうに目をやった。外に誰かがいるらしい。窓に近づいて沢に灯りを向けると、水の中に白髪頭の老婆が立っていた。灯りも持たず、びしょ濡れの和服姿で、真っ青な顔をしてこちらを見つめていたという。

「そんな婆さん、俺には見えなかったけど……」

Xさんは苦笑した。内心では気味が悪かったそうだ。

「Bには見えて、Xには見えなかった、ってことか」

「それって、幽霊ってことじゃないのか!」

AとCは盛り上がっていたが、Bは浮かない表情をして黙り込んでしまった。

それから一週間が経った。小雨が降る蒸し暑い夜である。Aがまた皆を誘ってきた。

「今夜も寝られそうにねえな。もういっぺん、廃屋へ涼みに行こうぜ」

「俺、もう行かない」

Bは首を横に振った。彼はあの夜から風邪を引いて、体調があまり良くないのである。

Xさんも一度は断ったのだが、

「Xは来てくれよ。車を持ってるのがおまえしかいないんだから。運転が嫌なら、俺が代わりにしてもいいから。頼むよ」

Aにしつこく頼まれて断り切れず、同行する羽目になった。結局、XさんとA、C、それから新しく加わったDとEの男ばかり五人で行くことになった。今度はAが運転し、Xさんが助手席、後部座席に他の三人が乗って出発した。廃屋へ向かう細い山道を登ってゆくと、旅館があった頃の名残なのか、人家がないのに外灯が数多く立ち並んでいた。車にエアコンがついておらず、小雨が入らない程度に窓を開けて走っていたので、蛙の声が喧かまびすしく聞こえてくる。Xさんが山道を見ていると、蛙が次々に車の前に飛び出してきた。

「うわ、困ったな。蛙、轢いちゃってるよ」

Aが苦笑しながらも車を進めると、道の上を跳ねる蛙の数が増えてきた。アマガエルが多いが、シュレーゲルアオガエルやヤマアカガエル、アズマヒキガエルもいる。鳴き声も大音響になってくる。やがて道全体がカエルの大群で覆われたようになってきた。その光景を見たXさんは我慢ができなくなった。

「ストップ!もう帰ろう!無駄な殺生はしたくない!」

Aは一度車を停めた。そして皆に「どうする?」と訊いた。

後部座席の三人は、

「いいじゃねえか、たかが蛙だろ」

「ここまで来て帰れるかよ」

「前進あるのみ!」

道路の様子がよく見えていなかったらしく、先へ進みたがった。

「そうだよな。行くか」

Aは車を発進させようとしたが、そこで動きが止まった。

「見ろ!外灯が……」

車を停めていた位置から前に立っていた外灯が、一本ずつ道の奥のほうへ向かって順番に消えてゆく。前方に並んでいた外灯はすべて消えてしまい、ヘッドライトの光が届かない場所は真っ暗になった。ただ後方を振り返ると、外灯は点灯している。Xさんはまるで、

「ここから先には来るな」

と、言われた気がした。

外灯なしでは崖から転落しかねない隘路である。Aも諦めて車を後退させ始めた。道が少し広くなった場所まで後退すると、方向転換してアパートへ引き返すことにした。にぎやかだったAも、後部座席の三人も、帰路はすっかりおとなしくなってしまった。

それ以来、廃屋へ行きたがる者はいなくなったという。

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