船橋のさわりのある鳥居(千葉県船橋市) | コワイハナシ47

船橋のさわりのある鳥居(千葉県船橋市)

筆者は神奈川大学経済学部を卒業後、大学生の間で人気企業だった日本通運株式会社に就職した。当時は人気企業ランキングで上位に入っていた会社だった。平成二年に入社した筆者には同期が数百人おり、俗に言うバブル入社であった。その当時たまたま両親が市川市に住んでいたため、地縁血縁がある地域に配属されるという日本通運の伝統に従って千葉支店に配属された。

千葉支店管内では船橋店の重機建設課に配属された。船橋支店に着任した同期だけでも七人いたと記憶している。その新入社員七人を駅まで迎えに来てくれた先輩社員がA氏であった。年の頃は四十歳前後、薄汚れた背広としょぼくれた風貌はお世辞にもエリートと言う言葉から程遠い窓際社員を連想させた。

「じゃあ、行こうか」

Aさんは我々新入社員たちを船橋支店まで案内した。その時様々な話をしたが、船橋支店に設置された稲荷の話にだけは嫌な顔をしていたのを思い出す。

「入り口の右側にある、あのお稲荷さんはなんですか?」

「あれはちょっとね」

Aさんは、その稲荷に関してはあまり喋りたくないような素振りを見せた。それからしばらくして、この稲荷が普通ではないことに気がつくことになる。

キーッ、ガタン!

車が衝突する音が聞こえた。船橋店の一階にある事務所の窓を開けると、車の往来がよく見える。道路では二台の車が衝突して止まっている。

「あー、また稲荷の後ろ側だ」

誰かがそう叫んだ。支店の全員が仕方ないかと言わんばかりの表情を浮かべている。二、三カ月に一回は事故が起こる。それも決まって稲荷の裏側である。側道が大きな道に合流するポイントであり、事故が起こりやすいのは仕方ないと言えるが、あまりにも多すぎる。不審に思った筆者は、数名のベテラン作業員の口から、その稲荷の由来を聞き出すことに成功した。この稲荷は日本通運船橋店が同地に完成する前から鎮座しており、言ってみれば土地神のような存在であった。そのためだろうか。船橋支店の社員たちは稲荷を腫れ物に触るように扱っていた。

昭和の頃、船橋支店の敷地内にキャノン用の倉庫を建設することになり、その場所にあった稲荷が邪魔だったので動かすことになった。怖くて誰も手をあげなかったが、一人の作業班長が稲荷を抱えると敷地の端っこまで、あっという間に移動してしまった。

「二十世紀に祟りなどあるまいて」

移動した作業班長はニコニコと笑っていた。しかし、その班長は急死してしまった。

「やっぱり、稲荷の祟りだったんだ」

人々はそう噂した。だが、祟りはまだ続いた。もともと稲荷があった場所にキャノン事業所という倉庫が建設された。確か施工は大手ゼネコンが請け負ったと聞いているが、その建設作業中に作業員が落下して死亡すると言う事件が起こってしまったのだ。しかも、落下したところに飛び出た鉄筋があり、それが頸部に刺さって頭部がもげた状態で遺体が発見されたのだ。

「やっぱり、動かしちゃいけなかったんだ?」

当時船橋支店で勤務していた社員たちは震え上がった。このような顛末をベテラン社員の口から聞いた筆者は、船橋支店時代は自分なりに最大限の敬意を払った。そのおかげだろうか、筆者は船橋支店から関東支店、本社と栄転を繰り返し順調なサラリーマン生活を送った。本社から千葉支店に帰ってきたとき、筆者はAさんの訃報に接した。まだ五十代の早すぎる死であった。

「まだ死ぬような歳じゃないでしょ」

筆者は後輩に詳しい事情を聞いてみた。

「それがどうも嫌な話があるんです」

後輩の話によると、Aさんは支店長の車を支店の駐車場内で移動している時、うっかり稲荷の鳥居に車をぶつけてしまったという。

「その直後、Aさんは突然死んでしまったのですよ」

Aさんは稲荷の怒りに触れてしまったのであろうか。しかし、思い返すも残念なのは、船橋駅まで迎えに来てくれたAさんにコーヒーをご馳走になっておきながら、お礼を言えなかったということである。

「Aさん、ごちそうさまでした」

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