十一番目の客(群馬県) | コワイハナシ47

十一番目の客(群馬県)

群馬県北部は由緒ある温泉が多い。例えば北西部の吾妻郡には、草津や四万、万座や鹿沢などの有名な温泉街がある。

二〇〇四年八月、私は吾妻郡の某温泉旅館にて、人生初の百物語の会を催した。『怪談を一夜に百話語れば、実際に怪異が起こる』といわれる百物語には昔から興味があり、東京に住んでいた学生の頃、友人たちを誘ったこともあったが、

「怖いのは嫌だ」

「おまえは馬鹿か。百話やったら、本当にお化けが出るんだろ?」

「呪われるぞ」

と、皆に断られてしまい、実現できなかった。

それ以来、どうしてもやってみたかったのだが、このときも人集めには苦労した。当時の私はプロデビュー前で、怪談好きの仲間が少なかったのだ。古くからの友人たちを誘っても全員に断られて、集まったのは私が妖怪のホームページを運営していた頃に知り合った東京都や神奈川県在住のM美さん、C子さん、T代さんの女性三名と、妻が連れてきたパート先の同僚五名(男性一名、女性四名)、そして私と妻の合計十名であった。

会場の温泉旅館は山奥にある木造の古い建物で、真下に清流が流れている。部屋にエアコンはないが、扇風機だけでも十分に涼しくて、窓を開けるとスミナガシという薄墨色の翅はねに青緑色の光沢がある蝶が舞い込み、少し休んで出ていった。

M美さん、C子さん、T代さんは美術を趣味とする友人同士で、私が以前に顔を合わせたことがあるのはM美さんだけであった。彼女の話によると、T代さんは〈見える人〉で、到着早々、旅館の廊下に〈何か〉がいる気配を感じたようだ、という。

T代さんがどんな体験談を披露してくれるのか、楽しみにしながら午後七時半頃、座敷の電灯を消して百物語を開始した。小道具として燭台を十台用意し、一度に十本の蝋燭を立てて火を点け、一話終わるごとに吹き消してゆく。十話目が終わってすべての火を消すのと同時に電灯を点けて、また十本に点火する。

私が前に出て数話を語ると、他の参加者も用意してきた話を語ってくれたのだが、期待していたT代さんはなぜか一話も語らずに黙っていた。そしてM美さんが午後十一時半頃に「そろそろ寝ます」と告げると、C子さんとT代さんも一緒に退座してしまった。百物語は続いて、小ネタが多かったこともあり、午前一時過ぎには百話目が終了した。

「さあ、怪奇現象が本当にあるものなら、今ここで何かが起こるかもしれないぞ」

私は残っていたメンバーとともに様子を見ることにした。しばらくして、

「さっきから部屋の隅のほうで、ズルズル、とか、大きな動物が這い回っているような音がしてるんですけど、聞こえませんか?」

妻の同僚である若い女性が言う。心なしか、顔が青褪めていた。

だが、私や妻には清流の流れる音しか聞こえなかった。我々は三部屋に分かれて眠り、一泊二日のイベントは無事に終了した。

しかし、T代さんが旅館で何を見たのか、私はずっと知りたいと思っていた。そこで後日、東京で一席設けてT代さんから聞き出すことに成功したのが、以下の話である。

八月のあの日。T代さんは旅館に入ってまもなく、廊下の高い天井の近くを浮遊している〈何か〉の気配を感じ取った。彼女の霊的な存在に対する考え方は独特なものがあって、自然と〈見えてしまう〉わけではないそうだ。

気配がする、何かがいる、と感じると、それまで見えていなかったものが脳の働きによって視覚化する、もしくは見ようと意欲することによって視覚化している──そんな気がするのだという。したがって、目に映ったものが本当にその通りの形状をしているとは限らないし、むしろ違うのではないか、と思うこともある。

さて、百物語が始まると、〈何か〉の気配が会場の座敷に侵入してきた。室内は蝋燭の灯りだけで薄暗かったが、空中にヌメヌメしたものの気配を感じ、やがて体長が二メートルもある巨大なナマコのような、あるいは目もなければ四肢もないオオサンショウウオのような姿が見えてきた。

けれども、大きさや雰囲気が一番よく似ていたのは、子供の頃に見たものであった。東京で生まれ育った彼女は、母親と一緒に神田川に架かる橋を渡っている最中、川面に巨大な泥の塊らしきものが浮上するのを見て驚いた。小舟ほどの大きさがあったそうだ。

「お母さん、あれ何?」

「ヘドロだよ」

当時の東京の川は現在よりも遙かに汚れていた。大人たちは誰も気にしていなかったが、T代さんはその光景が今でも忘れられない。ただし、ヘドロからは生命力を感じなかったものの、旅館で遭遇した大きなものは上下や左右にゆるゆると身をくねらせながら空中を移動し、強い生命力を秘めていそうな気がした。その上、

「山奥から来た」

「水辺から来た」

そんな内容をT代さんの脳裏に直接伝えてきた。そして座敷の空中に現れては消えることを何度も繰り返していた。人に危害を加えることはなさそうなので、T代さんは騒がずにいたが、今見ている光景や過去の体験談を口にすることは控えた。

(百物語がこれを呼び寄せたのかもしれない。そうだとしたら、私まで語ると、もっと悪いものが来てしまうのでは……)

と、嫌な予感がしたからだという。

T代さんの話は実に興味深かったが、その視覚化への過程から、気のせいと考えられないこともない。とはいえ、百物語の終了後には他の女性参加者も『部屋の隅のほうでズルズル、と大きな動物が這い回っているような音がしている』と語っていた。その女性とT代さんは初対面であり、挨拶以外の会話をしていなかったので、示し合わせて創作ネタを吹聴することはできなかったと思う。

百物語の会の参加者は十名だったが、実は十一番目の参加者がいた。それも〈特別な客〉が、本当に来ていたのかもしれない。

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