フットチョーク(群馬県) | コワイハナシ47

フットチョーク(群馬県)

群馬県におけるキャベツの生産量は、常に全国第一位を愛知県と競っているが、負ける年が多い。その群馬県産キャベツの九割以上が、吾妻郡嬬恋村で生産されている。嬬恋村は長野県との県境に面した高原で、夏でも涼しく、冬は畑が雪に閉ざされるので、キャベツ作りは夏から秋に限られている。温暖な気候で冬にキャベツを作る愛知県とは対照的だ。

三十代の男性Vさんは以前、野菜を全国に配送する会社で働いていた。彼の仕事は夏から秋にかけての四ヶ月間、嬬恋村に一人で住み込み、ひたすらキャベツを収穫することである。宿舎は広大なキャベツ畑の真ん中に建てられたプレハブ小屋であった。当時のプレハブ小屋は粗末で、夏の日中は非常に暑くなる。逆に高原なので夜は冷え込む。

また、夏は雷が多発し、稲妻がキャベツ畑に落ちまくる。乗っていたトラックの真横に落ちてきたときは、爆弾が投下されたようで竦み上がった。おまけに水温が低いことから、衣服を洗濯しても汚れが落ちない恨みがある。そんな住み難にくい環境ではあったが、Vさんは辛抱して仕事を続けていた。

ある夜のこと。彼がプレハブ小屋で眠ろうとしていると、不意に上から、ガシッ、ガシッ、ボンッ、ボンッ、という大きな物音が聞こえてきた。その音はあちこちへ移動していて、風の音ではなく、足音のようである。屋根の上を何か大きなものが跳ね回っているらしい。夜のことでもあり、人間の仕業とは思えなかった。

(何だろう?熊でもいるんだろうか?)

Vさんは寝床から起き上がって電灯を点けた。それと同時に屋根の上の足音もやんだ。窓から外を見たが、熊が姿を現すことはなかった。不審に思いながらも電灯を消して眠ろうとすると、また屋根の上から足音が聞こえてくる。電灯を点けると足音は途絶えた。気になったVさんは懐中電灯と、護身用のつもりで大きな鎌を持って、恐る恐る外へ出てみたという。

空気が澄んでいて、頭上には紺青の満天に星が煌めいている。懐中電灯の光線を屋根の上に当ててみたが、何もいないようだ。Vさんは安堵の溜め息を吐いた。

(良かった。やっぱり風の音なのかな?)

しかし、強い風も吹いてはいない。昼間の労働で疲れていたVさんは、深く考えないことにして小屋の中に戻り、横になって眠ろうとした。ところが、電灯を消すと、またもや足音が聞こえてきた。もう気にするまいと目を閉じていたが、足音はやまない。それどころか、ドアや窓にはすべて鍵を掛けていたというのに、何かが部屋に忍び込んできたようで、畳を踏む足音が近づいてきた。

我慢できなくなって目を開け、電灯を点けたものの、何もいなかった。Vさんは電灯を消して眠ろうとした。すると、足音が布団の周りをぐるぐると歩き回り始める。暗闇に目を凝らしたが、もどかしいことに何も見えない。

(いや、俺の気のせいだろう。絶対にそうさ)

Vさんは自分に言い聞かせたが、今度は足音の主が一気にVさんの胸の上に馬乗りになってきた。加えて、目に見えない堅いものがVさんの喉を絞めつけてくる。骨張った足、おそらく脛だろう。総合格闘技にフットチョークと呼ばれる、脛を相手の喉に押しつける絞め技がある。Vさんはまさにそのフットチョークを極きめられていた。

懸命にもがいたが、身体をがっちりと押さえ込まれていて、布団を蹴飛ばすことしかできなかった。Vさんは気道を圧迫され、喉への激痛と窒息により絞め落とされてしまった。

翌朝、夜が明けてきた頃に目が覚めた。室内には彼の他に誰もいない。

(悪い夢でも見ていたんだろうか?)

身体がひどくだるかった。仕事を始めようとしたが、思うように動けない。時間が経つにつれて熱が出てきたので仕事を休み、車で町場にある診療所へ行った。風邪薬と熱冷ましをもらって帰り、それを飲んで寝ていたが、一向に良くならない。悪寒がして、いつまで経っても身体の震えが止まらないのである。

その夜は怖かったので、電灯を点けたまま眠ろうとしたが、昼間も眠っていたせいか、なかなか眠れなかった。それでも目を閉じていると、真夜中になってまた足音が聞こえてきた。昨夜と同じように布団の周りを歩き回り始めたらしい。

(ちくしょう。こんなときに……)

Vさんが目を開けると、目の前に灰色の靄が浮かんでいた。それが凝り固まって人間のような形に変容してゆく。そしてVさんの胸の上に座り込んできた。絶叫しながら夢中で逃げようとしたが、熱があるせいか、身体が思い通りに動かない。相手の姿はぼんやりとしたままだったが、またしてもフットチョークを極められ、絞め落とされてしまう。

朝が来て目が覚めると、熱が上昇していた。

しかも夜にはまたもや足音が迫ってくる。前夜同様、電灯は点けたままにしてあった。

目を開けると、今度は灰色の靄が実体化していた。相手の上半身はぼやけているが、下半身は灰色の長い体毛にびっしりと覆われている。両足の指先には鋭い爪が生えており、人間のように二本足で直立していた。そいつがVさんの胸の上に乗ってきたのだ。さほど太くはないが筋肉質な足でたちまちフットチョークを極められ、絞め落とされてしまう。

三日目の朝には、熱が四十度を超えていた。会社に携帯電話で状況を伝えるのがやっとで、ろくに動けず、何も食べられない。喉が痛くて水を飲むのも辛かった。本来ならまた診療所へ行くべきだが、高熱で思考力が低下してしまい、ただ寝ていることしかできなかった。

その上この日は、足音の主が大胆にも真昼間から現れたのである。毛むくじゃらの姿が、足から肩まで実体化していた。身体は中肉中背のVさんよりもひと回り大きくて、両手の指先にも鋭い爪が生えている。首はなかったという。Vさんはフットチョークによって、わずか数秒で絞め落とされた。

目が覚めると夕方になっており、枕元に男性が座っていたので驚いたが、会社の同僚であった。彼は心配してVさんの様子を見に来てくれたのだ。

「灰色の……毛むくじゃらの奴に……首を、絞められて、熱が、出たんだ……」

Vさんがやっとの思いで経緯を語ると、同僚は眉を曇らせた。

「ここ、悪い場所なんじゃないか。下に下りようぜ。このままだとおまえ、死ぬぞ」

このキャベツ畑は高原の中でもとくに高台にあった。麓に下りると会社が下宿所として使っている民宿がある。初老の女性が経営していて、Vさんも面識があった。そこへ行こう、と同僚に勧められ、Vさんは車に乗せてもらった。既に自力では車を運転することも敵わなかったのである。民宿で一晩様子を見て、病状が好転しなかった場合は入院施設がある大きな病院まで行くことになった。

その夜、毛むくじゃらのものが襲ってくることはなかったという。

驚いたことに、翌朝には嘘のように熱が引いてきた。

さらに翌日。Vさんはだいぶ生気が甦ってきたので、民宿の経営者の女性にプレハブ小屋での体験を語ってみた。すると女性は少し考えてから、こんな話をしてくれた。

「昔、あの土地には古い家が一軒だけあったんだけどね、凄い火事があって、独りで暮らしていたお年寄りの男性が亡くなったんですよ。近くにお墓があるでしょう。あれが、その人のお墓なんですよ」

そう言われてみると、なるほどプレハブ小屋の近くに、ぽつんと小さな墓があった。ただし、Vさんが遭遇したものが火事の犠牲になった老人の死後の姿なのか、別のものなのか、なぜフットチョークを掛けてきたのか、確かなことは何もわからなかった。

それ以後、Vさんはその民宿で寝泊まりして、時間はかかるが、車でキャベツ畑まで通うことにした。彼と同僚が騒いだことから、プレハブ小屋は利用者が誰もいなくなり、数年後に取り壊されたそうである。

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