ゲバラ(群馬県) | コワイハナシ47

ゲバラ(群馬県)

三十代の女性Iさんは、群馬県内のスイミングスクールで子供たちに水泳を教えている。そこのプールでは、コーチが指導中に手足を怪我することや、プールサイドで子供が転んで怪我をすることが頻繁に起きていた。そんな矢先、赤帽子(最下級クラス)の六歳の幼女がプールサイドに腰掛け、両足を水中に下ろした状態で、Iさんにこう告げた。

「先生、男の人が台の下に入ってったよ!」

幼児が多い下級クラスの練習コースには、足が届くようにプールの底に大きな台が設置されている。厚さが三十センチほどあり、大人でも簡単には動かせない重量があった。

人が下に入れるわけがない、と思いながらもIさんは水底の台に目をやった。もちろん、異状は見当たらない。

「そんなことないよ。誰もいないよ」

Iさんは微笑みかけたが、幼女が「あっ!」と声を上げた。

「どうしたの?」

「今、誰かがあたしの足を引っ張ったの!」

Iさんは水中にある幼女の足元を見たが、誰もいなかった。

翌日、彼女は仕事が休みであった。

そして代わりに指導に当たっていた女性コーチが左足の小指に怪我をした。そのコーチは水中を歩いて移動していたとき、何者かに足首を掴まれた感触があって、前のめりになった。転びはしなかったが、小指の先を水底の台に強くぶつけて、爪がべろりと剥がれてしまったのだ。水中には誰もいなかったという。

また何日か経って、Iさんは黄色帽子(バタ足中心)のクラスを担当することになった。子供たちをプールサイドに座らせて足の使い方を教えていたとき、その一人がゴーグルを水中に落としてしまった。Iさんはそれを拾ってやろうと、自分のゴーグルをつけて潜った。子供のゴーグルを拾い、水中で上を向いたとき──。

子供たちの足に混ざって、大人の足が二本、水中にぶら下がっているのを目撃した。子供たちの足は細く短いものだが、その足は明らかに太く長くて、真っ黒な脛すね毛げに覆われている。男の足に違いない。それは膝から下しか見えず、動いていなかった。

Iさんは急いで浮上した。しかし、水上には子供たちが座っているばかりである。

(何よ、今の足は!?)

と、そのとき──。

彼女はいきなり物凄い力で右足を引っ張られた。全身を水中に引き込まれ、右膝を水底の台に打ちつけてしまう。それと同時に台の中から、見知らぬ男の胸までが突き出しているのをIさんは認めた。その両手が彼女の右膝を掴んでいる。

男は口の周りから顎にかけて髭を蓄えており、歯を見せて笑っていた。服を着ておらず、腕や胸は毛深くて、長い黒髪が海草のように揺れている。年の頃は三十代後半か、中南米の革命家チェ・ゲバラに似た、彫りの深いエキゾチックな顔立ちをしていた。

Iさんは慌てて立ち上がろうとしたが、手足が重い石になったかのように動かなかった。その上、急激に息苦しくなってきたという。

(いけない!酸欠になる!)

子供の頃から水泳が得意だった彼女は、過去に溺れかけたことなど一度もなかった。これが生まれて初めて味わう水の恐怖だったといえる。

だが、じきに彼女は今いる場所が日頃使い慣れたプールであり、水深は浅く、立つことさえできれば助かるはずだと考えた。

(落ち着くんだ!)

自らに言い聞かせ、目の前にいる男とは視線を合わせないようにして、

(手足よ、動け。動け。動け。動け)

何度も念じるうちに、彼女の右膝を掴んだ男の手の力が緩んできた気がした。そこでIさんは一気に立ち上がって、水上へ顔を出し、呼吸をすることができた。

再び水中を覗き込むと、男の姿は消えていたが、打ちつけた右膝がやけに痛む。プールから上がったところ、皮膚が裂けて血が迸ほとばしっていることに気づいた。

応急処置を施して病院へ行くと、膝の半月板を損傷する大怪我をしていたことがわかった。そこまで強い衝撃を受けたとは思っていなかったので、Iさんは憮然とした。全治までに三週間以上を要したそうである。

負傷者が相次いだことから、このスイミングスクールでは経営者が神社に頼んで御祓いを受けた。Iさんはあの男がスクールと何か因縁があるのか、気になったが、周囲に訊ねても確かなことはわからなかった。その代わり、ここでは過去にも同じような事故が頻発したことがあり、一度御祓いを受けていたことが明らかになった。

二度目の御祓いが効いたのか、それからIさんはあの男と遭遇せずに済んでいるが、

(前にも御祓いをしたのなら、またいつか出てくるかもしれない)

と、今でも不安に思うことがあるという。

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