カミサマを捨てる(愛知県名古屋市) | コワイハナシ47

カミサマを捨てる(愛知県名古屋市)

「去年の夏、鉄道の監視員の仕事をしてた時ですね、変な話を聞いたんです」

二〇一八年の正月。名古屋在住のヒロシさんから私にメールが届いた。彼とは数年来の知り合いだが、ぜひ聞いてもらいたい体験談があるというのだ。親族への元旦の挨拶のため、東京に出てきている。自分は文章をまとめるのが苦手だから、この機会に直接会って口で伝えたい……とのことだった。

そういった次第で、目黒のファミレスにて昼から酒を飲みつつ、半年前の出来事を語ってもらったのである。

汗ばむような熱帯夜が続いていた。

その夜もヒロシさんは線路脇に立ち、暑気ただよう暗闇の向こうを見つめていた。

終電後の路線において、工事や貨物列車の通行などが安全に進むよう監視するのが彼の役割だ。二人一組でおこなわれるため、向こう側にも今夜のパートナーが立っている。

二十歳くらいの若者で、そちらを仮にAくんと呼んでおこう。

「蒸し蒸しするねえ」

額の汗をぬぐいながら、Aくんに話しかけた。電車の通行がない間は、特に作業することもない。線路の向こうとこちらとで、なんとなくお喋りが始まっていく。Aくんとは初対面なので、まずは軽い自己紹介のようなものが交わされた。

「へえ、あの辺に一人暮らししてるんだ。じゃあ実家は県外?」

「いえ、名古屋です」

Aくんが育ったのは中区のマンションらしく、中心街に近い便利な駅のそば。わざわざ一人暮らししなくてもよさそうなのに、まあ、そこは事情があるのだろう。ヒロシさんは特に追及しなかったが、Aくんの方から口を開いてきた。

「俺、ずっと親に虐待されてたんですよね」

小さい頃は、たびたび両親から暴力を振るわれていた。高校卒業して職に就くようになってからも、通帳を管理され、勝手に給料を抜かれてしまう。一人いた兄も、嫌気がさして遠くに出てしまっている。それでも今までは、父方の祖母と叔父が自分をかばってくれていたのでなんとかやってきた。だがその二人も、少し前にたて続けに亡くなった。

誰かに吐き出したかったのだろう。問わず語りに、Aくんは自らの生い立ちを吐露していった。

「だからもう家を飛び出そうと決めちゃって」

幸い、少しの間なら同居させてくれる友人がいたので、いったんそこに転がり込むことに。しかし自分の親がそれをすんなり許可するはずがない。

トラブルを恐れたAくんは、親に黙ったまま、夜逃げのように脱出することにした。

事前に両親が留守になるタイミングを見定め、友人の車を駐車場につけてもらう。急いで大事な物品だけを段ボール箱に詰めて、次々と車に運んでいった。作業も終わりかと思ったところで、大事なものを忘れていたのに気づく。

ずっと自分を大事にしてくれたお祖母ばあちゃん。その位牌は自分が持っていかなければ。

慌てて部屋にとって返し、仏壇を探ってみるが、位牌は見つからない。そろそろ父母が帰ってきてしまう時間だ。焦りつつ仏壇の裏側を探ると、ぽっかり空いた隙間に、段ボール箱が一つ置かれていた。

開いてみれば、中には二十個ほどの位牌がぎっしり詰まっている。

……なんだこれ、なんでこんな風にしてあるんだよ。

面食らったAくんだが、ともあれこのどこかに祖母の位牌があるのだろう。もう探している暇はないので、箱ごと抱えて友人の車に運び、そのままマンションから遁走していった。

数日が経ち、友人宅での引っ越し作業も片付いてきた。

そろそろお祖母ちゃんの位牌を見つけようと、例の段ボール箱を漁ってみる。聞いたこともない名前の、親族かどうかすらもわからないような位牌の山をひっくり返すうち、祖母の俗名と享年が記されたものを発見することが出来た。

それはいいとして、一つ気になる物体も見つけてしまう。箱の底に、木彫りの像がまぎれていたのだ。不思議なつくりだった。神仏なのだろうが、少なくとも、よくある仏像ではない。初めて目にするような異形だったという。

この木像については、残念ながらどんなフォルムをしていたか不明だ。もしかしたら明王の類かもしれないし、異国の神像かもしれない。しかしAくんはその手の知識がほとんどないため説明できず、私もヒロシさんも見当のつけようがなかった。

ただ、それを見た瞬間、Aくんの中である記憶がよみがえった。

カミサマ……叔父さんが言ってたカミサマって、これか!

祖母が亡くなってすぐ、叔父にも急性の病気が発覚し、もはや余命わずかと診断されてしまった。叔父は独身で家族もいない。弟にあたる父が無視していたのは言わずもがなだし、Aくんの兄も遠方に住んでいる。必然的に、Aくん一人だけが病院へ見舞いに通っていた。

──お前に一つ、頼みたいんだ。

そういえば死に際の叔父が、遺言のように告げてきたことがあった。

──お前の家に、カミサマの像があるはずなんだ。お祖母ちゃんが家のために守ってきたカミサマなんだ。俺が引き継ごうと思ったんだが、こんな体になってしまって……。本当はお前の父親が継ぐべきなんだが、あいつがそれを出来ないのはわかってる。だから俺が死んだら、お前があの家で、カミサマを大事にしてやってくれ。

そうしないと、家が守れなくなる。

それからすぐに叔父は急逝した。葬儀の手続きなどに忙殺され、すっかり伝言を忘れてしまっていたが、目の前にあるこの木像こそ、「カミサマ」で間違いないだろう。

これをどう処理すればいいのか、Aくんは逡巡した。マンションから持ち出してはいけなかったのかもしれない。返しておいた方がよさそうではある。しかし自分は両親と絶縁したつもりだし、二度と顔すら見たくない。マンションに近づくことすらごめんだ。

迷い続けたままに放置し、一か月ほどが過ぎていく。

そんなある時、Aくんの元に兄から一本の電話がかかってきた。

「……おう久しぶり。お前、うち出て行ったんだってな。いや、いいんだよ当たり前だよ。別にどこにいるかも聞かないから……」

その口ぶりからして、こちらの近況を聞きたい訳ではなさそうだ。明らかになにか用事があっての連絡だろう。

「親父もお袋も、あれでガックリきたんだろうな。お前が出て行ってすぐ、急激にボケはじめちゃってな」

今では自分の名前すら満足にしゃべれないほど、痴呆が進んでしまったという。

「あっそう、それならそれでいい気味だよ。そのままくたばってもらって構わないんだけど」

まさか介護を手伝えとも言われかねないと思い、Aくんは素直な感情をぶつけた。

「そうだよな、うん本当にそうだよ。俺も今、両方とも施設にぶちこんでおこうと思ってるところなんだけどさ……」

口ごもりながら、兄が言葉を続ける。

「悪いんだけど、お前、一回だけ家に帰ってきてくれないか?」

「はあ?嫌だよ。俺もう二度とあそこの敷居またがないって決めてるから」

「わかる!それはわかってる!でも施設に入れるにしても、必要な書類だったり家族のサインとか印鑑押したり、色々あるんだよ。あの部屋のどこになんの書類があるか、俺はまったく知らないしさ」

兄は平身低頭して頼み込んでくる。

「今は、親父もお袋も同じデイサービスに通ってて、いつの何時から何時まで確実に留守だってのもわかるから。絶対に会わないタイミングで来てくれればいいから。な、一回だけでいいから!」

事情が事情なだけに、Aくんも渋々応じざるを得なかった。またそのついでに、気がかりだったカミサマの像を返しておくことも出来る。両親がいない日取りと時間をはっきり確認し、実家のマンションで待ち合わせることとなった。

その日、Aくんは木像をリュックに入れ、二度と来ないと思っていたマンションを訪れた。敷地内には、駐車場と中庭のようなスペースがある。実家の部屋は、そこから階段を上がった二階。念のため、玄関に着く前に、歩きながら兄へ電話をかけておく。

「もしもし、今、階段上がってるとこ。マジで親父もお袋もいないんだよな?」

「おお、助かるわ。いやそれは大丈夫。おや…ッ…もおふ…ッ…ろ…外出て……ッ…」

おや、と思った。なぜか通話が途切れ、小さいノイズが入ってくる。

「ちょっと電波悪いんだけど、今二人ともいないんだよな!」

「うん、ふた……ッ…も…ッ……いないか……ッ…」

なんだよ、うぜえな。Aくんは自分のスマホを確認したが、受信は良好だ。長年住んでいても、こうした電波障害に出くわしたことはない。兄のスマホの調子が悪いのだろうか。

ともかく親はいないようだし、もう二階の廊下に着いてしまった。実家のドアは、すぐ斜め前に見える。とりあえずチャイムを鳴らして……。

ぎくり、とその手が止まった。

玄関脇の、台所から廊下に面する窓が横目に見えた。摺りガラスとなっている窓の向こう側には、ぼやけた人影が二つ。

家族だから輪郭だけでわかる。親父とお袋だ。

「ふざけんなよ!」

声を潜めつつ、電話の向こうの兄に怒りをあげる。

「なに嘘ついてくれてんだよ!あいつら家にいるじゃねえか!」

「……え、なに?…ッ……ねえよ…ッ……いから……入ってこ…ッ…て」

くそっ、もう帰っちまおう。そう思ってAくんが踵を返そうとしたところで。

すっ……と摺りガラスの一部が透明になり、父親の顔が半分あらわれた。その片目が自分の視線としっかり合わさってしまう。

驚いて後ずさったところにもう一度。すっ……とまた別部分がクリアになり、母親の顔が見え、やはり目と目が合ってしまう。

すっ…すっ…すっ……摺りガラスに父と母の顔があらわれては消え、またあらわれる。その口元が見えて、Aくんはゾッと背筋を震わせた。

二人は台所側から、窓を舌でなぞっているのだ。べろべろと舐めるたび、唾液で濡れたガラスの曇りが一瞬だけクリアになる。二人のうつろな瞳があらわれ、こちらに向けられる。

なんだよ、なんなんだよ。

こうなるとAくんの中に、怒りの炎が燃え上がってきた。目と目が合った以上、向こうもこちらが来たことを認識したはずだ。ここで帰ったら怯えて逃げたと思われてしまう。

上等だ、こっちから乗り込んでやるよ。

一気にドアノブに手をかける。ガチャリ、鍵はかかっていない。そのまま大きな音をたてて玄関を開ける。靴のまま上がり込んで、キッと横をにらみつける。

しかし父も母も、勢いよく入ってきた自分を見向きもせず、一心不乱に台所の窓にかじりついている。べろべろべろべろ、ガラスを舐め続けている。

おいおい……ここまでボケちまってるのか。

その異常さに気圧されたAくんは、二人を無視して室内へと乗り込んでいった。

「聞いてんのかよ!なんで嘘ついたんだよ!てめえどこいんだ!」

電話の向こうの兄を怒鳴りつける。

「……ッ…ズッ……ズッ……」

応答はなく、ただ先ほどからのノイズが響くだけ。

リビングのドアを乱暴に開く。

そこに兄は座っていた。

奥の窓に向かってあぐらをかいている兄の、丸まった背中が見える。

「おい!」

背後から覗き込んだAくんの声が詰まる。

べろべろべろべろ

ひたすらスマホを舌で舐めている兄の姿が、そこにあった。

──ああ、もういい。もうこんな家、どうなったっていい。

Aくんは、心の根っこが急速に冷めていくのを感じた。

兄にも父にも母にも声をかけず、黙ってつかつかと部屋を去っていった。廊下に出たところでリュックを下ろし、中に入っているカミサマの像をつかんだ。手すりごしに下の中庭へと、それを放り投げた。そしてそのまま、友人の家へと帰っていった。

「……え、じゃあその像って、まだマンションのどこかにあるのかな」

風一つ吹かない夜は、さらに暑さを増したようだ。ヒロシさんは線路ごしのAくんに、そんな質問を投げかけた。

「そうかもしれません。まだそんなに日にちも経ってませんから」

ヒロシさんはまた、鉄路の先に続く暗闇へと顔を戻した。

そろそろ来るはずの貨物列車のランプは、まだ見えてこない。

そんな話を、一つ前の夏に、ヒロシさんは聞いたのだという。

ずっとしゃべり詰めだった彼はそこで一息つき、手つかずだったポテトフライをつまみだした。

目黒という土地柄だろう、元旦のファミレスには和服やスーツで着飾った子どもと、フォーマルな装いの母親がひしめき、我々の周りで談笑している。

「……それでですね、僕、ぜひともカミサマを見つけないといけないって気になっちゃって。半年間ずっと、そのマンションを探し続けてるんですよ」

最寄り駅は判明している。しかしその一帯はマンションが数多く乱立している。手がかりは駐車場と中庭があり、廊下の窓が摺りガラスというだけ。

それでもヒロシさんは丹念に、この半年間、暇を見つけては幾つものマンションを訪ね歩いてきたという。

「ここと……ここなんか怪しいと思うんですよね」

摺りガラスの部屋が並ぶ画像をスマホに表示し、こちらに見せつけてきた。まったく感服するような熱意である。彼もまた怪談マニアであると承知しているが、この話についてはことにご執心のようだ。

「そんな風にうろついてたら、各マンションの住人にだいぶ怪しまれてるでしょうね」

私が茶化すと「え、あはははは、そうでしょうねえ」ヒロシさんはうつむいたまま小さく笑った。

「いや、でもですよ」そこで私に、一つの疑問が湧いてきた。

「なんでその場で、Aくんに詳しい住所を教えてもらわなかったんですか?」

ああ、それなんですけどねえ……。にこやかな表情は崩さず、ヒロシさんが困ったような声を漏らす。

「僕もいちおう聞こうとしたんですよ」

──そのマンションどこにあるの?

そう言いかけ、線路の向こう側に振り向いたところで、喉元まで出かかった声が遮られた。

その夜はとても暑かった。

Aくんもぼたぼたと汗を垂らしている。湿った顔を手でぬぐっているのは、話の途中でも横目に入っていた。しかし彼が奇妙な動作をしていることまでは気づけなかった。

Aくんは、額の汗をふいた手を、そのまま口にもっていき、表面を舌で舐めていた。

右の手のひらをべろり、左の手のひらをべろり、また右の手のひらをべろり。

ずっとずっと、それを繰り返していた。

べろべろべろべろべろ……

「それで思わず、聞きそびれちゃったんですよね」

でも僕もこれからずっと、カミサマの像を探し続けるつもりです。見つけたら吉田さんに連絡していいですか?

私はすぐに返答できず、しばらく相手の顔をじっと見つめていた。

ヒロシさんはこちらに向かって優しく微笑みながら、つまんだポテトフライの先を、べろりと舐めた。

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