成長(東京都新宿区) | コワイハナシ47

成長(東京都新宿区)

マキノさんは続けて、ヒサトくんにこんな話を語った。

「さっきの幽霊が出てこない話とは逆に、俺の人生で唯一〝ハッキリ見ちゃった〟体験なんだけどね」

今も住んでいる西新宿のマンションでの、一年前の出来事。

ベッドで寝ていたマキノさんは、猛烈な腹痛で目が覚めた。下腹がキリキリうずいてとても耐えられない。食あたりの下痢かと、急いでトイレにかけこむ。

マキノさんは自室で一人の時、トイレのドアを開きっぱなしにする癖があった。この時もいつも通り、扉を開放したままだったのだが、その向こうの空間から、妙な気配を覚えたのだという。

──おおい、おおい

甲高い声がする。小さい男の子の、無邪気なかけ声のようだった。

夜中の三時だ。幼児が楽しげに誰かを呼ぶというシチュエーションはおかしい。第一、その声は明らかに室内で響いているのだ。もっと厳密には、さきほどまで寝ていたベッドの上から。

え……?と体をこわばらせた、その時。

とととととっ。開いたドアの前を、人影が歩いていく。

赤いTシャツを着た、身長一メートルに満たない男児に見えた。

そのまま子どもは玄関の方へと姿を消した。

「うわあ!」

ドアを手前にバタンと閉めたマキノさんは、出るに出られず、便器の上で震えていた。結局そのまま、朝の出勤時間まで閉じこもっていたそうだ。

その時と同じような、「おおい、おおい」という男児の呼び声は、今でもたまに聞こえるのだという。

「あ、こうやって話してるうちに思い出した」

怪談を語らううち、忘れていた記憶が引き出されるのはよくあることだ。

「俺、その前にも一度だけ、〝ハッキリ見ちゃった〟ことあるわ」

三年前、世田谷区太子堂に住んでいた時だという。

深夜三時頃の就寝中、これもまた急な腹痛が襲ってきた。トイレで水便を排泄した後、やれやれとベッドに戻る。そのまま瞳を閉じようとしたのだが。

すぐさま、脳が覚醒した。

おさまったかと思われた腹の痛みが、再び復活したのだ。

なんだよ……変なもんなんか食ってねえぞ。

仕方なく起き上がろうとしたところで、違和感を覚えた。自分の下腹の痛み。それはさきほどの下痢のような腸内の呻きとはまた違う。皮膚の外側から伝わってくるようだ。

明らかに、なにかが腹の上で、重くのしかかっている。

ばっとかけ布団をめくった。薄闇の中、股上のあたりで影がもぞもぞとうごめいている。それが、ひたっ、ひたっ、と顔の方へと近づいてきた。

赤んぼうだ。

乳飲み子ほどのそれが、自分の上半身をゆっくりはいずってくる。

悲鳴を上げて跳ね起きたマキノさんは、そのまま外へ飛び出し、夜明けまで部屋に戻れなかったという。

──マキノさんもヒサトくんも、自分たちの怪談ネタを出しつくしたようだ。

仕事の休憩時間も終わりに近づいている。そろそろ持ち場に戻ろうとなったところで、「ああそうか……そういうことかも」

マキノさんは、はたと気づいたような声を漏らした。

「なんですか?」

「いや、その赤ちゃんがもし男の子だったら」マキノさんが目をそらす。

「それがそのまま大きくなってたら……確かに、三歳くらいになってるはずだよなあって」

語っていたのは怪談ばかりだが、この休憩中ずっと、互いに合いの手を入れるなど陽気な空気が続いていた。

だがこの一言を呟いたマキノさんの声と顔は、これまでの付き合いでも見たことないほど暗く沈んでいる。

彼が放埓な女遊びを繰り返しているのは、職場内でも周知の事実だった。

そういえば両体験とも、下の方の腹痛に絡んでいるところが、出産を想起させる。あるいは、なんらかの理由で産まれなかった子について、彼には心当たりがあるのだろうか。

「あ、もう戻らないとヤバいですよ」

ヒサトくんはつとめて明るく、マキノさんをせっついた。

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