おじょうさん(東京都) | コワイハナシ47

おじょうさん(東京都)

今から六年ほど前、愛さんが二十七歳のころに体験した話である。

ある日の正午過ぎのことだった。久しぶりに会う友人と食事の約束があるのでJR新宿駅から中央線に乗り込んだ。

夏休みのためか車内には愛さんのほかに二、三人の乗客しかいなかった。

この年は例年にない猛暑で、効き過ぎている冷房が心地よく思えるほどだ。

愛さんは額から吹き出す汗をハンカチでぬぐいながら、入り口に一番近い端の席に腰を下ろした。

ほどなくして発車ベルが鳴り響き、ドアが閉まる。それと同時に、急ぎ足で誰かが車内に駆け込んできた。

その乗客はため息をつくと、愛さんのすぐ隣の席に腰を下ろした。

乗客は二、三人しかいないのにである。おまけに寄り添うように、愛さんの腕に自身の腕をぴったりと押し当ててくる。

愛さんは咄とっ嗟さに目を閉じて狸寝入りすることにした。

その乗客は、白いワイシャツに紺色のズボンを穿いた中年の男性だった。

こんなに空席があるのに、なぜわざわざ自分のすぐ隣に座る必要があるのか。

おそらく痴漢に違いない。楽しみにしていた友人とのランチも台無しになるような運の悪さ。さてこの変態をどうしよう。どう逃げるか。

愛さんは目を閉じたまま、あれこれと考えたのだが、ふと妙なことに気がついた。

隣に座っている男の体温である。この真夏の最中というのに、男の腕は異常に冷たいのだ。

隣に座られたこと以上にこの男の腕から伝わってくる体温が無性に気味悪かった。

(いったいこのおやじはどんな顔をしているのだろう)

うっすらと目を開け、隣の男の顔を確認してみることにした。

すると男は首をこちらに向け、至近距離で愛さんをじっと見つめていた。おでこに深いシワの刻まれた痩せた男は瞬きもせず、ニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。

驚いた愛さんは、見ないふりをしてふたたび目を閉じる。すると男は、

「おじょうさん、おじょうさん」

耳元に囁くように声をかけてきた。

(やっぱり痴漢だ!誰か助けて!)

心の中で叫んだが、わずかにいる乗客は誰も気がついていないのか、それとも見て見ぬふりをしているかで助けてくれない。

男の異様なまでに冷たい体温と、舐めるような視線を感じながら一駅の間は耐え、次の駅で扉が開いたと同時に電車からホームへと飛び出た。

電車に乗り込んだとき以上の汗をかきながらすぐに車内を振り返ると、そこには誰の姿もなかった。

「ゆうれいになってまでも痴漢したいだなんて、死んでも性癖って治らないんですね」

愛さんは笑いながらそう語った。

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