因果応報(茨城県) | コワイハナシ47

因果応報(茨城県)

ナオキさんがまだ二十代前半のころだから、今から二十年ほど前のこと。

東京の自宅から母親の実家のある茨城県まで、夕方から車で遊びに行くことにした。

遊びに行くといっても心霊スポット巡りだ。茨城県には多くの心霊スポットがあることで有名だったので、近所に住む従兄と一緒に勢いで行くことを決めたのだ。

ナオキさんの車で行くことにしたのだが、そのことを聞きつけたナオキさんの妹のりえさんも一緒に行くと言い出したので、結局三人で行くことになった。

二時間ほど運転して茨城県内に入ると、霊が出るという噂の場所を何ヶ所か巡って行った。しかし、それらしいことは何も起こらない。

夜も深くなり、だんだんとテンションも下がってきた。山道を走りながら、もう東京へ戻ろうということになったときだった。

ナオキさんは山道の途中でふと気になり、車を脇に寄せると停めた。

「ここらへんに心霊スポットがあったっけ?」

そう言いながら車を降りると、従兄もりえさんも「知らないよ」と言いながら車を降りた。

暗闇深い山の中である。小さな外灯があるだけで、他に車も一台も通らない。ナオキさんは懐中電灯を点けて周囲を見回した。

目の前には粗末な石段がある。ナオキさんはまるで招かれるようにその石段を上りはじめると、従兄もついてきた。りえさんもそれに続く。

周りには木々が生い茂っていて、やっと心霊スポットらしい雰囲気になってきたと三人は声を上げた。

階段を上りきると突然開けて、平らな広場のような所に出た。

ただ、あたりは真っ暗で何も見えない。

一番後ろにいたりえさんが「この場所、知っているような気がする」とつぶやいた。

ナオキさんと従兄は広場に出ると急にテンションが上がり、りえさんを置いて奥へと走り出した。

「ハハハ!なんだここ!もっと奥の方まで行ってみようぜ」

「ああ、やっちゃえ、やっちゃえ」

わけのわからないテンションでふたりは広場を駆け回り、興奮状態に陥っている。

広場の突き当たり付近まで来たときだった。

突然、大勢の人がざわめきあうような気配を感じ、ナオキさんは足を止めた。

(なんだ?)振り向こうとすると遠くから、

「だめ!お兄ちゃん、見ちゃだめ!」

りえさんの叫び声が聞こえた。

「え?何?どうした?」

振り返り、一歩踏み出そうとしたが、

「来ちゃだめ!」

絶叫とともに、妹はその場に倒れ込んだ。

そのとき一帯に、何百体もの首なし地蔵が闇の中から浮かび上がってきた。おびただしい数の首なし地蔵は、広場を取り囲むように蠢いている。

ナオキさんと従兄は慌てて地蔵の間を抜けて、りえさんの元へ駆け寄った。その体を担ぎ上げると石段を駆け下り、車に飛び乗ると急発進させその場を後にした。

明け方、自宅にたどり着くころにはりえさんもようやく落ち着いた。従兄も自分の家に帰ると言って別れた。

しかし、従兄はそのまま家に戻らなかったようで、その日の夜、事故で大破した車の中で顔中に割れたガラスが突き刺さった状態の遺体で発見された。

それから数日後、今度はナオキさんがバイク事故に遭った。側頭部に大きな怪我を負い数週間昏睡状態に陥ったが、幸いにも意識は取り戻した。

このことについてナオキさんの父方の祖母は、

「うちに色んなことがあるのはあの女が持ち込んだ因縁のせいだ。あの女のせいでうちはバラバラになっちまったんだよ」

そう言ってナオキさんの母親のことを責め続けていた。

確かに彼の家系は、体が弱かったり若いうちに亡くなったりした者や、事故に遭う者が非常に多いという。ナオキさんの姉も小学校にあがる前に亡くなり、従兄の姉は生まれたときから寝たきりの生活を送っているという。

「ばあちゃんが、なんでうちの母親を責めるのかと思って、後に俺も調べてみたらとんでもないことがわかったんだ」

ナオキさんによると、ある資料にこんな伝承があったという。

江戸時代に水戸藩が茨城県を治めていたころ。

とある村に、役人が年貢の取り立てに来た。

農民たちは必死で米をかき集め差し出したのだが、それからほんの数日後、この前とは違う役人がふたりやって来てまたも「年貢を納めよ」と言う。

「この間お納めしたではありませんか。これ以上、出せるものはありません」

そう農民たちは懇願したが、役人たちは「もらっていない」の一点張りだった。

押し問答が続き、農民たちははたと気がついた。

「きっとこいつらは偽の役人に違いない。役人に成りすました盗人だ」

そうして農民たちは鍬や鉈を持って襲いかかり、役人たちを惨殺した。そしてふたりの遺体を俵に包み水戸城下まで届けた。

ところが実は、最初に来た役人の方がニセモノであったことがわかった。つまり後から来た農民たちが惨殺したふたりが本物の役人だったのだ。

慶長十四年十月。

激怒した水戸藩はその集落に数百人の兵を差し向けると、秋の刈り入れで賑わっていた三百名ちかくの農民たちを虐殺。

一村皆殺しという処分にした。

生き残った者は隣村に逃げ込んだわずか数名のみという惨状だった。

この虐殺の指揮をとったのがナオキさんの父方の先祖で、虐殺された農民側の生き残りの子孫が、ナオキさんの母方の一族だったという。

「うちの親父の先祖が江戸時代にお袋の先祖を滅亡させていたんだよ。で、俺たちがあの日たまたま行った場所がその虐殺の現場だったらしい。やばいよね。親父の血が入ってる俺たちが、滅亡させた敵方の土地に知らないまま入りこんでいたんだから」

親父とお袋が結婚したのも何かの因縁だよ。ただの伝承かもしれないが、きっと因縁で呪われているんだ。

ナオキさんは、不自然に凹んでいるこめかみの辺りを擦りながら言った。

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