呉市の友(広島県) | コワイハナシ47

呉市の友(広島県)

これも戦時中の話で、大輔さんが祖父の常雄さんから聞いた話だ。

常雄さんは第二次世界大戦終盤に学徒出陣で徴兵され、幹部候補生としての訓練を受けることになった。

常雄さんは海軍に所属し、いつ戦地に送られても良いようにと毎日厳しい訓練に励んでいたという。

徴兵された仲間には、さまざまな地方の出身者がおり、常雄さんが最も親しくなったのは広島県呉市出身の宮本さんという青年だった。

訓練は日々辛いものだったが、その合間に宮本さんと会話をすることでその辛さを紛らわせることができた。

あるとき、宮本さんは常雄さんにこう言った。

「戦争が終わったら、俺の故郷の呉に来てくれ。約束だぞ」

その言葉に「ああ。きっと行く」と約束をした。

それから数日後。訓練で遠泳が行われることになった。

二人一組になり、隊列を組んで泳ぐというものだ。

常雄さんと宮本さんは、それぞれ別々の人と組んでいた。

遠泳訓練も終盤にさしかかったときのこと。

「宮本がいない!」

どこからか大きな声が上がり、見ると宮本さんと組んでいた仲間が海面からこちらに大きく手を振って叫んでいる。

一瞬にしてその場が静まりかえった。

皆、周囲を見回すが宮本さんの姿はどこにもない。

「均等に間を開けて、浜辺に一列に並べ!」

上官が全員に向かって叫ぶ。急いで浜に上がると海に向かって並んだ。

「溺れた者は肺の中に空気が残っているから一時的に浮いてくるはず。そこを見つけるように」

常雄さんら学徒たちはその言葉に従い、宮本さんを捜しはじめた。

胸が張り裂けそうな思いに堪えながら必死に友を捜す。

しかしいくら捜しても見つからなかった。

やがて諦めに似た空気が全員を覆い尽くし、だんだんとあたりは暗くなっていった。

「あ、上がったぞ!」

という叫び声で振り向くと、ひとりの男性の姿が水面にぽっかりと浮かんでいる。

宮本さんだった。

残念ながらすでに息絶えていたという。

常雄さんたちは訓練を終え、宮本さんの遺体を連れて宿舎に帰った。

宮本さんが訓練中に亡くなってからしばらく経ち、常雄さんは転属を命じられた。

場所は広島県広島市。

転属になって数日が経ったある晩のこと。

真夜中にふと目を覚ますと、足もとに宮本さんが立っていた。

「宮本」

常雄さんが声をかけると、宮本さんは何も言わずに微笑み、姿を消した。

日本の戦況は日に日に悪くなっているようだった。常雄さんは下っ端だったので詳細はわからなかったが、そんな仲間うちでも日本劣勢の噂は耳に入ってきていた。

広島に移って落ち着く間もなく、なぜか同じ県内の呉市への転属が命じられた。

「戦争が終わったら、俺の故郷の呉に来てくれ。約束だぞ」

「ああ。きっと行く」

常雄さんは宮本さんとの約束の言葉を思い出していた。

(宮本が呼んでくれたのかな)

呉市には大きな軍港があり、そこで訓練を受けることになった。

呉市に移り三日ほど経った一九四五年八月六日の朝。

訓練の準備をしていると突然あたりに明るい光が走った。

「な、なんだ?」

光った方を向く。

呉市は周囲をいくつもの山で囲まれている。そのうちのひとつの山の向こうから大きなきのこ雲が、もくもくと立ち上った。

広島市の方角だ。

それは、広島市に投下された原子爆弾であった。十万人以上もの死者を出した核兵器で、広島市に駐屯していた部隊の多くも甚大な被害を受けた。呉市に転属していなければ常雄さんもよもや亡くなっていたかもしれない。

「宮本……もしかしてお前が故郷に呼んでくれたことで俺の命を救ってくれたのか?」

常雄さんは、空に向かって涙を流した。

その後、幸いにも実戦の場へは赴くことのないまま終戦を迎えた。

そして常雄さんは、宮本さんと過ごした青年時代のことを片ときも忘れずに天寿を全うした。二〇〇九年に八十七歳で亡くなり、友の待つ天国へと旅立ったということだ。

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