身代わり~件にまつわる話~(群馬県) | コワイハナシ47

身代わり~件にまつわる話~(群馬県)

終戦間際の話である。

S子さんが畑を耕していると、土の中に何か見慣れない物を見つけた。

手に取って見ると、十センチほどの木彫りの観音様だった。

こんな尊いものがどうして土の中に、と手ぬぐいできれいに拭いて胸元に入れた。

その帰りのこと。

遠くから爆音が聞こえはじめた。

見上げると米軍の飛行機。

それが自分を目掛けて急降下してくる。

ものすごい機銃掃射の音が響いた。

どん、と何かに突き飛ばされて水田に飛びこんだ。

体が焼けるように熱い。

自分は死んだのだ、と思った。

しばらくして、泥だらけで田んぼの中から起き上がった。

当たらなかったんだ、とほっとした。どこかに怪我はないかと手でさすっていたら、胸元を触った時に気がついた。

観音様がない。

よくお腹のあたりをまさぐると、何かの塊が入っている。

それをつかんで出してみると、サラサラサラッと渇いた砂がこぼれ落ちた。

体中が田んぼの泥で濡れているのに、渇いた砂なんて……。

その時、観音様が身代わりになってくださった、と気がついた。

本当なら、私がこの砂のようになっていたはずだ、と感謝に手を合わせたという。

今から三十年ほど前の話です。

兵庫県西宮市の中学校に進学した友人から、一本の電話をもらいました。

「……お前、牛女って知ってるか?」

このひと言がきっかけになりました。

それから私は〝牛女〟や〝件〟という、牛頭人体や人頭牛体の姿を求めて調査に熱中します。

この時の調査では、何かを発見するという結果には至りませんでしたが、それでもたくさんの人々との出会いの中で、怪異を訪ねてまわるという喜びや楽しさを知りました。

やがてそれは『新耳袋』第一夜において発表することができました。

その後、本書がシリーズとなった後も細々ながら〝件〟の調査を続けていましたが、成果を得られることはありませんでした。

ところが、第九夜が完成したあとのことです。

一本の電話をもらいました。

〝件〟の調査をしに来ませんか?というものでした。

顔が人間で体が牛の子供という生き物の剝はく製せいを、いまだにお持ちの方がいるというのです。

しかし私は、その連絡をもらってでさえ、懐疑的でした。

それはこれまでの調査で「あったと思った」や「昔はあったんだけれども」、あるいはまったくの事実誤認だったということを、嫌というほど体験してきたからです。

しかし、それでもなお、万が一の可能性にかけてみました。

数日後、私は親しい友人たちと共に、群馬県沼田のとあるお宅を訪ねました。

到着した時には、長年捜し求めていたものは、捜すまでもなく、倉庫の脇にある積み上げられた建築資材の上に、赤いバスタオルをかけられて無造作に置いてありました。

その家の方から、「お捜しのものはあれでしょうか?」と促されて、ただバスタオルをはずすだけで、あっけなく〝それ〟との出会いをはたしました。

〝それ〟は、まさしく私が長年捜し求めていた、いや、正直諦あきらめていた〝件〟の剝製そのものでした。

およそ四十年前に香具師をされていたというお父さんが亡くなられた時に、誰も引き取り手がなく、倉庫の隅にしまいこまれていた、ということでした。

およそ二十五年前、一度倉庫の隅から発見された時に、そのあまりの奇怪な姿から寺へ預かってもらおうとしても、中を見るなり即座に断られたという、そのご家族にとっては決していい思い出とはいえないエピソードもお聞きしました。

更にうかがうと、亡くなられたお父さんがかつて絵物語を制作して、その物語と共に興行の見世物として使っていたということや関東一円で興行していた時には、〝牛人間〟と呼んでいたこともわかりました。

当時人は、その姿を気味が悪いものとして見ていたと聞きましたが、その背中にはきれいになでられた跡が残されていました。

おそらく関西でも興行されていたのでしょう。

縁起物の〝件〟として、受け入れられていたらしい形跡がありました。

人目もはばからず喜び、なめるように観察し、推論を嬉々として語る私の姿に、ご家族は半ば呆れ顔で、「よろしければ差し上げますが、持ってかえっていただけますか?」と声をかけてくださいました。

東京に向かう車の中で、第一夜に書いた〝件〟を最終巻の第十夜制作終了までに発見するという奇跡のような出会いに、感謝の気持ちでいっぱいでした。

最初にはじめたことが、最後になって出会い、再び最初に戻る。そしてそれは、おそらくこの先もずっと繰り返されていくのではないかと思います。

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