茨城県護国神社と桜(茨城県水戸市) | コワイハナシ47

茨城県護国神社と桜(茨城県水戸市)

前作の「茨城の怖い話」では、一年前の十一月二十二日に参拝をした。十七時をまわると、向かいの偕楽園からこの一帯までかなり暗い。電灯があまりないのだろうか。自販機の灯りだけが頼り。高い石段をのぼり社殿に向かうのは、ほとんど肝試しに等しい。

訪れたのは、ペリリュー島の慰霊碑を参拝したかったことが大きい。勇猛果敢な、関東軍でもあった水戸第二連隊が、この南方の島で玉砕をした。ペリリュー島は今のパラオ島だ。観光で行く楽園の島では、その昔戦争があった。島民を別の島に送り、民間人は巻き込まず、軍人だけで戦った。

当時の戦局で言えば、このペリリュー島でとにかく時間稼ぎをして、本土防衛や他の占領された場所を奪回させることが目的の戦いであった。最初から勝てる戦ではないことは、大本営もわかっていたことだろうが、非常によく耐え、玉砕後も島で戦い続け、数名が水戸に帰還することができた。

この時の総司令官が「中川州男大佐」であり、熊本の出身なのだ。熊本の自衛隊にもその遺品が置かれている。関係者と知り合いでもあるため、一度はきちんと手を合わせようと思った次第だった。

あまりの暗さに社務所を訪れた。中から若い美人の神主が出てこられた。

「あの、ペリリュー島の慰霊塔を見たいんですが、暗くてどこにあるかわからないのですが……」

と聞くと、すぐに懐中電灯を持ってこられ、喜んで案内してくれた。

慰霊碑は、境内から道ひとつはさんだ場所にあるのでわかりづらい。

「明日の慰霊祭の関係者ですよね?」

と美人神主が言われ、

「いえ、単に取材に来た者です。中川大佐の関係もあるもので……」

とても「怖い話」に書くから……とは言えなかった。どうやら、慰霊祭の前日に熱心に慰霊碑を見に来てるから関係者だと思われたようだ。

「この慰霊碑や境内の写真を撮ってもいいでしょうか?」

「ええ、どうぞ」

美人神主は、こうした軍神を祀る神社に相応しい人で、ペリリュー島や中川大佐の遺品を見に熊本に行かれ、とても詳しく勉強されていた。

同行したのはいつものプロ同行者兼プロドライバーの会田さん。美人神主とあって、妙に喜んでいたのを覚えている。

この神社に着く直前に、筑波山温泉に行った。筑波山神社の境内のすぐ近くにある。ここで温泉で自撮りなど不謹慎なことをしていたせいか、護国神社までの五十キロを走る間に、なぜかスマホのSDカードが全部消失してしまったのだ。温泉までの茨城での心霊スポットの写真はすべて消えた。

この護国神社での神主との二ショットや、境内の写真だけが残った。

「ここだけ残ったのは、神主さん(神を繋ぐ人)に撮影許可を取ったからでしょうね」

僕はそう会田さんに話した。会田さんは本が出版になったので、お礼かたがた行きましょう、としきりに誘ってくれたが、どうしても忙しくてずっと行けずにいた。

さて、一年後の十一月下旬。今から三か月前になる。

水戸にある保和苑と天狗党の殉死の碑を拝んだあと、そのあと用事のある月浦さんに護国神社ならよく行くから送りますと、連れて行ってくれた。

月浦さんの伯父様は太平洋戦争時、インパールで戦死された。お盆には必ずこの神社に参拝するのだそうだ。

不思議な因縁で、再度この護国神社に行った。

前回同様、到着したのが十七時手前で、また辺りは夕闇が迫っていた。境内の中に「此花サクヤ姫」の社がある。軍神、英霊を祀る神社に、縁結びや愛、母なる神のサクヤ姫が祀られていることが気になった。

社務所で声を掛けると、なんと去年対応してくれた美人神主さんがいたのだ。

そして急遽、玉串拝礼をさせていただくことになった。

僕の仏縁の真骨頂、霊気漂う場所に行った後は、必ず寺社仏閣でお祓いを受けることになる縁だ。月浦氏がこの神社に送ってくれることになったのも、場面で決めたことであるし、偶然か必然か、お祓いや浄化される場所に行く羽目になるのだ。

「さっき天狗党の墓所に参ったので、やっぱり何か憑いてましたよね?」

と神主に聞いてみた。すると、

「いえいえ、去年もお越しでしたし、ご縁を感じました」

穏やかに神主は答えた。

話ながら、前作での特攻隊の霊たちが挿絵を描く絵師のもとに集まり、絵ができた不思議な話をした。すると神主は真顔になり、

「はて、最近境内に特攻隊の石碑ができましたよ」

「最近ですか? では去年ここに参ったときはその計画があったのですね?」

「ええそうです。でも色々あって着工が遅れ、半年遅れで建立できました。なので先月できたばかりです」

特攻隊の英霊の方々が絵のお礼に絵師に話したこと、それは、

『俺たち特攻隊だからよ、神風起こしてやるからな』

の言葉だった。

思えば、平成三十年三月末で終了する予定だった『筑波海軍航空隊記念館』も笠間市の施設になり継続しさらに増設した。そしてこの護国神社にも碑が立った。本に書いた場所が次々と良いほうに変化している。

彼らの神風はまだ吹き続けると思う。

それに、僕がここに来るまで何度も機会があったのに、来れなかった。石碑ができてから行け、という霊たちの暗示があったのかもしれない。

この日、月浦氏の伯父の戦死を知り、送ってもらえたから来れた。

「もしかすると、月浦さんの伯父さんが、ここに来るように呼んだのかもしれませんね」

「そうかもしれませんね、私も本当は一銀さんとは水戸で三時間くらい話をしたら帰るつもりが、天狗党の墓所に送ったら、ここに連れて行かなくてはと思ってしまいました」

特攻隊の飛行兵の姿の石碑は、懐中電灯に照らされ、青く写った。写真に青い光が写るときは、何かの結界と気高い霊気があるときだと僕は信じる。

三人は暗い中、しばらくの間その石碑をじっと眺めていた。

「なんでしょうね、私たちはこの戦争の時代のこと何もを知らないのに、どうしてここの前に来ると涙が出るんでしょうね」

月浦さんが厳かに言った。目が光っていた。僕も涙が出た。

「本当に。僕はこういう場所に来ると、武者震いと湧き上がる涙が出ます。悲しい涙じゃないです。よくわからんですが、これから行くぞっていう涙です」

神主も答えた。

「私もよく泣きます。でももう慣れました。玉串拝礼のときはいつもぐっと涙が出ますが堪えるようにしています」

そして気になっていたことを聞いた。

「さっきは玉串拝礼をさせていただきましたが、本当は何か僕らにあったのをみたんでしょう?」

「いえ、神様にあいさつをされたほうがいい、と思っただけです」

「あいさつですか、確かにいつもこの暗い時間に来て、社殿の外から拝むだけでした。軍神のみなさんにちゃんと挨拶できていましたか?」

「はい、ちゃんと挨拶されていましたよ」

と神主はすがすがしい顔で答えた。

拝礼のとき、初めて本殿に入った時の凛とした空気感を覚えている。

しかしそれは『拒絶』ではなく、『よう来られましたなあ、どうぞどうぞ』という親しみを込めたような様子を見るような、武家寺に入ったときのような結界の感覚があった。いかにも荒ぶるサムライたちの社である。

僕がここで手を合わせ拝礼し、彼らに語りかけた言葉は『もう一度、あなた方を描きます』だ。その願いはどうやら本著で叶う。

この玉砂利の境内では、時折複数名の歩く足音が聞こえることもあるそうだ。護国神社や靖国神社では、そうした怪奇現象もよく起こる。

水戸藩の時代にさかのぼると、当初、この神社のある桜山に偕楽園を作る予定だったそうだ。今の偕楽園はもともと梅林で、向かい側にある。

だが、霊山であったためなのか、サワリがあるとして、こちらは桜の山にして護国神社となった。道を挟んで梅と桜の名所になっている。

そして、境内に祀られる此花サクヤ姫は、神主も知らないというほど、昔から存在していたようだ。

ふと、思った。

サクヤ姫様がこの山の主だったのではなかろうか。サクヤという名前からサクラという言葉が生まれたのではなかろうか。

愛と縁結び、そして火の中で子を産んだ母性の古代神は荒ぶる軍神たちと共に暮らし、戦地で疲れ切った魂たちを抱きしめているのかもしれない。

そして一本の電話が鳴った。霊能の先生からだった。

「此花サクヤ姫の姿が富士山の神社にありますが、それが、お顔が一銀さんにそっくりですよ。何か関係を感じます」

と。

本殿にて神々にあいさつをしてほしい、という神主の言葉がリフレインした。

なぜ茨城の彼ら(英霊)が僕を受け入れたか、最後になぞが解けた。

僕の顔がサクヤ姫に似ていた、もしくは何か姫に関係する者だからだろうか。

ふと、『火神子(ひみこ)』はサクヤ姫が火中に産んだ娘では……と頭にひらめいた。

霊謎解きの旅は続く。

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