弘道館 三の丸小学校の黒板(茨城県水戸市) | コワイハナシ47

弘道館 三の丸小学校の黒板(茨城県水戸市)

旧水戸藩の城郭は、水戸駅から徒歩十分位の小高い場所にある。

江戸の古地図を見ると、現在の水戸駅も湖の下だったことになる。長い年月をかけて埋め立てたのだそうだ。

今も地形として標高が高い位置にあるのは、その名残だろう。

徳川斉昭公が作った藩校弘道館は三の丸全体が敷地であり、文武を教えた。十五歳で入学でき、なんと生涯学習ができる学び舎だった。天保の飢饉のあと、生活に苦しむ時期だったが、藩主は教育の道を選んだ。学問が心を安定させ、有益な人材を生むと確信していた。

現在も入り口の門が当時をしのばせる。

水戸三の丸小学校は、元は弘道館の敷地内になる。

イッチーさんが小学生の頃の話だ。

掃除の時間になり、教室の黒板を水拭きしていた。

ぬれた雑巾で黒板を拭くと、少し水気が残る。

イッチーさんが黒板を拭いたあとに、クラスの友人たちが騒ぎ始めた。

「おい、なんか変な絵が出てきてねえか?」

「ほんとだ!」

イッチーさんが振り向いて黒板を見ると、そこに見えたのは防空頭巾をかぶった女の子の姿だった。

「これは……戦争のとき被ってた……」

かけつけた先生が黒板を見て、唖然としていた。何人か先生が見て、それをどうやって消したのかわからないが、その後はその防空頭巾の女の子が現れることはなかった。

水戸城の辺りは昭和二十年八月に空襲の被害を受けている。空を埋め尽くすB29の爆撃や焼夷弾で、城や弘道館も燃えた。三百人もの犠牲者が出た。防空壕に逃げても焼夷弾が落ちて全滅することもあった。

黒板に現れた少女は、この近くの防空壕で亡くなった子どもだろうか。

イッチーさんの友人は、ある奇妙なものを見たそうだ。

同じく三の丸小学校での体験がある。

ある夏のこと、友人が大きなマフラーをしてやってきたので

「お前、この暑いのになんでマフラーしてんだよ?」

と聞くと、

「マフラー? なんもしてねえよ」

と平然と答えた。よくよく見るとそのマフラーに見えたものは、大きな蛇だった。ぐるぐると友人の首のまわりに巻き付き、赤い舌を出しながら友人の首をギシギシと絞めつけている。

ぎょっとして、もうその友人を見ないようにしていた。

二時間目の体育の時間に、友人は高鉄棒をしていて、手が滑って首を挟むような感じで落ちた。大けがだったが、命はとりとめた。

蛇の呪いだったのだろうか。

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