夏の教室(青森県弘前市) | コワイハナシ47

夏の教室(青森県弘前市)

これは〈こっくりさん〉の話である。

青森県弘前市には他県市町村の例に漏れず、こっくりさんに纏わる有名な逸話がある。その逸話はある学校でほんの数十年前に起きたことなので、当時現職の教師だった、或いは学生だった方もほとんど存命で、私が何人かから聞いた分にはほとんどが同一だった。

ここで紹介するのはその有名な逸話そのものではないが、時期は近いようだ。

夏菜子が高校生の頃の話。

放課後に男子生徒数人がこっくりさんをしていた。

当時こっくりさんは全国的に流行っており、その広まり振りは各地の学校で色々と由々しき事変が起きていたことを問題視した教育委員会が、止めるよう呼び掛けるほどのものだった。

夏菜子は遠目に男子生徒の姿を見るだけで、ほぼ気に留めず帰宅のために教室から出た。廊下でクラスメイトの玲香と遭遇し、二人でお喋りをしながら校門まで歩いた。

「見た?田辺たち、こっくりさんとばやってだよね」

玲香はさも面白いものでも見たかのように、そう言った。

「見た見た。おっかねぐねえんだべがね」

正直、さほどの興味はなかったが、調子を合わせる。

「○○中学で、頭おかしくなった子いるんだってね」

その話なら聞いたことがある。○○中学でこっくりさんをしている最中に狐に憑かれた女子生徒が、教室を舞台にとんでもなく暴れ回ったというのだ。

「田辺たち、おがしぐなったらどーするんだべね」

その声色から玲香も噂を聞いただけで、こっくりさんに大して怯えていないことが分かり、夏菜子はほっとした。最近は特にオカルトを信じる人が多い。そんな人たちと話をしていると、余りにも見えている世界が違い過ぎて、距離を感じてしまう。

結局、人間のほうが怖い。

夏菜子はいつもそう思っていた。

校門で玲香と別れた。

よく晴れた晩夏の風は心地よく、家に着いた頃には田辺たちがしていた悪趣味な遊びのことなどすっかり忘れてしまった。

宿題を終わらせてから居間へ行き、テレビを観ながら夕飯を待った。

一度台所を覗いたとき、母が「友達はもう帰ったの?」と言った。

「友達来てないよ」と夏菜子。

「あら、そう」と母。

翌日の学校は相変わらずの騒々しさで、夏菜子はいつも通り、なるべく静かに静かに一日を過ごした。当たり前と言えば当たり前だが、学校は人が多過ぎるのだ。ヤンキーにバンド好きに野球少年。暗い子も明るい子もいるし、いじめもある。

色んな人が多過ぎて疲れてしまう。

授業中、たまに目だけを動かして教室を見渡してみると、もはやグロテスクとも形容できるまでの人々の多様さに、吐き気すら催しそうになる。

隣のクラスの玲香は病欠で、田辺たちはその日の放課後もこっくりさんををやっていた。

夏菜子はこっくりさんの輪の中にいじめられっ子の英明が入っていたことを意外に思った。どんな質問をこっくりさんに投げかけているのか分からないが、無言でコインを動かす田辺たちと、それを見物する男女数人の姿が、まるでずっと前からそこにあったかのように教室に馴染んでいる。勿論、輪に入るつもりはない。余り気の晴れない日で、無性に早く卒業して社会に出たい、と思った。

また母が「友達の分の夕飯はいいの?」と言った。

「……昨日も言ったけど、誰も来てないから」

母は「ええー?」と言った後、目を少し上向きにして、耳を澄ますような仕草をした。

「二階から音聞こえるけどね」

「聞こえないよ」

「だって、あんた帰ってきたとき、階段をドタドタドタッて何人も」

「だから、いないって……」

埒が明きそうもないので、母とはそれ以上話さなかった。

学校で玲香に会うことがなくなってから、二週間ほどが経った。

夏菜子は以前に友人から聞いた「病欠」という言葉を頼りに、ここまで休んでいるなら、まあまあの大病なのかもしれないと考えた。

この頃には田辺たちがこっくりさんをしている姿を見かけなくなっていた。

何でも教師の誰かに注意を受けたのだそうだ。

そして、男子たちが教室の後ろでボールを蹴ったり、窓辺で何か下品なバカ話をしたりしているいつもの風景が戻った。

今思うと、血気盛んな彼らが静かにこっくりさんに打ち込んでいたのはある種異様なことだ。

喉元過ぎれば、あれはあれで騒々しさがなくて良かったように思える。

「ねえ……やっぱりさあ」

母がまたおかしなことを言う。

夏菜子と階段を上がる足音がする。二階から物音が聞こえる。

母はそんなことを連日言い続け、終いには少し窶れてきている。

「だはんでっ、なしてそったバカなこと言うの」

「お祓いしたほうがいいって。なも、お母さんがおがしかったとしても、念のためだはんで」

「いやだって!いい加減にして!」

お祓いなんてする訳がない。

どうしてみんな、私の心をそっとしておいてくれないの。

「夏菜子」

夕暮れ時、校門を出た瞬間、玲香に呼び止められた。

「あっ……久しぶり」

一カ月振りの対面とあり、夏菜子は病気のことを聞いていいのか躊躇った。風邪程度ではないだろうから、その辺りはデリケートな話題だ。

「夏菜子、あたしね。ダメかも」

「え?何が?」

戸惑いつつ何のことかと問いただそうとすると、玲香はくるりと向きを変え、校門をくぐった。

「玲香!玲香!」

後ろ姿に呼び掛けながら、玲香が私服であることに気が付いた。

自分を無視してどんどん離れていき、校舎に入っていった友人の背中はどこか寂しげだった。

その女性は、「お祓いをする人」のようには全く見えない、言うならば「普通のおばさん」だった。

母の知り合いの紹介を受けて、親子で面会しているだけの、言うならば縁もゆかりもない普通のおばさんだ。

女性は学校で悩みはないか、家族関係について悩みはないかなどを質問してから、じっと夏菜子の顔を見つめてきた。

「……何もないわね」

「でも、足音がするんです。本当なんです」母が食い下がる。

「でも、夏菜子さんには何もないですね。お母さんも特に何かあるようにも感じられません」

そこから少しだけ母とおばさんの世間話が始まり、その後二人のお代は無用です、いえいえそう言わずに、といったやりとりを経てから、おばさんの家を出た。

「……だはんで、言ったじゃん。意味ないって」

「でも、足音聞いてるんだから。あった気持ち悪いの何回も何回も聞かされるこっちの身にもなってみへ」

母はまだ痴呆を疑うほどの年齢ではない。一方、夏菜子も、まだ母がストレスから調子が悪くなっているかもしれない、と考えられるほどの年齢でもない。窶れていく母に対する夏菜子の思いは「最近母は何かがおかしい」という程度だった。

両親が離婚してから、久しい。

親子二人だけが住むには余りにも広いその一軒家に、困惑が同居していた。

「え?知らなかったの?」

休み時間のちょっとした会話の流れの中で、玲香が転校したことを知った。

「病気で休んでたじゃん。なかなか治らないから東京の病院に診てもらわないとダメだって」

「何の病気なの?」

「それが分がんねえんだよね」

この会話があった頃には、母の足音騒動は収まっていた。

母の体重も戻り、玲香がいなくなったこと以外、夏菜子の生活は全て元に戻った。

夏菜子はその後高校へ進学。関東の大学に入り、そのまま都内の企業に就職した。

社会に出て得た経験は夏菜子の人柄をまるっと変え、今では迷いも暗さもない地に足の着いた女性となっている。

一度、予定していた里帰りと高校の同窓会の日時がうまく重なったため、物は試しと会に参加した。当時は友達とも呼べなかった人たちもすっかり大人になっており、その頃では考えられないほど楽しい交流ができた。

その場に玲香の姿はなかったが、気にはならない。玲香との思い出はもはや薄ぼんやりとしかなく、かつて友達だったのかどうかすらも怪しかった。

「にしても、あれはやばかったな」

「こっくりさんねー。流行ってたよね」

二次会の居酒屋で、隣のテーブルにいたグループがそんな会話を始めると、夏菜子は聞き耳を立てた。

「玲香ちゃん、おかしくなったんでしょ?」

「ね。やべーよね」

不意に「何が、どうおかしくなったの?」と割って入りたい衝動に駆られたが、幾ら砕けた雰囲気だとはいえ、余り目立った行動を取りたくなかった。

「こっくりさん、やったの誰だったっけ?」

「覚えてねぇじゃあ」

夏菜子の脳裏にあの日の田辺たちがよぎる。

ああ、私は覚えている。

昔、そんな夏があった。

家に帰ってから、同窓会の様子を肴に母と酒を呑んだ。

「途中から学校来なくなった玲香、おかしくなってたんだって」

結局詳しく聞けた訳でもないので、夏菜子はあくまで、そんな人生もある、という程度のニュアンスで母に話した。少し下世話な気もしたが、母に対してはなるべく思ったことを口に出したい。

「あら。よく家に来てたわよね」

母は明るい口調でそう言った。

しかし、夏菜子の記憶では玲香はおろか、高校の同級生が家に来たことなど、今まで一度もない。小学校以来誰かとそんな仲になってはいないのだ。

「来てないよ。誰も」

何か勘違いをしているのだろうと、夏菜子は少し目線を母から外した。

「……あ、違う。それ、気のせいの奴だ……」

「気のせいの奴……」

母はあの足音騒動が収まってから、よく「気のせいの奴」と生活の中にある自分の失敗を自嘲するようになっていた。

「あの頃あなたが帰ってきて階段上がるでしょ。で、気のせいで足音が聞こえてきてた訳なんだけど、お母さんだってバカじゃないからあんたが階段上がるとこを何回も確認しに廊下に出てきてたのよ。そせば、玲香ちゃんとあと名前知らない学生服の男子がドタドタッてあんたの後ろを付いて来ててね。まあ、気のせいなんだけど」

「何それ?初耳なんですけど」

「うーん。だって、気のせいだはんで……」

何か深追いしてはいけない気がして、夏菜子はその話を切り上げた。

玲香と学生服の男子たち。

数少ない中学の記憶の中にはっきりと浮かぶあの風景。

おかしくなった玲香。

音のない部屋で、何事かを呟きながらこっくりさんをする田辺たち。

つまらない私。

夏菜子はまた少しだけ、心が重くなりそうなった。

「あんた、彼氏は?」

「いない。嘘、いる」

「どうせ、まいね男だべ」

「教えるわけねーべ」

「……あんた、一丁前に」

自分も周りもみんな色々ある。

「ま、いいじゃん」

そう言って、夏菜子は。

グラスを呷った。

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