佐白山の恐怖体験(茨城県笠間市笠間) | コワイハナシ47

佐白山の恐怖体験(茨城県笠間市笠間)

笠間市にある『佐白山』は標高百二十八メートルの小高い山だ。遠い昔、山頂には笠間城がそびえていた。この山自体が城であった。

歴史を紐解くと、戦国時代は笠間氏の居城から始まる。その後、関ケ原の戦いの後から蒲生氏、松井松平家、小笠原氏、戸田松平家、永井氏、浅野氏、井上氏、本庄氏、そして再び井上氏、最後は牧野氏で明治維新を迎えた。藩主がこうも代わる城と言うのはかなり珍しい。現在の城は石垣や土塁、溝の遺構が残るだけとなっている。

城壁マニアの鈴木さんはこの遺構を見るために山頂まで登山することになった。彼は城跡が特に好きで、全国を廻っていた。なんといっても戦国時代にはあの上杉軍に十度攻め込まれても落城しなかったという名城、名山であることも興味深かった。

今にも雨が降りそうな、どんよりと曇った日だった。

千人溜の駐車場に車を停める。

山道を上がると石階段があり、そこを上がると石垣など城の昔を髣髴する遺跡がある。あちこち写真を撮りながら、やや急な階段を上る。昔は車が通ることができたが、車一台がすれすれに通る程度の幅である。トンネル内でクラクションを三回鳴らすと死ぬ、など噂がある。

近くに玉滴の井戸と呼ばれる古井戸があった。山城ならではで、この山には他にいくつか古井戸があるのだ。

そして、その井戸を覗くと「神隠し」に遭うと言い伝えがあった。

鈴木さんはどこの山城に行っても、そういった迷信は信じない。ただ、その山の石や記念になるものは持ち帰るようにしていた。きちんと手を合わせて頂く分には大丈夫だ、と周りの愛好家にも話していた。

当然、玉滴の井戸にも手を合わせ、写真を撮った。近くの石を拾いリュックにしまう。

こに井戸は屋根があり、井戸に蓋をされているのだが、誰がやったのか血のように赤い塗料が塗ってある「血塗の井戸」と言いたいのだろうか。

その先を行くとトンネルがあった。一般的に笠間トンネルというものだった。

天井が低く、奥がよく見えない。中に入ると自分の足音が反響しているのか

ザクザクザク

と歩く音がする。どうも大人数の足音だな……と思ってふとトンネルの先を見ると、うなだれた人の姿が見えた。白くぼーっとしているが明らかに人が立っている。

(誰だ……いや、変な奴だと怖い。無視して行こう)

こわごわトンネルを急ぎ足で出た。そして、そっと振り向いてみた。

誰もいない。

(良かった。見間違いか、壁の落書きだったかな……)

鈴木さんは走ってトンネルを通り抜けて出た。もしかしたら落書きを見間違えたかもしれないしな……と、そのことは考えないようにして先を歩いた。

歩くにつれ、背負っていたリュックが重く感じた。取った石はそう大きいものではないのに、何が重いのだろうとリュックを降ろし、中を見た。

特に何も重いものはない。

疲れからか心臓の鼓動が早くなっていた。山頂とはいえ空気が薄い訳でもない。ただ何となく息苦しいのだ。

こんなところで心筋梗塞などになってしまったら大変だ……と鈴木さんは焦っていた。

念のため、奥さんに「少し心臓の調子が悪い……」とメールを書いて送ろうとした。

その時、下から登ってきた人がいた。杖をついたおばあさんだった。

「すみません……ちょっとお水をもらえますか? のどがカラカラでね……」

鈴木さんは生汗をかきながらもおばあさんに水筒を渡した。

そのおばあさんはゴクゴクと全部飲み干してしまった。

(このばあさん、全部飲み干しやがった……)

苦しくて声が出せずにいた。頭も猛烈に痛い。水を飲みたいのは自分なのに……鈴木さんは釈然とせずおばあさんを見ていた。

「すまないねえ、全部飲んでしまって。代わりにいいこと教えるよ。あんたのリュックにしがみついてる男がいるね、重たかろうに」

「え? 僕のリュックに?」

やっと鈴木さんは声が出た。

「そうだ。あんた、拾っちゃいけないもの拾ってるね。それに撮っちゃいけないものも。この山は悪い奴には祟り渡すんだからな。そのしがみついてる男もここで死んだ霊だよ」

鈴木さんは、さっきの井戸で拾った石を思い出した。

「いや、でも単なる石っころですよ……」

その瞬間、鈴木さんは杖で背中をドンっと押された。

急なことで、よろめいて倒れた。見えた先は崖のように下が見える場所だった。

「何すんですか……」

「棄てねえと大変なことになんべ」

おばあさんの声が響いた。頭に来て、立ち上がるともう誰もいなかった。

「おい、ばあさん!」

声を上げたが、人の気配はない。そんなスピードで動けるような婆さんじゃない……鈴木さんは激しい動悸を感じつつ、とにかく急いで下山した。拾った石をその場所に置いて、駐車場へと降りた。

車に乗ってようやく家に着くと、安心して眠れた。後日、心臓も検査してもらったが、一過性だろうということで特に治療することはなかった。

後で写真を現像してみたが、特にこれといって何もなかったが、写真を見た奥さんが叫んだそうだ。

「井戸の後ろの藪に人の目が映ってる!」

よく見ると写真全体は霧がかかっているが、きれいに晴れた部分が二つあり、まるで人の目のようだった。じっと監視するような目だった。

あのおばあさんが何者だったのか。

杖で突かれた背中には、まだ跡が残っている。

余談だが、あのトンネルの先では浮浪者の遺体もあったそうだ。

鈴木さんは今までの城郭跡で拾ったコレクションをお祓いしてもらうことにした。驚いたことにその多くは「置いておくと危険な霊気がある」と言われ処分されてしまった。

コレクションの中には「拾ってはならぬ」怨霊がついているものもある。それが石でも、建材でもだ。

佐白山の佐志能神社はなぜこの笠間城の跡地に置かれたか。

それは築城の前はもともとここに神社があったからである。

つまり築城の際にこの神社は一度「黒袴」という場所に移動させられている。城が無くなったので元の位置に戻ったまでだ。

この山の祭神である豊城入彦命とよきいりびこのみことと建御雷之神たけみかづちのかみと大國主神おおくにぬしのかみの三柱を祀っていたことから三白さんしろ権現と呼ばれ、それがさしろ、さしのう、という呼び名に変化したと言われる。

この山の主はこの三柱の神々であり、歴代の城主は仮の主で、そのためこの山には完全に居座れる城主がいなかったのではないか、とも言われている。

この山のふもとに、藩主浅野家の家老、大石内蔵助の家の跡がある。大石倉之助の銅像がある。忠臣蔵で有名だが、関係した者は切腹になった。四十七士の中に笠間藩出身者もいたのだ。吉田忠左衛門、小野寺十内、堀部弥兵衛。

つまり浅野家は赤穂に行く前は笠間藩の藩主であった。

何か不幸体質のようなものがこの城の城主につきまとっていたのではないかとも感じた。浅野内匠頭が松の廊下でなぜ暴れたのか、も歴史的謎だ。

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