山野夜話(抄)第二夜(東北地方) | コワイハナシ47

山野夜話(抄)第二夜(東北地方)

「甕蜂と言えば、こつけな話もあったずなァ」

佐竹さんは突然思い出したかのように席を立った。そして嬉々とした表情を浮かべながら、隣の部屋へと案内してくれた。

「な?立派なもんだべ」

そのこぢんまりとした部屋の正面に置いてあるサイドボードの上には、一目では正体が分かり難い物体がガラスケースに収納されていた。

一見、樹木の樹皮か朽ち木を丸めて球体に仕上げたかのようにも見えるが、すぐにそれが人によっては大変恐ろしいものであることが判明する。

それは、直径四、五十センチもある、大層見栄えのするスズメバチの巣であった。

その見事なまでのボール状の形状からキイロスズメバチの巣であると思われる。

苦手な人には見るだけで苦痛を感じさせる代物であったが、とにかくその立派さには見惚れるほかなかった。

「ホントはな、もっと良い奴があったんだげっどなァ」

佐竹さんは悔しそうな表情をしながら、語り始めた。

おおよそ十年前の出来事になる。

先日から降り始めた雪が、辺りを白一色に塗り潰していた。

佐竹さんは満を持してそそくさと身支度を調えると、小さな梯子を抱えてとある場所へと向かっていった。

家を出てから三十分も経ったであろうか。

地元の人間にしか分からないような道を歩きながら小高い山の中腹辺りに、朽ち果てた鳥居が立ちはだかっていた。

佐竹さんは畏怖の念からか軽くお辞儀をした。そして鳥居を潜って進むと、そこにはこれまた廃墟と化した社がある。

その軒下に、彼のお目当てのモノがあった。

「雪でも降んねえと、おっかなくて近づけねえべなァ」

夏から秋に掛けて暴君と化すスズメバチも、冬になる前には働き蜂の寿命は尽きてしまう。女王蜂のみ冬を越すことができるが、一般的には巣の近くにある朽ちた木々の中で越冬をする。つまり、雪が降る頃にはスズメバチの巣には凶悪な住人がいないことになる。

「ここまですげえのは見たことがねえべなァ。うん、ねえべなァ」

夏頃に初めて見つけたときは小躍りしそうになるほど嬉しかったが、あのときは黄色と黒の凶暴な連中がうろうろしていた。

そして、待ちに待ったこの日を迎えることができたのである。

今まで誰にも採取されなかったことに感謝をしながら、佐竹さんは持参した梯子を社の外壁に掛けた。

管理されなくなってから長い時を経過したらしく、外壁にも所々大穴が開いている。

佐竹さんは足下に気を付けながら、一歩一歩ゆっくりと昇っていった。

目と鼻の先に、夢にまで見たあの巣が見える。

彼は大きく呼吸をすると、梯子の上でスズメバチの巣全体に目を遣った。

視線が巣の後方に移動したとき、佐竹さんは思わず声を放った。

「うわァ、嘘だべ!」

これほど素晴らしい巣はないと思っていたのに、その後ろはぱっくりと割れており、蜂の巣特有のハニカム構造が露わになっていた。

「うわァ、いだましもったいないなァ!」

期待していただけに、その落胆も相当であった。あの割れさえなければ、と地団駄を踏むほどに悔しかったが、悔やんでも仕方がない。

「まァ、折角だがらウチさ持って帰ろうとしたんだげっどもなァ」

佐竹さんが巣を取り外そうとして両腕を巣に添えたそのとき、巣の後方に回した彼の右手が、全く予期せぬ柔らかい何かに触れた。

咄嗟に、勢いよく右手を引っ込める。

小首を傾げながら頭を動かして巣の後方に視線を遣るが、別におかしなものは何もない。

気を取り直して、巣の後方に右手を再度回したとき、信じられないような激痛が右手の掌に走った。

佐竹さんは驚きのあまり、痛む右手をしっかりと握りしめながら、梯子から一気に飛び降りた。

そのとき、固く握りしめられた拳の間に何かが挟まっていて、蜂の巣の一部も壊れて下に落ちてきていた。

しかし、それどころではない。右の掌には激痛が続いている。

容赦なく苛み続ける右手に視線を向けるが、傷の状態を見るのが恐ろしくて、なかなか拳をほどくことができなかった。

更によく見ると、握りしめた指と指の間に、黒くて細い糸のようなものが大量に絡み付いていた。

それは人間の毛髪よりも更に細く、その先端が彼の掌に剣山の如く突き刺さっている。

顔を顰めながらその黒い塊を鷲掴みにすると、勢いを付けて一気に抜き取った。

途端、先程までの痛みは嘘のように消え失せてしまった。

掌の状態を確認しても、どうやら傷一つ付いていない。

佐竹さんは握りしめている黒い束に目を遣った。

そして、恐る恐る視線でその先を辿っていくと、蜂の巣に辿り着いた。そして辿り着いたそこには、人の顔としか表現できないものが、へばり付いていたのである。

まるで鋭利な刃物で顔面だけを削ぎ落としたかのように、ほぼ平面状の、スライスされた顔面であった。

そこには低い鼻と薄い唇がしっかりと残っており、両目があるはずの所には、大穴が開いている。

そのとき、薄い唇の口角が、ニヤリと上がった。

それをしっかりと眼に焼き付けると、佐竹さんは梯子を小脇に抱えながら、その場からゆっくりと立ち去ることにした。

決して慌てず、決して後ろを振り向かず、一定の速度で歩み続けることに専念する。

「あつけなものに会ったとぎはなァ、気揉まねで慌てないで徐々に帰んのが一番だべなァ」

佐竹さんは鳥居の姿が肉眼で判断できなくなる辺りまで辿り着いた途端、その場から脱兎の如く逃げ去った。

流石にあの蜂の巣は諦めるほかなかった、と佐竹さんは子供のように悔しがった。

山野夜話シリーズ

山野夜話(抄)第一夜(東北地方)

山野夜話(抄)第三夜(東北地方)

山野夜話(抄)第四夜(東北地方)

山野夜話(抄)第五夜(東北地方)

山野夜話(抄)第六夜(東北地方)

山野夜話(抄)第七夜(東北地方)

山野夜話(抄)第八夜(東北地方)

山野夜話(抄)最終夜(東北地方)

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