山野夜話(抄)第五夜(東北地方) | コワイハナシ47

山野夜話(抄)第五夜(東北地方)

「まァ、こればっがりはやめられねべなァ」

佐竹さんはごくりと喉を鳴らすと、コップに注がれているほんのり山吹色をした液体に鼻を近づけた。

その馥郁たる香りを暫しの間堪能すると、ゆっくりと喉へと流し込んだ。

「いんやァ、堪んねずなァ」

喜びのあまり破顔しながら、山菜の漬物を肴にして、彼は呑み始めた。

「一合半くらいまでが、一番味が良いがなァ」

手に持ったコップを見つめながら、彼は言った。

「んだずなァ、こつけなごともあったずなァ」

ある夏の晩であった。

うだるような暑さが数日続いており、陽が落ちてもあまり気温は変わらなかった。

佐竹さんは風呂上がりにも拘わらず、既に汗だくになっていた。

窓を全開にしても涼しい風は一切入ってこず、時折生暖かい風が部屋の空気を攪拌するのみであった。

こんな夜は早く呑み始めて、早々に寝るしかない。

佐竹さんは冷蔵庫から日本酒の一升瓶と茄子漬を取り出して飯台に運ぶと、比較的早いペースで一人呑み始めた。

一日に二合しか呑まないと決めてはいたが、今夜は多少増えても仕方がないだろう。

そう理由付けすると、彼はあっという間に一合を飲み干してしまった。

躊ちゅう躇ちょなく、次の一合をコップに注ぎ込む。

そして半分程度呑んだ辺りで、辺りの空気が急に変わったことに彼は気が付いた。

優に三十度を超すような熱帯夜だったにも拘わらず、いつの間にか真冬のような感覚に陥ったのである。

時折窓から入ってくる微風が、まるで冷蔵庫の送風口から出てくるものにしか思えない。

あまりにも寒すぎて、窓を開けて下着姿でいることすら苦痛になっていった。

次第に、吐く息も白くなっていく。

佐竹さんはこの異様な状況に少々戸惑った。

こんなに早く酔いが回ってしまうのだろうかと不審に思ったが、一方ではそう思考できるうちは大丈夫だと高を括ってもいた。

彼はコップに残っている山吹色の液体を飲み干してしまおうと、それを右手に持った。

丁度そのときであった。何処からともなく、何者かに見つめられているような、妙な感覚に捕らわれてしまったのである。

厭な予感に苛まれながらも、冷酒の入ったコップを口に近づけた。

彼の視線が、コップから目の前に移動する。

するといつの間にか、見たこともない中年女性がそこにいたのである。

しかも、ただ立っているのではない。着物姿で赤い花飾りを付けた花笠を両手に持って、一心不乱に舞っていた。

流石の佐竹さんも、今回ばかりは肝が冷えた。似つかわしくもない悲鳴を上げながら、その場から咄嗟に逃げ出すことを考えた。

だが、身体がぴくりとも動かない。

その女は佐竹さんの目をしっかりと見つめ、くしゃっとした笑みを浮かべたまま、踊りを踊り続けている。

女の持った花笠が空を描く度に、お祭りでしか見ないような赤と青の派手な配色をした着物から、衣擦れの音が聞こえてくる。

やがてその女は、懸命に踊りながら、そしてそのままゆっくりと消えていった。

その時間は小一時間にも感じられたが、実際には恐らく数十秒しか経っていないであろう、と彼は遠い記憶を思い出しながら言った。

「まんず、一合半って言えば、アレのごとばっかり思い出すんだずなァ」

あの女が消えてしまってから、気温も元通りになってしまったのであった。

あれは一体何だったのであろうかと、佐竹さんは今でも不思議に思っている。

山野夜話シリーズ

山野夜話(抄)第一夜(東北地方)

山野夜話(抄)第二夜(東北地方)

山野夜話(抄)第三夜(東北地方)

山野夜話(抄)第四夜(東北地方)

山野夜話(抄)第六夜(東北地方)

山野夜話(抄)第七夜(東北地方)

山野夜話(抄)第八夜(東北地方)

山野夜話(抄)最終夜(東北地方)

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