山野夜話(抄)最終夜(東北地方) | コワイハナシ47

山野夜話(抄)最終夜(東北地方)

大分酔いも回ってきたらしく、佐竹さんの顔はまるで赤鬼のように紅潮している。

「そろそろ、寝だほうがいいがもしんねぇなァ」

既に寝間着に着替えていた佐竹さんは。自分の寝室に向かおうとしていた。

ところが数歩歩んだだけで、くるりと踵きびすを返すと、こちらに戻ってきた。

「最後にすっぺ。最後にこの話だげはせずにはいられねぇべなァ」

佐竹さんの住んでいるこの集落には、あるとき直江という一家が引っ越してきた。

年は四十過ぎの夫婦で、五、六歳くらいの娘との三人で暮らしていた。

何を生業にして生活しているのかまでは不明であったが、相当に貧しい暮らしをしていたことだけは確かである。

その一家は、引っ越してきた当初から周りの住人達と交流することを嫌がり、そして孤立していった。

しかし、佐竹さんだけは違っていた。どんなに邪険に扱われようとも彼らのことを気に掛けて、積極的にコミュニケーションを取ろうとしていたのである。

良い魚や山菜が採れたときは必ず直江家を訪れて、せっせとお裾分けに行った。

そのときに応対してくれたのは必ずと言っていいほど娘であり、両親が顔を見せることは決してなかった。

そしてその娘も一言も発せずに、ただぺこりと頭を垂れるのみであった。

「おめ、そろそろ学校さ入っがい?」

あるとき、応対に出てきた娘に向かって、佐竹さんは言った。

やはり教育者として、この娘のことが気になっていたのであろう。

その問いに対して、幼い娘は頬を赤らめながらこくりと頷くと、まっすぐな眼で佐竹さんの目をじっと見つめた。

そしていきなりお裾分けに持ってきたババカジカの入った袋を握りしめると、家の奥へと向かって小走りに駆けていったのであった。

「ありゃァ、めんごいおぼこだったなァ」

それから佐竹さんは学校の業務に忙殺されて、なかなか直江家に足を運べなかった。

早くあの娘の眩しすぎる笑顔を見たい、とは思っていたものの、どうすることもできなかった。

そのようなとき、それは起こった。

日中から続いていたうだるような暑さが、夜になっても一向に収まらない晩のこと。

お盆の準備で忙しい佐竹さんに、ある知らせが入ってきた。

「直江さんの御両親がなァ、亡くなったっていう話だったずなァ」

山の頂上付近まで登っていた二人が、崖から転落したらしく、惨むごたらしい姿で谷川の淀みに流れ着いた。

こんな時期に山の頂上で何をしていたのかまでは分からなかったが、背負っていたリュックサックにはあるものが残されていた。

最初にそれを開けた駐在は、その異常性に心底怯えきってしまった。

それは、小動物の頭部であった。

栗鼠や土竜の頭部だけが鋭利な刃物で切り取られており、血が滴らないようにビニール袋に収納されていた。

そんなものを何のために使用するのかはさっぱり分からないが、とにかく二人が亡くなったことだけは事実である。

直江家は周囲とは交流がなく、ほぼ孤立状態であった。

しかも駐在の話によると、親族らしき人々も分からないとのことであった。

となると、周囲の人達で葬式を出してやる必要がある。

人々は皆、遺された娘の将来を案じながら、弔いの準備を始めた。

ところが、葬式の最中、喪主であるはずの娘の姿が見えなくなってしまった。

幾ら葬式中とはいえ、まだ小学校に入る前の幼い娘を無視する訳にはいかない。

佐竹さんの含めて皆、血眼になって行方不明の娘を捜し回ったのであった。

山狩りのような大規模な捜索を実施していたが、なかなか見つからない。

誰もが焦りから自分を保つことが難しくなっていき、捜索方法に関して言い争いが周囲で起き始めた、そのとき。

「あそこ!あそこ!あそこ!あそこ!」

近所に住む五郎のよく通る甲高い声が、辺りに響き渡った。

誰もが皆、彼の元へと集結してくる。

五郎は真っ赤な顔をしながら、指をさして大声でがなり立てていた。

急いで駆けつけた佐竹さんも、懸命に息を整えようとしながら、五郎の指さす先へと視線を向ける。

先日まで穏やかな流れを見せていた川が、どういう訳か今日に限って急な流れの濁流に変貌を遂げている。

雨が降った訳でもないのに、川がこのような危険な状態になるはずがない。

佐竹さんは狐につままれたような面持ちになった。

「あっ!あっ!あっ!あっ!」

またしても、五郎が声を荒らげる。

佐竹さんの両目に、あの娘の姿が映った。長い髪を振り乱し、川の奥へと向かって徐々に入水していく。

膝元までだった水流が、いつしか彼女の下半身全てを飲み込んでいる。

佐竹さんが彼女の元まで駆けつけようとして走り始めたとき、いきなり彼の動きが止まった。

彼の視線の先にいる娘。その娘の身体には、灰色をした異様な物体が所狭しと乗っていた。

一体一体の大きさは栗鼠程度の大きさであったが、夥しい数のそれらが先を争うかのように娘の肩首や頭の上にしがみ付いている。

彼女自身がその灰色の存在に気が付いているのかどうかまでは分からなかった。

だが、それらの表面は小刻みに脈動しており、見ただけで嫌悪感を催す存在であることは確かであった。

「あれ、何だよ!あれ、何なんだよっっっっっ!」

その存在に気が付いたのか、誰かの悲痛な叫び声が周囲にこだまする。

「おーい!戻ってこーい!おーい!」

佐竹さんの必死の叫びが、今しも激流に飲み込まれようとしている娘に向かって発せられる。

他の誰の声でもない、佐竹さんの叫びが聞こえたからなのか、娘の歩みが一瞬止まった。

それを見た瞬間、彼は喜び勇んで改めて叫ぼうとした。

「よっし!今、そっちに行ぐがらなァ、す……」

叫び終わる寸前に、彼の精神は奈落の底へと突き落とされてしまった。

娘の小さな身体が、一気に濁流の中へと消えてしまったのである。

その瞬間は、今思い出しても恐ろしいとしか言いようがない。

まるで蛾の卵のように彼女の両肩と頭をびっしり埋め尽くしていた肉塊が、瞬時に形を変え、まるでそれぞれが人間の顔面に変化したかのように思えた。

「あんなおっかねもの、おらァ見たごとがねぇずなァ」

佐竹さんが記憶の糸を手繰り寄せた結果では、その灰色の顔はいずれも、まるで笑みを浮かべているように見えたという。

それから数時間を経て、娘の溺死体が下流の淀みで発見された。

その顔は、苦悶の表情を浮かべていた。

長老格の谷さんが、嗄れた声でぼそりと呟いたのを、佐竹さんは聞き逃さなかった。

「親の因果が子に報い、だずなァ」

その言葉を聞いた瞬間、佐竹さんの頭の中で、何かが弾け飛んだ。

周囲にいた若い衆が彼を押さえ付けなければ、谷さんの身はただでは済まなかったと思われる。

「今でもなァ、あの発言だげは許すごとはできねぇんだずなァ」

とっくに亡くなった人のことはあまり言いたくはないが、と佐竹さんは言った。

山野夜話シリーズ

山野夜話(抄)第一夜(東北地方)

山野夜話(抄)第二夜(東北地方)

山野夜話(抄)第三夜(東北地方)

山野夜話(抄)第四夜(東北地方)

山野夜話(抄)第五夜(東北地方)

山野夜話(抄)第六夜(東北地方)

山野夜話(抄)第七夜(東北地方)

山野夜話(抄)第八夜(東北地方)

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