廃工場日誌(近畿地方) | コワイハナシ47

廃工場日誌(近畿地方)

若き日の父が綴る戦慄の日誌

関西の某市にて倉庫業で生計を立てている那須さんは、隣接している自宅を改修する際、数年前に亡くなった学者肌の父親の部屋を整理した。長い間放っておいた部屋なのだが、その際、父親の愛用の机から一冊の日誌が出てきたのであった。

日誌は木製の重厚な机の、引き出しの奥に落ち込んでしまっていた。べたべたした手ざわりの、皮を模した素材の表紙で――かなり分厚さが、ある。

偶然、そこに落ちて忘れ去られたようにも、わざわざ隠してあったようにも思えるのだが――父親のいない今となっては、どちらかは不明だ。

日誌は六〇年代に書かれたものらしく、最初のほうはとりたてて特筆する点は何も、ない。日々の他愛ない記述がほとんどで、はっきり言って、どうでもいい内容であった。

ところが、だ。

他人の日誌というものは、たとえそれが家族のものであってもある種の好奇心をそそられるものなのだが、那須さんも例外ではなかった。若き日の父親の日常を、半ば懐かしく思いつつ、ぱらぱらと頁をめくって追っているうちに、彼は――その日誌がしだいに異様なことごとを綴り始めたのに気がついた。

*×月×日

……ここに越してきてから、一〇日になる。隣近所への挨拶もひととおり済み、ひと息ついた感じがする。家は木造の平屋で、小さいながらも庭があるのが嬉しい。妻も喜んでいる。けれども――あの廃工場。あれだけは、どうもなじめそうに、ない。なぜと言われても困るのだが……。庭のある方向に通りを五〇メートルほど歩くと廃工場の正面に、出る。かなりの敷地面積のようだが――いったい、何の工場だったのだろう?大きな、そして錆びたブリキの扉の向こうに、煙突がそびえている。近くには銭湯もあるが、あんな代物とは、わけが違う。高さも胴回りも……。何だか、火葬場を思わせる煙突だ。……嫌な感じだ。

(注:原文では火葬場のところに二本、線を引いて消してしまっている)

*×月×日

廃工場のほうから、一晩中、がたがたと音が聞こえてきた。最初は風でブリキの扉が揺れているのかと思ったが……どうも、違うようだ。誰かが扉を開けて、出入りしている様子である。もとの工場主か、それとも土地の持ち主か。あんな廃墟みたいなところに、まだ何か用事でもあるというのだろうか。それにしても、一晩中、きいきいと扉を軋ませて出入りするのは、妙なことだ。

*×月×日

越してきてから、一ヵ月ほど。今日、近所で、ちょっとした騒ぎがあった。小さな子供が廃工場のあたりでケガをしたらしい。私も少し見たが膝のところが、ぱっくりと傷が開いていて痛々しかった。子供は危ないことは、何もしていないと泣き叫びながら言う。何しろ、あんな場所だ。何が転がっているかわからない。うちの子供たちにも注意しておかなくては……。

*×月×日

廃工場の扉、終夜、音がする。大勢の人間の声もしているようだ。かすかでは、あるが。……あのヒソヒソ声は、何だろう?

(注:原文では大勢の人間のところに最初、別の書き込みをして、大勢の人間に直してある。最初の書き込みは、判別不能)

廃工場のほうから漂ってくる腐った臭い

*×月×日

今日、道端で近所の人間数人が、立ち話をしているところに行きあった。私も加わって、しばらく雑談をする。あの廃工場の話も出る。何でも近々、取り壊されるとのこと。私はいい機会だと思い、あの廃工場のことをたずねてみた。どんな工場であったのか。なぜ廃工場になってしまったのか。

すると、皆は工場のほうを見ながら黙りこくり、やがて銭湯の親父が、こんなことを言った。

「あそこはね。噂があるって話ですよ。ええ、あんまりよくない噂がね。その噂っていうのが――」

「どんな噂なんです?」

銭湯の親父は、値踏みをするような目で、私と他のみんなの顔を順々と見た。

「いや、あたしは――ここにいるみんなも、ですけどね。その噂ってやつを、よく知らないんですよ。ええ。どうも、ごめんなさい」

*×月×日

工場のほうの物音が、ここのところ夜間に頻繁になっている。もう、取り壊しとやらが始まっているのだろうか。してみると、この間の扉の音や人声も、その下見か何かだったのだろうか。

*×月×日

昨晩は、閉めていた雨戸の向こうの庭先で、何か、ざわざわがやがやと人の気配がしたような気がする。一人二人では、ない。大勢の気配だ。

泥棒かと思って、細めに雨戸を開けてみたのだが、何もいなかった。庭のその向こうに、廃工場の煙突がシルエットになって黒くそびえているだけだった。あれは風の音か何かだったのか。昨晩は、ほとんど無風状態だったのだが。

*×月×日

神経過敏になって、よくない。睡眠剤、常用す。妻も具合が悪そうだ。

*×月×日

睡眠剤、倍量して服用。

*×月×日

神経が……。

(注:原文では、子供たち、便所の前の廊下、ばけもの、といった言葉が書かれて消されている)

*×月×日

廃工場の周りにシートが張られる。今度こそ、本当に取り壊しが始まるようだ。一日も早く、あれがなくなってくれれば、と思う。妻が近所で、廃工場の裏手にあった文化住宅の話を仕入れてきてから――調子が悪い。考え過ぎだとは思うのだが。文化住宅の人間が皆、逃げ出して無人になってしまったのは――いや、よそう。

*×月×日

作業音甚だし。作業員たちの声も伝わってくる。……覇気のない声だ。

*×月×日

魚の臭い、あたりにたちこめる。近所でも苦情が出ている。近くに魚屋も市場もない。潮と風のかげん?××港は、はるか向こうなのだが――。

(注:原文では××の部分を破って、チラシか何かを千切ったものを糊づけしてある)

*×月×日

魚というよりも、何かが腐った臭いだ。終日、耐え難し。廃工場のほうから漂ってくるようだ。取り壊しの最中に、何か薬品でも、こぼしたものか。それとも実際に、あそこで何かが腐って放置されていた、ということか。……ずっと以前から?それを掘り出すか、取り出すかしたのだろうか?作業、遅々としてはかどらない様子。作業員たちの様子、暗く、重苦しく、何か非常に疲れて見える。ケガ人も続出しているとか。

(注:原文では死体という字が書かれて消されている)

撤去作業中に何が起こったのか

*×月×日

工場の外郭は、ほぼ取り除けられた。煙突が剝き出しになって、黒々とそびえている。……二~三日中に、夜間、撤去作業が行われる見通し。

夕刻、何度か、ほとほとと戸を叩く者あり。出ていっても誰もおらず――。

*×月×日

日没後。シートのなかは、こうこうと電気がついている。いよいよ最後に残った煙突が引き倒されるらしい。近所では、見物に行く者は、誰もいない。私も、である。作業員たちの間でも、何か言いようのない緊張が充満しているよう。シートでよくわからないが、監督たちが怒鳴り声ではなく、ぼそぼそと何かを伝え、やはり、ぼそぼそと、それに答える声が伝わってくる。……たぶん、あれは作業員の声なのだろう。きっと。

廃工場には、嫌な噂がいろいろとあったようだ。けれども新参者の私や私の家族は、ほとんど何も知らない。

が、工場が廃墟となった、そもそもの原因は火事であるらしい。悪い噂は、それに何か関係があるのだろうか?

近所の××さんは、その火事の最中に写真を撮った。後で見てみると、燃えている工場のなかに人がいたとか。どうもそれが、犠牲者という意味では、ないらしい。犠牲者でもないのに燃え盛る火のなかに「何か」がいるとしたら――それは何だというのか。

………………考えたくない。

作業員の声が、大きくなったようだ。いくらかは聞きとれる。

「……煙突の上に――」

――――――煙突の上に?

「煙突の上に、人がいるじゃないか?」

「あんなところに誰か、いられるわけがない――半分以上、崩れてるんだぞ。それに今さっきまで、誰もいなかった」

「登っていく姿も見ちゃいない」

「じゃ、あれは何なんだ?………………アッ!」

自分には外に出て、煙突を見る勇気が、なかった。

わーっ、と喚声とも悲鳴ともつかない声が、あがった。間をおかずに大音響が、した。煙突が倒れたに違いない。

それに――それに――あれは。あの声は、何なんだ?

気がどうかしたような女の声。笑い声が、まじっているみたいな。

………………

*×月×日

煙突は、もう跡形もなかった。シートも半分ほど取り払われて、半数ほどに減った作業員が黙々と後片づけをしている。近所の人々も出てきて、その様子を見守っていた。誰も昨夜のことは、口にしようとはしない。

……いや。例の銭湯の親父が、誰かに言っていた。

「飛んでいきましたね。ええ、飛んでいきましたとも。こう、丸っこいのが、ね。ひかりものが、ね。ええ。あたしは――――――首かと思った」

廃工場がなくなったことは、いいことだと思う。けれども、あれで終わり、だろうか。……本当に、これで、おしまい、なのだろうか?

……日誌の廃工場に関する記述は、これで全部で、ある。その後も日誌には時折、神経症的な記述が散見されるが――大したことでは、ない。……おそらくは。

那須さんの父親は、この後、数年に渡って引っ越しを頻繁にくり返したようだ。まるで、何かから逃れるためであるかのように。

父親も母親もすでに他界し、当時幼かった那須さんとその兄弟は、何も覚えてはいないそうだ。したがってこの廃工場が関西のどこにあったのか?正確な位置は、まったくわからない。あるいは関西圏以外ということだって考えられる。

時代は移り変わり、町の景観はどこも壊滅的に変化をして――老人たちを嘆かせている。

好況と不況の大波。再開発といえば聞こえのいい、地上げの横行。失われた十余年。そしてデフレ……。この時代に日誌に書かれている廃工場の跡地は、おそらく――いや確実に痕跡すらとどめてはいまい。

けれども、そこが現在何になり、どう使用されているか――用途にかかわらず、何があってもおかしくない気がするというのが、日誌を一読した那須さんの感想だ。

シェアする

フォローする