日立一本杉の木霊(茨城県日立市) | コワイハナシ47

日立一本杉の木霊(茨城県日立市)

前作「茨城の怖い話」を書いていたたときに、挿絵師の先生に一本杉の写真を送ろうとした。しかし先生はそれを拒否した。

「一本杉が俺に話しかけている。写真は撮るな、写真通りの絵を描くなと言うんですよ」

「なぜ似せた絵を描いてはいけないんです?」

「……こう言っています。『写真はそのまんまだからだ。人が大勢や集まるから嫌だ』と。だから俺が描く絵はやや漫画チックになりますよ」

「構いません。それが一本杉の命令なら従うまでです」

出来上がった絵は、件の書に載っている。まっすぐな太い幹にしめ縄だ。

その時僕は初めて『木霊』の存在を知ることになった。

「一本杉があれから俺に話してきたことがあるんですよ」

出版が終わった三月くらいのことだった。

「この本書いたときね、たくさんの霊魂が(本編に紹介する)俺に集まってきて、筆を走らせたわけなんですがね、この一本杉の話はとても意味合いが大きかったようですが、どんな内容でした?」

先生には原稿を見せずにイメージだけ伝えるので、内容を知らない。

「この一本杉の話を書いたけども、それは編集に『怖くない』とはねられましたね。だけどこの杉の話は絶対に通したいと思って二作書いて一作がページの関係で削られて本に載りました。三本書いたけど、一本だけでした」

「この一本杉も元は三本あって、切られたけど一本残ったんですよね」

ああ、そうだった。しかし内容を知らない先生がなぜその木の経緯をしっているのか……と思ったときに、背中に寒気が走った。

そうか、挿絵の先生には一本杉が見えているんだ。

「この杉は霊の結界にもなっている。この先に大きな鉱山の何かがあるでしょ」

その通り、日立鉱山の跡地がその先にあり、現在は記念館になっているが、鉱道やその杭や工場も残っている。

「この杉が言いに来たのは『創作者なんだから、絵で表現しろよ』ってことでした。写真だとそのままだけど絵で情感を表すからいいのだ、と。一銀さんにもそれを言ってましたよ。話をとても気に入っている、ただ起きたことをそのまま書くのはつまらないことだ、作家なら創作者たれ、とね」

「表現方法はいくつでもあります。同じ実話でも、物語にするか、ドキュメントにして書くか、確かにそれは作家独特の手法がありますよね」

「一本杉は本に載せた一本が、気に入っているようです」

絵師は次々と話し続けた。

掲載できた話、というのは確かに運の強い話でもあった。

向かいにある本山小の児童の話ではないが、一本杉はたくさんの不正義を見て、蔓延した思いがあったのかもしれない。

この木に向かって逃げ出そうとした労働者たちもいた。

想念を受け止めながら、この木は何千年生きてきたのだろう。

奇怪なことは、僕にも起きた。一本杉を写した写真を取り出そうとして驚いた。筑波山の温泉で撮ったのがいけなかったのか、SDカードが破損となり、霊的な写真はすべて消えたのだ。一枚だけ、フェイスブックに乗せた僕が自撮りした後ろにすっと立っている一本杉だけ残った。

一本杉とのツーショットだけが残った。しかし、

「写真を載せるな」

は現実になった。載せられるような全容の写真はない。その話を先生にすると、こう答えた。

「それは木霊や、筑波山の霊気の霊障でしょう。撮るな、ということですよ。一銀とお前は、また来いよって言ってます。俺はなかなか行けないけど、一銀さんは行ったほうがいいみたいですよ」

と。

それきり、ずっと足が遠のいていたが、本書を書くことが決まり、僕は二度目の一本杉を見に日立鉱山のヤマに出かけた。

御岩神社の山頂に昇り、下界を見て心が清らかになって下山した後だった。

県道36号線の一本道の真ん中にあるその木は、相変わらず大きかった。

車を止め、本山小の跡地側に出た。通学路らしき側道を見つけ、横からの一本杉を映した。

確か、一度目のころは、交通量がやけに多い秋の時期でこんな側道があるとは思わなかった。

そのあと、本山寺に行き、偶然にも住職に会えてこの地の歴史を詳しく聞くことができた。

「この辺りは昭和五十年代に一気に閉山とともに廃墟化して、心霊マニアが来て大変でね。でも僕らが通った小学校はいい思い出しかないのに残念ですよ」

一本杉が言いたかったのは、それだったのかもしれない。

子どもたちが通うのを見守ったのもこの杉だったろう。鉱山の隆盛と廃墟を見てきた杉。

「一銀は来い」

前作を書いたあとも、このメッセージは消えなかった。

やっと会えた、そして不思議とその大木が見えた時、気持ちが高ぶっていた。

元武道館側からの幹を見て驚いた。

コブだらけの幹。そのコブはしめ縄から上にびっしりとあり、それがまるで人の顔のようだったからだ。どくろ、と言ってもいい。

だが確かに、挿絵に描いたしめ縄とまっすぐの幹は間違ってはいなかった。コブはしめ縄より、つい上部にあったからだ。

そして、偶然ページの関係で削られた話を住職に話してみた。

それは本山キャンプ場が戦時中の捕虜収容所跡地だったという話だった。

僕はそうした怪談は聞き語りで書くので、閉鎖されている場所まで確認にいけないのが現実なのだが。

「いやあ、僕はずっとこの辺りに住んでるんで、それはないですね。中国人や朝鮮半島から労働で来た人達が住んでいたってことは知ってますけど。家がありましたし……」

と言葉を濁らせた。

本に出せなかった話は、出してはいけない話だった。

一本杉から少し山の上になる、弁天様の場所と不動滝の近くには韓国の花が咲いている。

その花が咲く場所は、労働者たちが逃げようとしたときの待ち合わせ場所といわれるが、逃走を防ぐ二か所のポイント、検問所があった場所だそうだ。

誰が植えたわけでもなく花は咲く。

『一銀は来い』と言った木霊の言葉がようやくわかった。

ちょうど小学校と、武道館の方を向いている。

そこには、亡くなり、焼かれた骨が武道館に置かれたままだった。

そのお骨を憐れんで本山寺の先代の住職が本山寺で供養するようになったのだ。幹の顔は、霊の望郷の思いと、子供たちを見守る顔のように見えた。

この山は、企業や国有地でもあり、お墓を作ることができない土地なのだそうだ。昔、鉱山事故で亡くなった人も多く、本山寺は元は火葬場だったという。

その待合所に作られた建物が、今は寺の社務所になっているから、普通の寺院と雰囲気が違う。

しかし現住職は、ほぼ毎日祈りをささげる。

無縁となってしまった仏様のために。

一本杉と、顔がある幹のコブを見上げた。ヤマの真ん中の墓標に見えた。

「ああ、この一本杉は、この山の墓標なんですね」

そして住職の顔を見る。この人がこの山を鎮めている、と。

本山寺の社務所は写真を撮ると真っ白なもやがかかっていた。

お線香などは焚いていない。

あるのは向かい側にたたずむ無縁仏の碑と地蔵と複数の卒塔婆だけだ。

およそ、そこに集まり住職の祈りを未だに求めているのだろう。

この地で眠らぬ無念が一本杉に巣くう。そしてトゲとなる。コブとなる。

茨の花はバラである。

茨の先には華麗なバラが咲く。

そして茨城の県花はバラである。

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