宮城県のとある町役場には数年前の一時期、こんな通報が相次いだ。
「雨の日になるといつも、女の幽霊が立っている」
「気味が悪く見ていられないので、操業をやめさせてほしい」
いずれも、ある工場の近隣住民からであった。
その工場では、副業として六次産業化の取り組みを行っていた。
敷地内の畑で生産した農作物を加工し、調理してレストランで提供するのだ。
建物には、震災の記憶の伝承を願って、津波漂着物が再利用されていた。
おしゃれな建物に美味しい料理とあって、なかなかの評判になっていた。
そこに、幽霊が出るというのだ。
勿論、そんな理由では行政が動くことはできない。
それでも、似たような内容の電話が、近傍の複数の住民から度々寄せられるのだ。
余り無下にすることもできず、理由を付けて視察したこともあった。
勿論、何の成果もなかったようであるが。
――で、その女の幽霊というのは、どんな姿なんです?
この話を提供してくれた赤沼さんに私は問うた。
「真っ白な着物を着た、中年の女。無表情で、ぼうっと立っているの」
赤沼さん自身もその幽霊を見たことがあるのだ、と言う。
――レストランに幽霊が出るような原因は、何かあるんですか?
重ねて問う私に、赤沼さんは答えた。
元々、山神を祀った土地を削って工場を建てたこと。
工場建設の際には、地元からかなりの反対運動があったこと。
旧弊を嫌う経営者が、お祓いや地鎮祭の類を余りやろうとしなかったこと。
そんなところに、津波で流されたモノを拾ってくるから、こんなことになるのだ、と。
結局、何故幽霊が立つのかは分からずじまいである。
建物の素性と、幽霊の姿形にも因果関係は見出せそうにない。
隣町出身の庄司さんにも取材したが、有意な情報は得られなかった。
この工場に関する揺るがぬ事実は、次のただ一点である。
同社の社長は昨年、県内の某海岸に於いて溺死している。
なお、本稿の執筆に当たり、建物に使われた材料はどこの海岸に漂着したものなのかを同社に問い合わせたが、回答は得られなかった。