Hさんが練馬区のアパートで、漫画家仲間三人と同居していた頃の話。
ある日の夕方。同居人のふたりは描き上がった原稿を持って出版社に出かけたので、Hさんがひとりで寝ていた時だった。
玄関のドアをノックする者がいる。
どうせセールスかなんかだろう、と無視を決めこんだ。
ノックが止まらない。
仕方なく、どなたですかと声をかけてみた。
「おにいちゃん、おにいちゃん」と女の声が返ってきた。
おにいちゃん?誰の妹だ?
考え込んでいるとまた、おにいちゃん、おにいちゃんと言い出した。
「誰の妹さん?」
「わたしよ、わたし、おにいちゃん」
「カズミか?」と思わず妹の名を口走ってしまった。
「そう、カズミよ、カズミ。だから開けて」
まさか。
聞き憶えのないこの声の主が妹であるわけがない。
台所の窓を少し開けて玄関の前を覗いてみた。
着ている服はもちろん髪の毛からつま先まで真っ赤な女がそこに立っている。
夕陽でそう見えるわけではない。
全身が同じ色だ。
「カズミよ、カズミ。開けて」
不思議な事に気が付いた。妹はしゃべる時に、手で口を触るクセがある。それを知るはずのない赤い女は不器用に真似ている。
急に怖くなった。布団をかぶってノックと声が止むのをじっと待った。
静かになった時、ふたりが帰って来た。
「変な女がいなかったか?」と聞いたが、見なかったという。
Hさんの妹は当時高校生で、宮崎の実家に住んでいた。