残煙(愛知県) | コワイハナシ47

残煙(愛知県)

三年前のこと。Tさんが友人ふたりと真夜中に、天狗神社と呼ばれている場所へドライブに行った。

神社は山頂にある。山の途中からは車を降りて徒歩で石段を登った。

まったく灯あかりがないので、懐中電灯だけが頼りだった。

登り切ってひと回りするとベンチが見えた、一服しよう、三人は並んでそのベンチに腰掛けた。

友人のふたりはTさんの右側に腰を下ろした。

懐中電灯を置いて煙草に火をつけた。

Tさんは一服しながら、隣の友人に声をかけると、その先に座っている友人の顔が見えた。

ふたり、目と目が合った。

真ん中の友人がいない。思わず下を見ると、間に座っている友人の腰から下が消えていくところだった。

…………ベンチのまん中にぽっかりと空席ができた。

ふたたび顔を見合わせたふたりの間に、消えた友人がたった今まで吸っていた煙草の煙がわずかに残っている。

なにが起こったのかがわからない。

とっさに友人の名前を大声で二度叫んだが、返事はなかった。

その後、どうやって車で戻ったのか憶おぼえていない。気がつくと家に帰っていた。

四日後に捜索願いが出されたと聞いた。

その友人は今も帰って来ない。

そもそも三人とも家族に黙って夜中に出かけたということもあって、消えた友人の家族には、今も言えないままでいる。

奇妙な偶然の話です。

かつて私が働いていた会社が〝神隠し〟を題材にしたアニメーション映画を世に送り出し、空前の大成功を納めました。

日常ではあまり使われることのないこの言葉が記憶に新しいうちに、なにかひとつ〝神隠し〟を今に伝える話を収録できないものか、と考えました。

そこで注目したのが中部地方に広がりつつあった、神隠しにまつわる都市伝説です。

本書は都市伝説の浸透の片棒を担ぐつもりはありませんが、第一夜に収録した〝件くだん〟や〝牛女〟のようになにか核となる事件があったのではないだろうか、と考えたのです。

様々な人々のご協力と支援に支えられて成立している本書らしく、取材のつながりの中から偶然、その核となった体験にまでたどり着くことができました。

あくまで『新耳袋』の作法のまま紹介させていただきましたが、取材の中で人が消え去る瞬間を真横で目撃した、いや、一歩間違えば自分自身が消えていたかもしれないその空気に戦せん慄りつを憶えました。

それが第七章第五十七話の「残煙」でした。

神隠しとは、人が消息を絶った時の比喩として使われる言葉の上だけのこと、あるいは伝説のたぐいにだけ登場する遠い昔のことなのだと思い込んでいた人には信じがたいことかもしれません。

人がどこかに消えてなくなるということは、ひょっとすると怪との出会いより、あるいは死よりも怖いことのような気がします。

ところで神隠しといえば、先の映画が公開されるひと月ほど前の昨年二〇〇一年六月四日、広島県世羅町でYさん一家四人と犬一匹が煙のごとく消えてしまうという事件が起こりました。

この事件に対して、早くから地元で〝神隠し〟という名が冠されたのは、Y家が所有する土地に江戸時代から神隠し伝説の伝わる〝大将神〟という名の山が含まれていたからです。

実はこのY家と私の本家とは一キロほどしか離れていません。私の父は消えたY家のご主人の親族と友人で、Y家の奥さんと私の本家主人とは同級生でした。

まさか自分が子供のころに遊んだ土地でこのようなことが起ころうとは思ってもみませんでしたが、調査を進めるうちに自分の本家の土地にある〝六地蔵〟も神隠しと関わりがあるのだと知って〝他人事ごとではない〟と釘を刺されてしまいました。

個人的な話ばかりではありますが、この一年間に限って〝神隠し〟が重なるのは誠に奇妙な偶然としか言いようがありません。

怪は身近にあるのです。

行方不明から一年三カ月たった二〇〇二年九月七日。ダムの湖底に沈んだ車が発見されその車内から全員の遺体も発見されました。事件は一家心中との見方が強いといわれています。しかしその死にはいまだ多くの謎を残したままになっているのです。

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