特攻隊英霊が取り囲んだ日(茨城県 筑波海軍飛行隊記念館) | コワイハナシ47

特攻隊英霊が取り囲んだ日(茨城県 筑波海軍飛行隊記念館)

俺はまだ死んでいないはずだ

俺の魂を残せ 私の思いを残せ

僕が書いた霊たちは口ぐちに、著者の僕に話しかけてくる。

霊が勝手に僕の手を動かして、すごいスピードで文章を作るときもある。その霊障で、何度もPCが壊れる。むろん、前作を書いたときのPCは壊れた。

同じように、挿絵を描いた先生の元にも、彼らは行ったのだった。

「茨城の怖い話」では、特攻隊の英霊たちを挿絵師が描いてくれた。

本として発行されるまで、僕の原稿は絵師には見せていなかった。

先生は、見なくてもイメージを伝えるだけで、その話の全容が見える特殊な霊能力があるのだ。一度天上界に昇ったことも経験済みで、この世で起きる俗な事、汚い人間や心の闇、すべて見通す能力があった。

去年の冬のことだった。

夜中、絵師が筆をとると、複数のいや何十人という特攻服に身を包んだ青年たちが取り巻いてきた。

明らかに今から描こうとする特攻隊の幽霊たちだった。

「よっ」

彼らは陽気だった。どこにも寂しそうな雰囲気がない。

「お前さ、あの本の絵描くんだろ? だったらさ、かっこよく描いてくれよな」

『あの本』とは僕の書いていた「茨城の怖い話」のことだ。なぜか彼らはその内容を把握していた。

「は、はい」

先生はものすごい人数が狭い部屋にひしめき、自分を取り囲んでいることに、さすがに身震いがしていた。霊にはよく合うが、戦争で亡くなった兵隊の霊が何十人も見ていたら、どんな猛者でも腰を抜かすだろう。

「俺たちは戦後ずーっと『かわいそう』だとか戦争の犠牲だとか、お涙頂戴のドラマに映画、もうウンザリなんだよ。そういうので商売してるやつらいっぱい見てきた。だから俺らはお前に描いてもらうなら、かっこよく描いてほしいんだよ。俺たちはかわいそうじゃない。かっこよく散ったんだ」

彼らは冗談を言いながら、先生の筆を動かした。年齢は二十歳くらいだが、先輩という風格があった。絵の周りを取り囲んでいる圧力に負けそうだった。

先生はゼロ戦がどんな形かもわからないし、写真も見なかったが、できた絵がこれだった。

「ゼロ戦はな、銀色なんだよ」

彼らが指定した銀色の二一型は、まさに阿見市の予科練記念館に飾られた代物だ。ゼロ戦というと五二型の緑色を想像しがちだが、彼らは銀色を指定した。そして特攻最初の人間兵器、有人ロケットの『桜花』も描いた。

「一銀さん、特攻隊の絵ができました」

二枚の『桜花』と『ゼロ戦に乗る前の背を向けたかっこいい日の丸飛行隊』が届いた。僕はこの絵を見たとたんに自然に涙が出た。

感嘆し、この話の主人公になる戦艦作家にこの絵を見せた。

しかし、いつもは優しい戦艦作家が珍しく苦言を言った。

「この絵はな、優しすぎるんだよ。もっと戦艦に飛び込んでいくゼロ戦の絵がいい。それで、空にな、一緒に飛んだ仲間の顔があるような絵を描いてほしい」

と突っぱねた。この話の挿絵は「茨城の怖い話」の『筑波海軍航空隊』である。

僕はそう言われればそうかもしれないと、絵師先生に再度お願いした。

「申し訳ない、もう一枚このイメージで描けませんか?」

と戦艦作家が送ってきた、戦艦に突っ込んでいくゼロ戦の絵を見せた。

「わかりました。あと数日待ってもらえませんか?」

実は先生は精魂込めて描いたために、相当衰弱していたのだ。

また描き直すとなると、まずあの英霊たちにも申し訳ないし、作業が大変になると感じたからだった。

早速その晩に、例の英霊たちがやってきた。そして、驚くことを口走った。

「悪いな。俺たちが描いてほしかったのは、まさにこの絵なんだよ」

先生はまた霊たちのままに筆を動かした。出来上がった絵はバランスのために空で待つ仲間の絵は五人の予定だったが

「ここは四人なんだよ。悪いな、描き直してくれ」

特攻隊の編隊は五機だった。確かに飛び込む一機と四人が正しい。

朝陽が昇るころ、描き終わった先生は疲労困憊だった。

彼らはとても喜んでこう言った。

「ありがとうな、描いてくれて。この見返りは必ずするからな。それに俺たち、カミカゼ特攻隊なんだから、神風起こしてやるからな!」

そして、

「お前と一銀で、本ができたら靖国神社に来い。待ってるからな」

と言って笑いながら去っていったという。

そんな事情があったとは知らずに、この二枚目の絵を受け取った時、背筋から前に抜けていくような霊気を一身に感じた。

「先生、この絵はすごい。まさに思い描いていた彼らです」

「でしょうね、彼らがやってきて俺に描かせた絵ですから」

そこで、事情を初めて知ることになったのだった。

もちろん、挿絵と本を持って参拝した。その時に集まった人数も不思議と五人。五人はペンタゴンや五稜郭に同じく、五角形でもある。

五角形は要塞の形として最高の守備と攻撃を兼ね備える。

靖国神社で起きた不思議な話はまた後日書くことにしよう。

僕は特攻隊の生き残りの方とも懇意で、その現実を聞いていたこともあった。

彼らの培った身体と精神の能力はずば抜けていた。

そして友情も強かった。今も戦友の慰霊祭には必ず行く。

五月に筑波海軍航空隊記念館で田中三也さんの講演会があった。

田中さんは元は偵察機の『彗星』の飛行兵だった。しかし戦況が変わり、彗星で特攻をするようになったことも話してくれた。

最後に「なぜ、自ら飛び込むという特攻をやろうと決意したんですか?」

という現代っ子の問いに、力いっぱい答えた。

「私が飛び込んだのは、国のためでもない、家族のためでもない、ましてや恋人のためじゃない、友のためだ。一緒に戦った友と散る覚悟だったからやれた!」

田中さんもまた明るかった。九十過ぎてもカクシャクとして。

僕が書いた特攻隊と同じことを言われた。

田中さんがそう語ったときに、人数以上の拍手が鳴りやまなかったことを思い出す。ここに集まったのは生きている人間だけではないだろうと感じた。

その会場に、『彩雲』の垂直尾翼もあった。名高い日本の名機がアメリカから渡ってここに置かれることになったのだ。

田中さんの海軍の時計は、七十年以上の時を超えて現役だった。

正確に今の時を刻んでいる。

「茨城の怖い話」を書いて以来、特攻隊の挿絵の原画が部屋にあるせいか、時折彼らの言葉が響くことがある。

「一銀、本物を見て考えろよ」と。

ある仕事でのトラブルの際には、その相手に向けて肩越しに銃口が見えた。

実際対面すると、その相手は怒り心頭のはずが、黙ってしまった。

「あなた、どうも兵隊さんを連れてきていますね。しかも相当強い人たちだ」

と霊感のある共演者たちも言うようになった。

その人数も四人。

筆者の背後には四人の銃を持つ軍人が立っていて、トラブルを起こす相手と対面したときは射程距離を取るようだ。

僕の後ろで構えている方々は、もっと先のことが見えているのかもしれない。

しかし怖さはない。むしろ背中越しに空気が澄んでいる感覚だ。

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