百里基地と特攻隊霊(茨城県小美玉市百里) | コワイハナシ47

百里基地と特攻隊霊(茨城県小美玉市百里)

平成三十年十二月二日、平成最後となる百里基地の航空祭に出かけた。

神奈川からの友人と特急ときわ車内で待ち合わせし、石岡駅で降りて基地までのシャトルバスに乗った。十数万人集まると言われる航空祭だが、ときわの車内はガラガラであった。しかし会場に着くとたくさんの航空ファンであふれかえっていた。

六十年の役を終えるF4戦闘機を見に集まった人も多かった。

僕もその一人で、今まで航空祭を見に行ったこともなかったが、例の伯父のすすめでこの地に向かった。赴任地だった百里を見てもらいたかったようだ。

会場では陸自や空自、海自の制服のコスプレもできたので、さっそく真っ白な詰襟の海自の制服で海軍式に右手敬礼して、自撮りをした。

見ていた空自の担当者がため息交じりに、

「よく似合う」

と言って誉めてくれた。周りの観客にまで写真を撮られたので、よほど似合っていたのだろう。

戦闘機の飛行ショーが始まった。

離陸後、低空の垂直飛行からほぼ直角に高度を上げていく姿は実に感動した。

戦闘機はマッハ数キロが出る。東京と大阪の五百キロは約十一分で着く。隣に(といっても何キロか不明)茨城空港があり、旅客機も並行した滑走路を飛んでいく。この姿を見ても、民間機と自衛隊機が同じ航路を取らないというのがわかる。

戦闘機の場合、垂直低空飛行から高度を上げていく飛行になる。

そのためか、爆音が轟く。しかし大空に舞う姿は左右ヒラヒラと鳥のように自由に動き、真横の向きで旋回したり、優雅でかっこいい。

「すげえ」

以外に言葉が出ない。作家なのに残念な表現力だが、飛行機が飛ぶたびに背筋がゾクゾクとする躍動感にかられる。高揚感でもあり、何とも言えない上昇した気持ちになる。

雲が多い日だったが、太陽がのぞき金色の晴れ間から『天使のはしご』と呼ばれる幾筋もの光の棒のような筋が地上につながって見えた。

一般的に『天使のはしご』が出るときは、霊体が天上界に上がるとき、もしくは降り立つときと言われる。

百里の空は広大な土地と同じく、遮るもののない三百六十度開けた空。伯父が言うように茨城は遮るものがなく航路が作りやすいので、ここに戦闘機を配備したというのもよく理解できた。

また、羽田と成田と百里の位置は三角形になるように距離がほぼ同じなのだ。

海軍の航空基地だった百里のほうが歴史は古いが、いざというときにすぐ飛びたてるようになっている。首都を守る位置だ。

かなり多い見学客の中、最後まで滑走路を飛び立つ飛行機を見ていたら、いつしか観客も減っていた。ふと後ろに人が立った感覚があったが、振り向くといない。この繰り返しだった。

戦闘機ははしごで機体に上がり、二人のパイロットがコックピットに乗り込む。機体に立っている姿がとても雄々しい。そしてゆっくりと離陸場所まで進むとき、必ず観客に向かって手を振る。

こちらもそれに合わせて手を振るが、その瞬間にある光景が見えた。

特攻機に乗り込んだ乗組員が滑走する間、大きく手を振っていた。

それを見ていた隊員たちも大きく振り返す。

また背筋がぞくんと寒くなった。しかし怖さではない。

こうして飛んでいったが、帰ってこなかった。一般の住民もその光景を見ていて手を振ったが、戻ってきたかどうかなんてわからなかっただろうな、と。

この手を振る行動はオーバーウェイブと言って、飛行機に対して行う行為だそうだ。僕は思った。

こうして飛ぶパイロットはいつも死を意識している。だからこれが今生の別れと思って手を振っているのでは、と。そのときだった。

「俺たちは軍人だから敵を倒しに行ったんだ、それだけだ。かっこいいだろ? 飛行機。俺たちは空に憧れたんだよ。わかってくれ」

そんな気持ちが僕の中に入り込んだ。

特攻隊の英霊たちが後ろに立って、戦闘機が飛び立つのを見ている。それが感じられた瞬間だった。その日は何も食べず、ただ飛ぶのを見ていた。

帰りはバスを待ち、石岡駅から常磐線の急行しかなく、ときわには乗らなかった。友人も常磐線でのんびり帰ろうと言ったからだ。

何駅か通過し、土浦駅に着いた。

なぜか土浦駅で数分間停まり、電車の扉が開いたままだった。

「各駅停車の待ち合わせかな」

友人が呟くと、いきなり電車内の電気が消えた。

ふうっと、僕の体から何か抜けていく感じがして、思わず開いたままの扉とホームを写した。特に霊体は写らなかったが、オーブのような白いものがあった。土浦は海軍があった本拠地。今も阿見にある予科練記念館の隣の武器学校は元海軍の敷地だった。予科練はもちろん、特攻隊の少年兵を養育する場所だ。

「帰っていかれたんだな」

僕は敬礼をした。脇を固めた海軍式のコンパクトな敬礼で。海軍の場合は狭い船で敬礼するので、陸軍のように脇は開けないのだ。

彼らはゆっくりと百里から土浦まで常磐線に乗って帰った。オーバーウェイブをしながら、後輩に笑顔と緊張の面持ちで敬礼しつつ。

と僕は感じた。

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