日立鉱山病院跡(茨城県日立市) | コワイハナシ47

日立鉱山病院跡(茨城県日立市)

日立鉱山が閉山になったのは平成十一年、明治からの産業遺産は今も記念館の中にあり、その頃の山の全盛期を偲ばせる。本山地区と言われるこの鉱山の街は、昭和四十年代には何万人も人が住み、小学校は二千人も通っていた。戦後の復興を支えたのもまたこの産業であった。一山一家族と言われたように、この山では病院も劇場も店舗も学校もあり、大きな街を造成してあった

三十年ほど前はこの廃墟病院の跡地が、車の免許を取った若者達の肝試しスポットになっていた。鉄の門扉は頑丈に閉められているが、いくらでも飛び越えて中に入れた。哲也さんもその一人で、友達の車に男友達三人でそこへ行った。

入口手前に車を停めた。他にも何台か道に停まっていたので、同じように肝試しをする連中がいたようだ。哲也さんはあまりこうした怖い場所が好きではない。二人のオカルト好きな友達に乗せられてきただけだ。

他に車があるのを見て安心した哲也さんは、一人でこの車内で待っていることにした。門を見ただけですでにおっかない。

「俺、やっぱおっかねえし、車ん中で待ってる」

「哲也はそう言うと思った。怖気づいたか」

「ああ。ここで待ってっから、早く行け」

そういうと、二人は興奮して奇声をあげながら鉱山病院の門を飛び越えて中に入っていった。哲也さんは助手席でラジオを聞きながら煙草を吸って車内で待っていた。今のようにスマホもない時代なので、車で聞く音楽はカセットテープかラジオだった。カセットを入れたが、うまく再生しないのでラジオにしたのだ。

「キャー」

という女性の声がラジオから流れ、ぞくっとした。多分、深夜なのでそういった怪談番組なんだろう。別の番組に変更した。

車の中にいたら、窓をドンドンと叩く音がした。友達が帰ってきたのかと思ったらボンネットの前に人が三人立っている。ヘッドライトを付ければ済むが、他の肝試しに来ている人が間違ってうちの車に来たのかもしれない。哲也さんは免許を持ってなかったので、車の扱いがわかっていなかった。

その三人は助手席、運転席、後部席と動き、中を覗いてきた。

「あんたらの車じゃねえよ。あっち行きな」

外の三人にわかるように室内灯を点けて、違う違うと手を振った。するとその三人はすうっといなくなり、別の車の方へいったようだった。

「ちっ。しつけえな(しつこいな)、自分の車ぐらい覚えとけよ」

また煙草に火を付けていると、ドンドンドン! と運転席の窓を叩く音がした。またさっきの奴らだ。哲也さんは助手席の窓を開き、

「違いますってさっきから言ってんだろ!」

と怒鳴ると、一人の顔がぬっと窓を覗き込んだ。

「うわっ何だおめえ」

その顔は真っ黒だった。いや、顔の形はひとつもなかった。目も鼻も口もない。ただの肉塊。真っ黒なのっぺらぼうだ。体も服も来てない、全身タイツみたいな真っ黒な人たちだった。いや、歯だけ白く見える。怯えながらも窓を閉め、ラジオの音を大きくして助手席で震えていた。また、ドアを叩く音がする。

「やめろ! 入ってくるなよ!」

と哲也さんが怒鳴ると、キーを解除する音がしてドアがガチャリと開いた。

「うわあ!」

「うわあ!」

入ってきたのは友だちだった。少し安心したが、寒気が止まらなかった。

「いやーおっかなかったなあ!」

「哲也、大丈夫かあ~」

「おめえらおせーよ。一人はやっぱ、おっかねかった(怖かった)」

「わりい、わりい。中で可愛い女の子たちと一緒に肝試しすることになってよ、哲也も来りゃいがったな、おめえの好みっぽい女もいたのに」

「ふーん。その子達はどこ行ったんだ?」

「俺らより先に出ていったなあ。哲也、会わなかったか? 一緒に二台で帰ろうって誘ったんだけど、さすがに警戒したかな」

「おめえがガツガツしてっから、女も引いたんだ」

哲也さんはやっと笑った。

「んだよ、言ってくれりゃあ行ったのに。女は何人いたんだ?」

「三人だ」

哲也さんはさっき見た黒い三人のことは、落ち着いてから話そうと思った。女の子が出てきたと言われたが、実際はそんな子は見ていない。だけどここで言ったら、運転手がパニックになって事故に遭いかねない。友人の隣でうとうとしながら話を聞いていた。

「あれ、あの子たちの車どれだったんだろうな」

「先帰ったんだろ。待っててくれるわけねえな」

後部シートの友人が奇妙な事を言った。

「何かあの子達、この車に一緒に乗ってるみてえな気がすんなあ」

「よせよ。気味わりい」

「なんで気味わりい? 可愛かったのによ」

そう言いながら家路をたどった。特に走行中は問題はなかった。寒気だけはひかず、この話は人にはしなかった。

後で聞いた話だが、運転していた友達はその後、高速道路の事故で亡くなってしまった。みんなで乗った車は大破した。

蛇行運転していたと証言があったので、居眠り事故だったようだ。

哲也さんはその事故はあの黒い人影があの車にくっついてたから起きたんじゃないか?と思っている。友だちが中で会った女の子たちが、黒い人影が姿を変えて道先案内人になったのでは……と。死の案内人に。

一九〇五年(明治三十八年)以前は赤沢銅山と呼ばれていた小鉱山であり、水戸藩政時代も鉱毒問題などで開発が進まなかったが、同年久原房之助氏が経営に乗り出し、日立鉱山と改名され本格的な開発が開始された。

日立の言われはこの土地が日立市であったことから。紐解くと、光圀公の日が立つ場所という表現からついたといわれる。日立という地名が社名になった。久原氏の経営開始以後大きく発展し、一九〇五年(明治三十八年)から閉山となった一九八一年(昭和五十六年)までの七十六年間に、約三千万トンの粗鉱を採掘し、約四十四万トンの銅を産出した日本を代表する銅鉱山の一つとなった

ただ、銅山であり、精製の時の鉱毒もあれば、採掘時の爆破で大怪我をする人もいた。緊急応急手当のためにに山を下りる搬送は難しい。そんな人々のために大雄山病院ができた。それを一般的に日立鉱山病院と呼んでいた。

採掘現場に火災や爆発はつきもので、真っ黒になった遺体や人の形をとどめないけが人も多かったと聞く。日立鉱山の廃坑に伴い、現在の日立鉱山病院は、日立市街地に移転した。それで廃病院が心霊スポットとして有名になったのだ。

現在はもう更地だ。場所は常磐道の日立インターの辺りになる。

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