五浦海岸にて(北茨城市大津町) | コワイハナシ47

五浦海岸にて(北茨城市大津町)

「飯食ってから水さ入れよ。餓鬼に喰われっかんな」

これは賢さんが昔から言われていた言葉だった。海や川には餓鬼がいて腹が減った子供の足を引っ張って水の中に連れ込もうとする。水場に入る時は、必ず何か食べてから入れという家の言い伝えがあった。

中学校三年の夏休み、友達と数人で五浦海岸より南の海水浴場に出かけたときの話だ。ボディボードをするために、数人で海に入り、波間に揺られていた。賢さんは高萩に住んでいて、夏になるとこの海で遊んでいた。初心者レベルなのに、今回は中級レベルの友達と沖の波間で待っていたら、潮の流れが速く、ぐんぐんとさらに沖へ流されていってしまった。

「そういやあ、飯食ってなかったな……」

その時それが頭に浮かんだ。ボードに捕まるのが精いっぱいでパドリングしながら陸を目指そうにもとてもたどり着かない。友達の姿なんてとてもわからなくなってしまった。どこからか意識が遠くなってしまい、ボードに揺られながら海を彷徨っていた。船が来たら助けてくれる、海岸にライフガードもいるさ、そんな感覚でいた。沖の方にかなり高い波が見えたので、この勢いで陸へ向かおうとしたとき、ボードもろとも波に飲まれてしまった。

その時だった。海の中で波に飲まれながら、必死で海面に出ようとしていた時だった。思いっきりぐいっと足が何かに引っかかり上がれないのだ。

賢さんは水も飲んでいて、溺れる寸前だった。引っかかったものは何か足を見ると、無数に伸びる白い手だった。まるでイソギンチャクみたいにゆらゆらと、しかししっかりと賢さんの足首を握る手があった。いくつもいくつも下から伸びて来る。

(助けて! お母さん! お父さん!)

意識が遠くなりながら、賢さんは心で叫び続けた。

すると目の前に数人の人の顔が現れた。どれも知らない顔だったが、見たことがある顔がひとつだけあった。

その顔は、小学校六年の時に福島に転校していった女の子の顔だった。

学級委員も一緒にやって仲が良かったが、親の不幸か何かで突然いなくなった。美緒と呼んでいたのを思い出した。

(美緒! ここにいたの? しばらくぶりだなあ)

すると美緒はにっこりとうなづいた。

「一緒に行かない? 美緒のいるとこはええとこ(良いところ)だよ~」

(いやあ、俺はここに住んでてえよ、早く陸に上がりたい)

美緒は悲しい表情になった。

「賢ちゃんと一緒に行きたかったんだよ、行くべ?」

(いやあ今は無理だ。陸に上がったら美緒のとこに行っから)

「本当だね?」

(本当だ、だから助けで)

「わーがった(分かった)」

そう美緒は言うと、賢さんの足の手を外してくれた。何人かの顔が見えたが、色んな顔だった。坊主頭の人、三十代くらいの人、幼い子……どれもみな立って海中に浮いていた。これが餓鬼? いや、ここに住んでいる人たちだろうか……? 気が付くと美緒の顔はどこかへ消えてしまった。

賢さんが目が覚ました時は救急病院の担架の上だった。肺に水が入ってしまい、無呼吸のままになっているところをライフガードに助け上げられていたそうだ。北の五浦海岸の方向まで相当に流されていたという。海水が肺に入り込み、X線で撮ると肺が真っ白だったそうだ。

入院しているときに、母親に美緒のことを聞いた。

「信じねえかもしんねえけど、俺、海の中で美緒に助けられたんだあ、覚えてるか? 一緒に学級委員やってて……俺と一緒に美緒が転校したとこに来てくれって言うんだ」

母親は驚いた顔で賢さんを見つめた。

「……で賢は何だって答えたんだ?」

「とにかく陸にさ、上げてくれたら美緒に会いに行くべって言ったんだ」

「……会いに行くって……それは無理だ」

母親の声が小さくなった。

「へ? 何で? 美緒はどこに引っ越したんだか知らねえの? 母さん」

「美緒ちゃんは、お父さんの会社が倒産して夜逃げしたんだ。皆で手に縄付けて、五浦海岸のとこで飛び込んだそうだ……無理心中だったみたいだ。後で遺体が打ち上げられたって、北の福島の海岸で上がったみてえだよ。縄がついてたって誰かがいってたんだ……」

賢さんは驚いて言葉が出なかった。

「賢、もう頼むから二度と海には行かねえでくれ。一緒に海岸のとこ行って拝もう。お墓もどこにあんだかわかんないんだ」

「……わがった」

賢さんはつつっと涙がこぼれた。もう生きている美緒には会えないんだなあ、と。だけど俺はここでまだ生きていきたい。親や兄弟、じーちゃんばーちゃんと。

「一緒に行くべ」

海の中で響いた美緒の楽しげな声。同じ言葉を言われて入水自殺したのかと思うと……その後も後遺症なのか、肺の病気で何度か賢さんは高熱を出した。

熱でうなされる度に賢さんの頭の中に聞える言葉がある。

「まだ来ねの?(来ないの)」

美緒さんの声が頭の中で轟くのだと言う。

夢で逢うと、彼女の腕にしっかりと縄がついていた。賢さんの腕にも縄がかけられていた。

(美緒は飯食えてなかったんだろうか……)

賢さんは今も子供を連れて海にいくたび、大量の食べ物を持って行く事にしている。霊に引き込まれないようにと、餓鬼も美緒もお腹が空かないように、だ。

五浦海岸は北茨城の断崖絶壁の海岸である。宮城の松島を思わせる、美しい景観があるので、観光客もよく訪れるが、崖の特徴でもあり自殺も多かったようだ。

東京芸術学校(現 東京藝術大学)の初代校長であった岡倉天心が、内紛で職を追われた後、水戸の武家出身であった横山大観らを率いてこの地に移り住んだ。六角堂などが有名である。東日本大震災では津波の被害で水がこの崖の上まで上がり、流されてしまったが、現在は復元している。美しい海岸線の砂浜もあったが、土砂崩れで無くなってしまった。遊泳は禁止されている。

横山大観はここでの生活の苦労や絶望感を、その後の作品に生かしているともいえる。東京駅の駅長室と天皇陛下を迎える貴賓室にも大観の絵が飾られている。しかも無料で提供したという。その当時は大観は熱海に住み、東海道線沿線住民だった、そのため絵も富士山になっている。

五浦海岸に滞在のころは、常磐線に乗って、この海岸から見える太平洋を描いたであろう。

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