谷田部テストコース(茨城県谷田部町) | コワイハナシ47

谷田部テストコース(茨城県谷田部町)

谷田部には有名な車のテストコースがあった。カー雑誌の表紙に最高速を競う、車が斜めに走っている写真があるが、それがこの谷田部テストコースで撮られていた。現在は無くなり、傾斜部分のコースだけが残っている。普通に見ると、単なる壁に見えるかもしれないが、これは道だったのだ。

当時のことを知る、自動車整備士でアマチュアレーサーの橋野さんは語る。

「一度あそこでは死にかけたことがありましてね」

話を聞くとこうだった。

日本の車のメーカーは勿論、チューニングショップやプライベーターも谷田部のコースで最高速に挑んでいた。

自分が車関係の仕事に携わり、整備士として仕事をしていた時、雑誌社の企画で催しがあるからと、某チューニングメーカーから誘われエンジン製作に携わった。徹夜でエンジンを仕上げ、谷田部に持ち込んだ。

マシンは有名な日本のメーカーのスポーツカー。仕様は七百馬力のツインターボ仕様で挑んだ。

マシンの状態をチェックしてコースに送り出し、難なく最高速度三百十二キロをマークした。

「やった!」

一人歓喜の中にいたが、頭の上に何か違和感があった。

気になり空を見上げると、白い紙のような布のような物が飛んでいる。

だがそれはただの布じゃない。

明らかに生命体があり動きがある。くねくねとしたいつまでも浮遊したものだった。

しかし動物でもないし鳥の容姿ではない。物体でもない、とすれば何だ……?

まるでゲゲゲの鬼太郎の一反木綿のようだ。

そんなものに気を取られてしまった。

(変なの見るときは体に変調あるときだ、何事もなければいいな……)

と思った瞬間、マシンがエンジンブローしてコース上で炎上してしまった。

ドライバーは命からがら抜け出し、軽症で済んだが、橋野さんの用意した車は大破炎上してしまったのだ。原因は未だに不明のままである。

エンジンが燃えてしまったから全く究明することができない。

「何の問題もなく走行していて、いきなりエンジンがブローしたんですよ」

「すまない、こうなるとは思ってなかったんだが……」

ドライバーには問題がないようだった。

徹夜で精根込めて組み上げたエンジンだけに不備があったわけでもない。だとしたら、さっきの白い物体のせいだと考えざるを得ない。

「いったいなんだったんだろうな」

後輩にその話をした。すると意外な答えが返ってきた。

「その一反木綿……僕も見ましたよ。あれ見てうちのドライバーもクラッシュしちゃったんですよ」

彼も三カ月後のレースで同じ白いものを見て、ひどい衝突事故を起こしたそうだ。

スピードを邪魔する妖怪か、死を告げる使いか。

テストコースでは突っ込んで事故死した者も多い場所である。

ドライバーの運転技術だけではない別の祟りがあるのだろうか。

神風特攻隊の谷田部基地はこの一帯にあった。現在は筑波学園都市の敷地となり、病院がその跡地となっている。

海軍の基地であり、ここから鹿児島の鹿屋に飛び立ち、そこから沖縄にいる米軍艦に体当たり特別攻撃を行っていた。海軍といえば谷田部。軍隊の中でも「鬼の土浦、地獄の谷田部」と言われるほど、訓練も厳しい場所だった。

もちろん上空で米軍の爆撃機を迎撃して墜落や爆死した兵もいたという。

そういえば特攻兵の首元は憧れの白い絹のマフラーだった。

空中分解したときには肉片も残らないというがマフラーだけは揺れながら地上までを彷徨った。それは今も空中を揺れているのかもしれない。

飛行兵の魂は爆音に寄って行くのは感じる。百里基地での体験がそうだ。飛行機乗りは飛行機が大好きだからだ。白いマフラーを揺らしながら。

そして戦闘機を設計した技師たちのソウルは自動車のエンジンに息づき、空を駆け抜けた頃の面影を残したまま地上を駆けている。

余談であるが、戦時中三菱重工でゼロ戦の設計をしていた人が、戦後に熊本大学工学部で教授になった。助教授と教室のゼミの生徒でクレーンを作った。

それがひどく成功し、会社にした。僕の父は同じ学部の卒業で、その会社に入社した。教授はゼロ戦の設計書を持っていた。

父を次期社長にしようと思っていたようで、元教授の会長はゼロ戦の設計書と、飛行するゼロ戦の写真を父に渡した。

僕もその設計書や写真を見たことがある。色々な人が、設計書を欲しがり訪ねてきたが、父は追い返していた。

ゼロ戦は日本の航空技術の最精鋭ではあるが、人を殺す武器でもあったからだろう。

シェアする

フォローする