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ひょこひょこ
「二十年ほど前、私が小学校五年生のある時期にだけ、妙なことがあったんです」と所沢に住む主婦の方が聞かせてくれた。
彼女はとても怖がりで、五年生になっても夜中にひとりでトイレに行けなかった。必ず隣に寝ているお母さんに付いて行ってもらっていたという。
夏の夜のこと。
トイレに行きたくて目が覚めた。
「お母さん、お母さん」
肩を揺するが起きてくれない。
「ねえ、お母さん」
どうしようと顔を上げると、隣の部屋とを隔てる四枚の襖が目に入った。
その襖にはそれぞれ数本の笹が描かれている。一番端の襖に描いてある笹の間から、見たことのない老人が歩いて出てきた。
あれ?ここにこんなおじいさんの絵があったかな?
老人は籠を背負っている。ひょこひょこと三枚の襖の中を横断して一番端まで行くと、よっと身を屈めて笹を一本引き抜き籠の中に入れた。
「どうして絵に描いた笹が抜けるの?」
絵のおじいさんが動くことより、笹が引き抜かれたことに驚いた。その間にも老人は笹を抜いては次々と籠に入れていく。
とうとう襖の笹をすっかり抜いて、あとには無地の襖が残った。
老人はくるっと身を返して、ひょこひょこと歩き出すと、出て来た元の襖の黒い木枠の中に消えた。
その途端怖くなった。
「お母さん、お母さん!」
「どうしたの」とやっとお母さんが起きてくれた。
「今ね」と襖の絵の話をするが、信じてくれない。
だってほら、と襖を指すと、抜かれたはずの笹の絵はちゃんとそこにあった。
ぷかぷか
それから二週間ほどたった夜中のこと。
その晩もトイレに目が覚めてお母さんを起こした。
この晩は起きてくれて、無事トイレをすませた。
部屋に戻ると今度はお母さんが「私も」と廊下に出てしまった。
彼女ひとり部屋に残されて心細く思っていると、廊下の障子に入ったガラスの向こうで何かが四つ光っている。
何かな?
と、ガラスをすり抜けて桃色に光るボールのようなものが四つ現れた。
ぷかぷか浮いている。
何これ?
ゆっくりゆっくり近づいてきて、目の前でピタリと止まった。
その途端、「お~ば~け~だ~ぞ~」という声が部屋中に響いた。
ぎゃあー。
彼女の悲鳴にお母さんが飛んできてくれた。
泣きながら話すと「またバカなこと言って」と一笑に付された。
しかしあの声は今だに忘れられない。
低い男性の声を機械で高くしたような声だった。
キラキラ
それから一カ月。
夜中に目が覚めた。トイレだ。
目が自然と笹の絵がある襖に行く。老人の姿はない。
ガラス障子を見回す。桃色のボールもない。
じゃあお母さんを起こそうかな、と思って起き上がると、頭の上から風が吹いて、髪が乱れた。ふり仰ぐと天井がキラキラ光っている。
満天の星。
星?星だ、星がある。
わぁ、きれい。
でもこのお星様は何?
そうだ、それよりお母さんを起こして見せてあげなきゃ。
「お母さん、お母さん」
「うん……どうしたの、またトイレ?」
「うん、でもほら天井にお星様が、ほら」
見上げると、何もない。
それからは何も怪しいことが起こらなくなったという。