弘前市は一方通行の道や行き止まりが多いように感じられる。
小道はどこも緩やかなカーブを描いていて、目的の場所へまっすぐ進んでいるつもりが実は少しずつ離れていっている、なんてこともある。
もっとも、「ある」と言い切るには私は極度の方向音痴で、以前京都に住んでいたせいか道の分かり難さにストレスを感じがちなのだ。
真鍋さんが大学生の頃の話だ。
夜、郊外のビデオレンタル屋にビデオを返却しようと、原付を走らせていた。
住まいからレンタル屋まではまあまあの距離があったものの、夜の原付なら体感的にはそう遠くない。色々と抜け道を知っていたこともあり、距離の割にはストレスを感じたことはなかった。
大通りを曲がりまた大通りへ、そこからパチンコ屋の駐車場を抜け、また幾つかの小道を抜け、レンタル屋に着く。
はずだった。
幾つか小道を抜けたところでさっぱり場所の見当が付かない景色が広がった。
やけに田圃が目立ち、農家がぽつぽつと建っている。
道を間違えていない確信があったので、この展開には怯む。
すぐさま来た道を戻れば良かったのだろうが、(おかしいぞ)と思いつつ道を進んでしまったため、もはや全く自分がどこにいるか分からない。
おまけにまだ夜の九時前だったはずなのに、幾ばくか彷徨っているうちに、山間から朝日が昇ろうとしている。
(全然、分からない。何も分からない。状況が分からない)
何となく方向の目安になりそうなものは、朝日か岩木山だけだ。
しかし、昇るはずのない朝日が異様なものに見え、見慣れた岩木山を頼りにした。
真鍋さんはパニック状態で、取りあえず岩木山に向けて原付を走らせた。
自分の行いが正しいのか、こうやって山に向けて進むことでどうにかなるのかも不安だった。しかし自分には今、岩木山しかない。
岩木山だけが現実と自分を結び付けている。
はたと気が付いたときには、岩木山神社の前にいた。
どうやって神社の前まで走ったのかが全く思い出せない。
何にせよ、ただ、山に感謝するばかりだった。
分からずじまい
深夜の青森駅前に、衝撃音が響いた。
重量物に加速を付けて堅固なものに叩きつけた、かつ湿り気を帯びた音。
警備員の堂島さんは、建物一階にある駐車場出口の料金所兼詰め所でその音を聞いた。
徴収した料金の集計作業をしていたその手を止め、音源めがけて駆け出した。
案の定、であった。堂島さんが勤める商業施設から、男性が飛び降り自殺したのだ。
赤色の光線が交錯し、出動した警察官や救急隊員、そしてビルから出てきた同僚たちで現場はごった返していた。
堂島さんの服装を認めるや警察官がやってきて、事情聴取が始まった。
焦点はどうやら、男性はどこから飛び降りたのか、にあるらしい。
営業時間はとっくに終わっている。店舗フロアに立ち入ることはできない。
駐車場フロアには外に向かって大きな開口があるが、全て鳩除けネットが貼られていて破られた形跡は見当たらない。屋上はと言うと、高いフェンスが設置されていてよじ登るのは難しい。
「そうだ、防犯カメラの画像を見ればいいじゃないですか」
詰め所にはモニターが置いてある。施設内の各所に設置されている防犯カメラの映像を再生していけば、男性がどこから飛び降りたのかはすぐに分かるはずだ。
時間を衝撃音の前に巻き戻し、あらゆるアングルから撮られた画像を観ていく。
しかし。不思議なことに、どのカメラにも男性の姿は収められていない。
他のガードマンへの事情聴取を済ませた巡査が部屋に飛び込んできた。
――閉館後に館内を巡回したガードマンも、誰も男性を見ていないと言っています。
結局この話は――堂島さんは小声で言った。
「何もかも分からないまま、報道もされずじまいで終わったんです」
どこから飛び降りたのかも、もっと言うと飛び降りた男性の身元も分からずじまいで。
「それにしても。生きる希望を完全に失った人は、生きていた頃の痕跡どころか、カメラにすら映らなくなってしまうものなんですね」
寂しげに、そう語った。