清本拓郎は青森県黒石市で生まれた。両親は青森市で働いており、小さい頃はよく祖母に預けられていた。祖母は時々知人の林檎農家の手伝いをしており、そんな折は畑まで連れて行ってもらった。
子供の身体にとって畑の面積は宇宙ほど広く感じられ、木の傍にいる祖母からなるべく離れないように、小石や枝を拾って遊んだ。
祖母は口数が少なく、何かをねだるとそのほとんどに応じてくれた。もっともまだ小学校にも上がっていない子供がねだるものなどたかが知れている。駄菓子、果物、ちょっとした玩具が手に入ればそれで満足だった。
老舗が立ち並ぶこみせ通りの活気と畑、優しい祖母。拓郎に両親に対しての親しみがない訳ではないが、小さい頃の記憶といえばそれらが主になる。
祖母は酷い風邪をこじらせ、そのまま肺炎で亡くなった。
八十を超えていたので、老衰と呼んでもいいのだが、小さな頃はそれが分からなかった。
親族が骨を拾っている間は飴玉を舐めていたものだが、いつしか祖母にもう会えないことが分かってくると、目尻が切れて血が垂れるほど泣いた。
葬儀の一連が終わっても、三日ほど両親が傍にいてくれた。
ハンバーグやナポリタンをレストランへ食べに行き、大きなロボットのプラモデルを買ってもらった。
保育園に行くようになった。
毎朝、母が運転する車の中で拓郎が無言だったのは、保育園が嫌いだったからだ。
保育園ではほとんどの園児が最年少の組から一緒だったのだが、拓郎だけが途中入園だったためどうにも馴染めないでいたのだ。
ばっちゃ 婆ちゃん と一緒にいたほうが面白いじゃ。
ずっとそんな気持ちでいた。
そして、その気持ちが爆発した日があった。
「今日、保育園行きたくない……」
起きがけに泣きじゃくりながら母にそう伝えた。
「行がねばまいねよ 行かなきゃ駄目よ。具合悪いわげでもないんだべ?具合が悪い訳ではないんでしょ?」
「行きたくない……行きたくないの」
「休むが?」
「……うん」
罪悪感はあったが、休めると知りほっとした。
母は勤め先に電話をし、「息子に熱がある」と告げた。
昼食後、母と散歩をした。
道すがら畑が見えると祖母のことを思い出した。
黙って畑に歩みを進めると、手を繋いだ母も同じ方向に向いてくれた。
思い出の場所、と言うには、どの木も同じように見え、祖母と一緒にいた地点の当たりが付かなかった。
そもそも周囲には多くの畑があるため、祖母とどの畑に行っていたかなんて分かってもいない。ただ「畑」というものに惹かれているに過ぎなかったが、そのときはそれで良かった。
祖母との思い出が拓郎を動かしていた。
畑に入り枝を拾って投げたり、地面を見て虫を探したりした。
たまに振り返ると自分を見つめる母の姿があった。
しばらくそのまま遊び、飽きた頃に母の横へ行き手を握った。
畑から車道に出て、何となく二人で振り返った。
祖母が畑の中に立っていた。
「……おかあさん」
と小さな声で母が言い。
「ばっちゃだぁ……」
と拓郎は言った。
親子が顔を見合わせ、もう一度畑を見ると、祖母の姿はなかった。