私は二十代の頃、京都で暮らしていた。
元々は某私立大学に通うために京都へ引っ越した訳だが、どうにもキャンパスの雰囲気に馴染めず、数年で中退した。
在学中から勤めていたコンビニのバイトを辞め、幾つかの日雇い、週払いの人材派遣会社に登録し、時に働いたり、時にぼんやりと過ごしていた。
奈良県の染物工場に派遣されたのは随分とお金に困っていた時期のことだった。
京都奈良間を電車で移動した後、夜勤で約九時間拘束されるのはなかなかに苦痛であった。電車の時間が出退勤時間と全く合わず、実際は移動時間も含めて十二時間以上拘束されている。駅から工場まで二十分ほど掛かり、大型トラックなどがびゅんびゅん走る山間の道路の狭い路側帯を頼りにとぼとぼ歩くのは、心に相当のダメージを負ったものである。
工場ではしばらくの間、桶洗いの作業をしていた。
クライアントに頼まれた色味を出すために、様々な染料を調合する訳だが、「調合」という言葉が持つ繊細なイメージと裏腹に、だだっ広い作業場に並んだ染料が入ったバケツをあっちこっちへ持って行き、必要な染料を必要な分混ぜては、中途半端に染料が入ったバケツが次々と出現するてんやわんやの職場だった。
三百六十五日工場に休みはなく、バケツが足りなくならないように、機械を使って、二十四時間とにかく洗いまくらねばならないのだ。
良い加減、その仕事にうんざりしていた頃、部署が異動になった。
今度は長さ三十メートル、高さ五メートルほどの繊維に色柄を入れる機械から出てくる反物をリヤカーに乗せる仕事だった。
乗せる、と言っても反物の出口にリヤカーを置いておけば、自然と蛇腹に重なっていくようになっていて、主な仕事は試験用に反物の一部を千切ることと、色柄が変わった瞬間を逃さず、リヤカーを変えることである。楽ではあったが、稀に反物がうまく蛇腹状にならず、歪な積まれ方になってしまうため、じっと反物を見つめていなくてはならない。見慣れない機械から、パンダやキリン柄の色とりどりの反物が吐き出されていくのをじっと見ていると、いつしか気が滅入ってくるものだった。
機械は大きく、作業自体も最終工程に近い割には、反物の入り口に社員が一人、出口に日給手取り七千円弱のアルバイトが一人という、資本主義の難しさを伝える布陣だ。
一時間の休憩があり、工場には広く小汚い社員食堂があったので、コンビニのパンを少し摘んだ後は、いつもそこのテーブルに突っ伏して休んだ。
その日もそうしていると、「すみません」と声を掛けられ、驚いて顔を上げたのだった。
話しかけてきたのは私が機械のほうへ移動した後に、桶洗いとして派遣された若者だった。桶洗い担当者は、飛び散った塗料で衣服が著しく汚れるため一目でそうと分かるのだ。
「ああ。お疲れ様です」
私は驚きつつ、なるべく明るい声色で挨拶をした。知らない人と話すのは嫌いではない。
「あの、○○さん(人材派遣会社の社員の名前)から聞いだんですけど、高田さん、青森出身だんすよね」
私は聞き馴染みのあるイントネーションにすっかり嬉しくなり、
「んだんだ。おら、弘前だんずさ 弘前なんだよ 」
と返した。
「奇遇ですよね。関西さ青森の人いるの珍しいのに、こったどこでね こんな所でね 」
「んだね。こったごともあるんだね」
桶洗いの後釜の名はノリヒロといい、工場の近くに住んでいるとのことだった。聞くと彼の実家は青森県平川市だった。
奈良に移住した理由は「関西だったらどこでも良いから引っ越して生活してみたい」という至ってシンプルな理由で、家賃の安さで滋賀と迷ったが、修学旅行の記憶がある分若干の親しみを感じた奈良に軍配が上がったのだそうだ。
以降。ノリヒロとは休憩のたびに細やかな交流をした。
趣味の類がないようで、話をしていてももうひとつピンとこないキャラクターではあったが、年下だったこともあり、私はどこか可愛げのようなものを感じながら話し相手をしていた。
「高田さん、一人暮らしって何かおっかねぐねえっすか?」
その言葉が出たのは確か、近所に使い勝手の良いスーパーマーケットや商店があるか、という話をしているときのことだった。
「いや、おらは怖いと思ったこどはないよ」
「んですか。おらは何がまいねんすよ」
当時私はまだ怪談作家としてデビューしておらず、この会話は「取材」に該当するものではなく、あくまで「お喋り」の一環だった。
「高田さんは霊感みたいなのってあります?おらは青森の実家で、よぐ出たことあって。基本的にそういうのは信じでるんすよ」
「出たってば?バケモンが?」
「うーん……バケモンっすね」
こうして「よぐ出た」話が始まる。
小学五年生の頃のある日、ノリヒロは母が支度している夕飯を待ちながら、父と居間でテレビを見ていた。
放映されていたのは二時間のバラエティ番組で、親子で大いに笑いながら楽しんでいた。
が、突然テレビが消えた。
父がゆっくりとリモコンに手を伸ばし、テレビに向けてボタンを何度か押したが、反応がない。主電源を押してもみたが、やはり点かない。
父は不服そうに、ちっ、と舌打ちした。
ノリヒロは自分が何か口出しすると余計に父の機嫌を損ねるだろうと、黙っていた。
「まんだ消えたじゃあ」
父は台所の母に向かってそう叫んだ。
まんだ、と言うからには過去にも消えているようだが、ノリヒロに覚えはない。
「最近、家のなが、おがしぐねえが?」
父は続けて母にそう言った。
「ねえ。そうねえ」
母はそう返事をしながら、コンロのつまみを捻っていた。
なかなか着火プラグがうまく作動していないようで、カチカチカチ、カチカチカチカチと何度もプラグの音が鳴った。
ノリヒロが事の次第を窺っていると、バンッ、と乱暴な音が台所から響き「わっ」と母の声がした。
興味が湧いたので台所の母の元へ駆け寄ると、母が開け放された冷蔵庫をコンロの前からぼんやりと見ている。
「ノリちゃん見て……。冷蔵庫、勝手に開いた。変だねえ……」
母は我が子を怖がらせまいとしてか、妙に間延びした口調でそう言った。
「勝手に開いたの?えええ?」
ノリヒロは戯けた調子でそう返した。誰も触っていないのに冷蔵庫が開いた、ということなのだろうが、それ自体に余り不思議を感じなかった。原因は分からないが、そういうこともあるのではないか、と思った。
母は冷蔵庫に近付き、中にしっかり入りきっていないまま、ドアを押しているものがないかを確かめたが、該当するものが見当たらなかったらしく、首を傾げながら扉を閉めた。
すると誰もつまみを触っていないのにカチカチカチと音が鳴り、コンロの火が点いた。母はまた「わっ」と声を出した。
聞き馴染みのあるタレントの声が居間から聞こえ、テレビの電源が直ったことが分かった。
休憩時間が終わり、また銘々の職場に戻った。ノリヒロの体験談は、地味ではあったがいかにも本当に起こりそうに聞こえ、楽しめた。
何か現実的な理由があり、偶然が重なっただけのことだったとしても、それはそれで面白いエピソードだ。ノリヒロは「他にも色々あるんで……また今度にでも」と照れ臭そうに言っていた。正直、貴重な休憩時間をノリヒロに奪われてしまうのは本望ではなかったが、つまらない会話をするくらいなら、こういったもののほうがまだ良いのだ。
ノリヒロが言うには、母方の家系が強いのだそうだ。
遠縁の親戚に占い師のようなことをやっている女性がいるとのことで、私が「カミサマ?」と訊いたところ、「そう呼ばれることもあるらしい」という旨の返答があった。
ノリヒロの母ミチコは結婚前にこんな体験をしたことがあるのだそうだ。
当時ミチコさんは農業を営む実家の手伝いをしながら、小さなスーパーマーケットのレジ打ちのアルバイトをしていた。
今のような「郊外型」の景色が生まれる前は、小さなスーパーでもなかなかに忙しい。午前中は昼食の素材を、午後は夕食の素材を求めて近隣の住民がひっきりなしに来る。
顔馴染みになって挨拶をするようになる客もいれば、小中高の同級生や家族との付き合いがある客もいる。レジを待つ客がいないようなら井戸端会議に花を咲かせることもある。バーコードの付いていない商品を少し値切ってあげても角が立たなかったのも、そんな時代だったからだ。
どこかで見た夫婦が商品を持ってレジに来て、「あら、こんにちは」と挨拶をしてきた。
「こんにちは」と返事をしてはみたものの、誰だか思い出せない。
するとミチコの心中を察してか「高尾のおばちゃんだよ」と女性は自分の顎に指を指して自己紹介をした。
だが、ミチコはその紹介だけではまだ思い出せない。
「元気してらの?」
「……うん。今だば畑暇だはんで、バイトばっかだ」
「んだが。元気だばいいじゃなの」
亭主は黙って妻の傍に立っている。二人とも頬を緩めているし、双方ともやはり見たことがある顔ではある。
会計の十の位をゼロにして「へば、まだ」と別れの挨拶をした。
自分より遥かに年上であることと、口調から自分のことを小さいときから知っているような印象を受けたことから、恐らくは両親が付き合いのある夫婦だろうと解釈した。
家に帰ってから母に「高尾さん、って知ってる?」と夫婦の風貌を説明しつつ訊ねた。
「ああ。高尾商店の娘さん。昔、よく家にも畑の薬剤持ってきたじゃな」
その説明でパッと霧が晴れたように夫婦のことを思い出した。
お年玉を貰ったこともあれば、亭主が父と食卓で酒を呑んでいる姿を見たこともあるが、ほとんどの記憶が小さな頃のことに集中しているため、すっかり顔を忘れていたようだ。
「しかし、男の人はそい、ほんとに旦那さんが?」
「うん。夫婦で来てあったよ」
「旦那さん、もう亡くなってらね。癌さなってや」
と言われた。人違いだったか。
いや、間違いないはずだ。
母は考え込むミチコを見て、何かを思ったらしく、
「おめ、まんだ神がかっちゃあな」
と言った。
ノリヒロはこの話に続けて、母が小さい頃によく何か大人に見えないものを見ていたこと、親戚の「カミサマ」も母に素養を見出していたことなどを私に伝えた。
母方の一族が強い、というエピソードは他にも幾つかあったが、声を聞く、気配を感じるなどのものがほとんどで、少しありきたりな印象を受けたせいか記憶に薄い。
ノリヒロは私が「うんうん」と聞く姿を目にして気をよくしていたのだろう、「今度またそういうの思い出したら話しますね」とよく言っていた。
だが、ある日からパタっと休憩場所で会うことがなくなり、代わりに違う若者が塗料で汚れた服を着てコンビニ弁当を食す姿があった。
まさか後に自分が怪談作家になるとは思っていなかった私は、少しは寂しい気持ちを抱いたものの、これでゆっくり休憩ができると安心もした。
今になってノリヒロの「高田さん、一人暮らしって何かおっかねぐねえっすか?」という言葉が気に掛かる。
今の自分なら、もっと話を聞く時間を作っていただろうに。
生活が厳しかったため、余り心に余裕を持てない時期だった。
そこから数年のうちに人材派遣会社は次々と潰れていった。