倉庫街怪話 返事がない(大阪府) | コワイハナシ47

倉庫街怪話 返事がない(大阪府)

ようやく就職した仕事場で

ニートという言葉を忌み嫌い、脱フリーターをめざす二〇代の桂川君は、この春からようやく就職にこぎつけ、そして──研修期間を終えることなく、再びフリーター生活に戻ってしまった。

彼はやはり、世間一般が色眼鏡で見るように、社会適応に問題があるというのだろうか。真剣味が足りないとでもいうのだろうか。

だがしかし。彼に話を聞いてみると、もっと違うところに問題の根があったようなのだ。

深い──そして、得体の知れない根が。

彼が就職したのは、大阪にあるS──という巨大な物流基地の一角にある倉庫であった。一帯は倉庫街で、素人目には同じように見える建物が大小無数に並んでいる。どこからどこまでが一区切りであるのか……実際バイトの人間などは迷って別の事務所などに飛びこんでしまうことが珍しくないのだという。

桂川君の職場──仮にI倉庫のA棟としておこう──で、最初にやらされたのが検品業務だった。

I倉庫は主にアパレル関係の輸入企業と契約していて、毎日膨大な数の段ボール箱──カートンが、大型トラック等で運ばれてくる。

それらは海外で製造され、現地で、一応は中身の衣服類の枚数や色分け等が確認されていることになっている。カートンにも記載があるのだが、実際開けてみると枚数不足、色の偏りなど不備が多いのが実情である。入れられている袋もたいてい粗悪な代物だ。

そのため企業が取引先に発送をする前に、枚数をそろえ、色分けを正しくし、ときには、ぐちゃぐちゃになっている品物をたたみ直して日本製の上質な袋に入れ替え、新しいカートンにつめるという手間、いわゆるアソートが必要になってくる。

これが、すなわち検品作業というわけだ。

もちろん、一人や二人でできる作業では、ない。

仕事場には大勢のパートの女性たちが働いていた。まあ、ほとんどは中年以上であったけれど。

桂川君はといえば、もっぱらカートンを運んだり、再梱包をしたりという力仕事の分野だった。これは作業分担上、当然であったろう。

体の大きな、ベテランの男性従業員──桂川君は「先輩」と呼んでいたそうだが──とコンビを組み、フォークリフトによるカートンの移動や積載等、危険で専門技術のいる部分は「先輩」が行い、細かい荷分けその他が桂川君の手作業で行われた。

一口にカートンの移動、積載といっても、なまやさしいものでは、ない。

積み方にも法則というものがあって、下手をするとバランスを崩して、四方に壁になって並んでいるカートンの列が、雪崩れ落ちてくることだって、ある。

しょせんは紙製の段ボールの箱だと思って、なめてはいけない。

中身が衣服類でも相当数になれば重量は冗談ごとではなくなる。大きなものになれば、大の大人でも腰を痛めることがあるし、そもそも持ち上がらないほどのものだってあるのだ。

そのためにリフトを用いるわけだが、先に言ったように専門技術がなければ、とうてい扱えない。一つ間違うと大事な品物を傷つけて責任問題になりかねない。

かといって万一、身長よりもはるかに高いカートンの壁の下敷きになれば、冗談抜きで潰れたカエルの気分を味わうことになるだろう……。

安全第一。

誰もしゃべらない職場に響く音

最初の一週間は、覚えなければならないことと、肉体労働の疲労とで、文字どおり目がまわったらしい。

それでもようやく仕事に慣れはじめ、周囲のさまざまなことごとに少しは余裕をもって接することができるようになったのは、半月ほど経った頃だったろうか。

そうして……桂川君は気がついたのである。

A棟の雰囲気に、いや──倉庫内の「空気」に、なにか………………妙なものが潜んでいることに。

流れ作業を行っているパートの女性たちは、みな、無口であった。よくパートの現場で見られるような談笑や下ネタ中心の馬鹿話に興ずることは、一切、ない。ただもう、黙々と作業をこなしている。……本当に黙々と。

桂川君は最初のうち、それは倉庫側の方針で私語が厳禁されているからだろうと思っていた。なにしろ、彼女たちは遊びにきているわけでは、ない。お金のために働いているわけだから。

けれども、違ったのだ。

日が経つうちに、桂川君にもわかってきた。彼女たちは私語をしないのではなく、なにかに気をとられ──ひどい緊張のために、しゃべらないのだということが。

たまに用事で声をかけても、うわのそらで聞いている人間が何人も、いた。不真面目なのではない。ようやく振り向いた顔が、ひどく憔悴している……。

そうかと思うと、

ぎゃ~っ

と、作業中に突然、奇声をあげる者がいたりした。

この年配の女性は、次の日から仕事場にこなくなってしまった。

聞くところによると、この倉庫のパートの時給は、ほかの倉庫の類似の仕事にくらべて格段に割がいいらしい。しかし……。

(みんな、賃金がいいんで、我慢に我慢を重ねているって感じだな。緊張の糸がどうかなるくらいに。けど、いったい、なにをそんなに耐えているんだろう)

………………オーイ。

A棟には、広い中二階というべきスペースが設けられていた。

搬送されてきた荷物の多くは、まずコンベヤーでこの中二階に適当に積載されてから、フォークリフトで順次おろされ正確に区分されることになっていた。

その中二階。強固な金属製の「やぐら」から、ときおり物音がするのである。

作業音では、ない。金網のはられた通路を、

カンカンカンカン

と小走りに走る音。あるいは意味不明の話し声。

そうして、ときおり、

………………オーイ。

と、誰かが呼びかけているような声が、中二階の奥のほうから響いてくる。

最初は中二階にいる係員の誰かが用があって、下に向かって声をかけているのかと桂川君は聞き流していた。彼でなくてもそれが、常識的な判断というものだろう。そうではないか。

けれども足音がしたときも呼びかけられたときも、そんなときに限って中二階は無人なのだった。

………………オーイ。

呼ばれて反射的に返事をして、「やぐら」の横の鉄製の階段を昇って行っても誰もそこにはいない。

確かにカートンが乱雑におかれて、一階とは正反対に迷路のようになっている場所だ。人が隠れるところはいくらでも、ある。けれども、子供の鬼ごっこでもなし、大の大人が人を仕事中にわざわざ呼んで、ふざけて隠れるなどということがあるだろうか?

………………あるはずが、ない。

そうしてパートの女性たちは、物音がし、中二階から意味不明の声がするたびにビクッと体を震わせ、不安げに、きょろきょろとあたりを見まわすのであった。

(女性たちの緊張の原因は、どうやらアレらしい。でも、いったいアレは誰の声なんだ?誰が変な物音をたてたり、呼びかけているんだ?)

最初は空耳か、偶然の作業音とのんきにかまえていた桂川君であったが、しだいに──気味のよくないものを感じずには、いられなくなってきた。

カンカンカンカンカンッ!

……明らかに階段を昇る音。けれどもその主は、どこにも………………いない。

(いたずら?それにしたって仕事場だぞ、ここは。誰が、こんなに執拗で手のこんだことをするっていうんだ?そもそも、どうやって?)

先輩の様子も、おかしかった。明らかに、

………………オーイ。

という呼び声が聞こえているはずなのに、あからさまに無視をして別の作業の指示を出したりする。

それで──桂川君はある日、思いきって先輩である男性従業員にたずねてみた。ずいぶん年は離れてはいたが、先輩は温和な性格で、桂川君とは気心の知れた同士であったのだけれど。

「あの」

「なんだ?」

「よけいなことかもしれませんけれど。ときどき、上のカートン置き場から、こっちを呼ぶ声がしますよね。あと、通路を走りまわったりする音とか……。アレって、何なんですか?放っておいていいんですか?」

「………………」

先輩は、複雑な表情をした。

「……ン。アレ、な。……ン。放っておいていいよ。……ン。気にしないでいい」

「でも」

「仮に呼ばれても、応えなくていい。それからな。指示がない限り、あそこには、もう行くな。とくに一人のときは、だ。いいな。まわりに誰もいないときに、あそこに行くんじゃあ、ない。わかったな?」

たぶん、危険な、あそこ

桂川君は、先輩の言葉に反して、さっぱりわけが、わからなかった。

「ええ。その、そう言われれば、そのとおりにしますけど。でもなんでそんな──確かに未整理のカートンが山積みになっていて、危険なんでしょうけど」

「危険……」

先輩は、また複雑な表情をした。

「……ン。危険。危険か。……ああ、そうだ。たぶん、な。あそこは、な」

歯切れの悪い言い方であった。そうして先輩は、頭上を仰ぎ見た。……問題の中二階を。

先輩の不可解な態度と言葉が気になった桂川君であった。けれども仕事の忙しさが、それを上まわった。パートの女性たちに、ほりさげて話を聞く機会もなく、いつのまにか中二階の物音もほとんどしなくなった。

そうして、その日がきた。

なんでも検品ミスがあったとかで、帰り支度をしていた桂川君は急にA棟の作業場に引き返すことになった。外は曇天のうえ、風も出てきたようだ。建物のくもりガラスが陰鬱に屋内の明かりを反射している。

パートの女性たちはとっくに引き上げてしまっていた。ミスがあったというカートンの現物が届くのを桂川君たちは待っていたのだが、館内放送があって、先輩をはじめとする従業員たちは事務所のほうに呼ばれて出ていった。それっきり帰ってはこない。

気がつくと、がらんとした作業場のなかで、桂川君は一人きりになっていた。

むやみに広い倉庫。人気のない体育館のなかに、たった一人ぽつんといるみたいな気がした。なんだか、むしょうに──寂しい。停止したフォークリフトの放っている鈍い光まで寂しさを募らせる。

(何なんだ。この心細さは。くそ。いい年をして、なんだっていうんだ)

彼は、ふだんやれば大目玉を食うところだが、手近のカートンに腰をかけて先輩たちが戻ってくるのを、いまかいまかと待っていた。

そのときだ。

………………オーイ。こっちだ……

上のほうから声が、した。先輩の声が。

こっち……

顔をあげると、中二階に続く脇の階段の途中に先輩が立って、こちらに向かって手を振っている。

なんだか変な、手の振り方であった。

ゆっくりと──それはもう、ゆっくりと手が振られて……。

おかしいな、と桂川君も思わないではなかった。事務所に行ったはずなのに、いったい、いつのまに戻ってきて、あんなところに立っているのか。

けれども彼は、先輩の呼びかけに、反射的に応えて立ちあがっていた。

「なんですかあ?用事ですかあ?」

ところが、だ。

先輩はそれには応えずに、くるりと背を向けると、どんどん階段を昇って行くのである。桂川君は慌てて、その後を追って階段に駆け寄った。

(どうしたっていうんだろ。自分を呼んだんだから、用があるはずなのに)

頭の片隅に、いつか先輩の言った言葉が浮かんだ。

アタリニ誰モイナイトキハ、一人デ中二階ニアガッテハイケナイ。

それに、何度も聞いた、あの異音。……声。

気味のよくない………………声。

(そうはいっても、その当人が目の前にいるんだし。自分一人じゃないわけだし)

桂川君は、頭のどこかが発する警告のようなものを打ち消しながら、階段を昇り始めた。

カンカンカンカンカン!

なにを急いでいるのか、先輩は待ってはくれないようだ。ちいさな踊り場を曲がり、桂川君は息を切らせて、昇り続ける。

「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ。せっ、先輩。どうしたっていうんです……」

おかしい。

いくら早いといっても、足音の聞こえるこの距離で、相手に追いつけないというのは、どういうことだろう。

踊り場のところでも、チラッと後ろ姿が見えただけだ。階段はもうすぐ終わりだが、もう姿はそのあたりに見えない。

再び頭のなかで、もう一人の自分がささやくのだった。

「ついていくな」「いったらダメだ」「ついていっては、いけない……」

(なにをバカな)

またしても警告は無視された。そうして階段を昇りきった桂川君は、ようやく相手に追いついた。

「……お前も見たのか」

「ハアハアハア、ハア、ハア」

……二メートルほど先に、先輩がこちらに背を向けて立っている。

そこはちょうど、明かりの陰になっていた。先輩の姿が、もうろうとしているように見える。

暗闇に溶けこむように、じんわりと、人影がたたずんで……。

「──先輩?」

………………返事は、ない。

「先輩、ですよね。い、いやだなあ。冗談、やめてくださいよ」

………………返事は、ない。

桂川君の背中に、つう、と冷たい汗が流れ落ちた。冷たい、冷たい汗であった。目の前にいるのは──黒い、じんわりとした影は──これは本当に先輩なのだろうか。

もしも、そうではなかったら。そうでないとしたら。

「あ、あんた」

桂川君の声は、震えていた。体も。

「だっ──────誰だ?」

………………

がっ!

桂川君が肩を、ものすごい力でつかまれたのは、まさにその瞬間であった。

彼は、ヒーッと声にならない声をあげた。ちょうど、いつかパートの女性が発した奇声のような。

「オイ!桂川!なにしてるんだ!?」

振り向くと、そこに──先輩が、いた。たったいま、目の前でこちらに背を向けていたはずの先輩が、おそろしい顔をして。

(えっ。えっ?先輩?だって。先輩はいま、自分の前に。正面に?)

視線を元に戻す桂川君。けれども、人影がたたずんでいた場所には──そこには。

闇が、あるだけであった。人など、いない。どこにも………………いない。

それだけではなかった。

中二階にはところどころ、荷を大型リフトでおろすために、安全柵のない場所がある。

つまり、通路がとぎれて、そこから先は空中なのだが──そのとき、桂川君が立っていたのが、まさに、その通路の端であった。

もしも、後ろから肩をつかまれなかったら。

あのまま、人影に向かって、一歩か二歩踏み出していたなら。

彼は真っさかさまに転落していただろう。階下に、だ。いや、カートンの上ならまだいい。コンクリートの床や、フォークリフトの上に落下していたら。

……危機一髪であった。

桂川君は、幻の人影がいた場所を──そうだ。空中の闇を、うつろな目で見た。

(つまり、自分が先輩だと思っていた「あれ」は、宙に浮いていたことに、なる。空中に。でっ、できるはずが、ない。そんなこと──そんなことが。でも自分は確かに)

全身にぶわっ、と汗が吹き出てきた。

彼は、いまはもう、なにも見えない空中を指さし、それから先輩を指さして、口をぱくぱくと動かした。声が出なかった。息が苦しい……。

先輩は警戒するように、まわりの間を一巡してにらみつけるように見た。

それから一方の手で桂川君の肩を持ち、もう一方の手で慎重に通路の手すりを持ちながら、階段のほうに引き返した。そして、低い声で言った。

「……お前も見たのか。とにかく降りよう。ゆっくりと……な」

倉庫街の一角になにが…

びゅう。ひゅ───っ。ひゅうぅぅぅぅ!

外の風はひどくなっているようだ。初夏だというのに、うすら寒い事務所の片隅のソファーで、桂川君は自分の足が小刻みに震えていることに気がついた。

とめようと思っても、どうにも震えがとまらない。腰のあたりも力が入らなかった。

……無理もない。もう少しで奈落の底に落ちるところだったのだ。

事務所には何人も人がいたけれど、呼び出されたはずの連中の姿は、どこに行ったのか見当たらなかった。残っている事務員たちが、ちらりちらりと蒼白の桂川君のほうをときどき、見ている。

やがて先輩が湯気のたつ湯のみを二つ携えて、戻ってきた。そうしてソファーに座ると、例の複雑な表情をして──話し始めた。

……この倉庫のA棟には、ときおり、妙なことが起こる。どうしてかはわからない。本当に理由は見当もつかない。それでもふだんは、無視しても害のないものがほとんどだ。物音にしてもまったく聞こえないという者もいて、個人差がある。が……。

と、ここで先輩はいったん、言葉を切った。

「あの中二階にあたる荷物置き場、な。どういうわけか、あそこからいままで何人も転落しているんだ。いや、どういうわけか、なんて言葉でごまかしているよな。さっき、お前が体験したのと大同小異の状況でだ。みんな、なにかに遭って──そして……」

先輩はまた、言葉を切った。

「実を言うと、オレも一度、お前と同じ目に遭っているんだ。まあ、そのときは大事にはいたらなかった。だからこうして、いまもここで働いているわけだが。ただ、オレはそのとき、『あれ』の顔をチラリと見ちまった。……『あれ』は……あの顔は……」

………………「あの顔」。それはついに語られることはなかった。

「大怪我ですんだヤツもいたが、すまなかったヤツもいる。一応、転落事故ということにはなっているが──本当は違う。違うんだ。……ン。大きな声では言えないがな……」

びゅうぅぅぅぅ!

どこかから、隙間風が入ってくる。テーブルに置かれた湯のみは、とっくに冷えきってしまっていた……。

桂川君はこうして、研修期間を終える前に、その倉庫街を後にして、二度と近くには行ってはいない。

補充の人間は当然募集されているはずだが、その新人が先輩の言う個人差でいうと、どの程度「聞こえて」「見える」人間なのか。

倉庫街の一角に潜み棲むものと同じくらい、桂川君には知るよしもない。

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