憑いたよ…(大阪) | コワイハナシ47

憑いたよ…(大阪)

観光地で目にした奇怪な女性

大阪でもっとも大きな商店街の一角で、自営業を営んでいるT──さんの母親は六〇代半ばで、数年前に夫を病気で亡くしていたけれども、実に多趣味で活動的な人であった。

観光シーズンともなれば、友人たちと──あるいは一人で、あちこちへ赴き、日々を楽しんでいた。

その母親──仮にA子さんとしておこう──が、関西でも、もっとも有名な観光都市で夏に催される、大規模な祭りのメインイベントの前々日に一人で遊びに出かけたのだそうだ。

目抜き通りには、すでに祭りの用意が施され、人混みは、まったくはんぱではなかった。老若男女──その多くは浴衣姿であったが──で、ごったがえしていた。

A子さんは毎年、かかさずこの祭りを見るために友人たちとやってくる。だが、その年はどういうわけかほかの人は病気や用事でスケジュールが合わず、しかたなく一人でやってきたのであった。

連れがいれば楽しい観光地めぐりであるが、一人というのもそれはそれで、そぞろ歩きは面白いものである。

……そのはずであった。まったく、そのはずであったのだ。

A子さんは混雑する歩道の端に沿って並ぶ、土産物店をひやかしていた。

すると、だ。

どうも進行方向の歩道の前のほうが、様子がおかしいのである。

A子さんは、そちらをなにげなく見てみた。

一人の人物が──────前方から、やってくるところであった。

前にいる人々は、その人物がくると、

サッ。ササッ

と道を開けるのである。

それでなんだか様子が、おかしかったのだ。

それも無理はなかったろう。その人物の風体は、「悪目立ち」くらいでは言葉が足りなかったから。

年齢でいえば、A子さんとさほど違わない女性だ。

けれども髪をピンクに近い赤に染め、両側に地面につくほど長く垂らし、そして──ひときわ悪趣味なのが、身につけているものであった。

かんかん照りだというのにその女性は、目がどうかなるようなショッキングピンクの、これも異常に丈の長いレインコートをまとっていた。

普通の感覚では、とても着られそうにない色彩であった。まして年齢を考えれば。それなのに、その初老の女性はなにがうれしいのかニコニコと笑いながら、こちらにやってくる。

A子さんのいるほうに、だ。

……その足は素足だ。履物は、なにも履いてはいない……。

(なんて格好よ、あの人!)

A子さんは当惑すると同時に、それ以上の嫌悪感を抑えきれなかった。

(イヤだわ。どうかしてるんじゃない、あの、ピンクずくめの女。こっちに向かって歩いてくるけれど……かかわりあいにならないように、しなくちゃ)

A子さんのこの考え方を、一概に責めることはできないだろう。誰もが、この場合、大同小異の感想を抱くはずだ。

それでA子さんは、手近の店で足をとめ、人波に背を向けて、たいして興味のないものに見入っているフリをした。

そうして彼女が言うところのピンクずくめの女を、やりすごそうとしたのだ。

ところが。

時間から推して、

「もういいだろう」

と思ったA子さんの前に、ふわっと影が落ちた。

彼女の背後に、誰かが立ったのだ。

見ていた品物から顔をあげたA子さんは──ドキリとした。

それはそうだろう。

たったいま、かかわりあいになるまいと思った、まさにその当人が、彼女の後ろにいたのである。

そうして、例のニコニコ顔でA子さんのほうをじっ、と見つめているのだ。

「あ、あの」

生理的な嫌悪感を感じながらも、A子さんは持ち前の勝ち気さを発揮して、口を開いていた。

「あの、なにかご用かしら?」

すると、だ。

女は、ツ──ッと両手をのばすと、

トン

と、A子さんの肩に触れたのである。

「あなた……ついたわよ」

叩いたわけではない。殴ってきたわけでも、ない。痛みはなにも感じない。けれどもなぜか、A子さんは剝き出しの電線に触れたみたいなある種の衝撃を感じたという。

そして女は、キンキンした声で、こう言った。

「あなた………………ついたわよ……」

「えっ?」

女の、見ず知らずの者への無礼な行動。あるいは意味不明の言葉を問い質す間はなかった。

ピンクずくめの女はそのまま、スーッとA子さんから離れると、フラリフラリと人混みのなかを縫うようにして歩き、見えなくなってしまったからだ。

わけがわからないまま、A子さんはハンカチを取り出して、女が触れたあたりをしきりに拭うのだった。

(なに、いまの。ああ、気持ち悪い。同性とはいえ変な人にさわられて。それになにを言ったの、あの女。ついた?なんのことなのよ。まったく、ろくでもない……)

……世の中には、無数の奇人や変人が、いる。

さまざまな意味での「イタイ人間」「壊れた人間」も。

A子さんは運悪く、そのうちの一人に出会ってしまったのだと思った。

せっかくの楽しい観光地めぐりに汚点をつけられたような気がした。

それでもまだ、よしとしなければならないだろう。

なにしろ居酒屋で(駅で、雑踏で、通学路で、スーパーで)、隣にいる男が突然、なんの理由もなく刃物をふるうご時世なのだ。

そういった意味の、いわば最悪の「壊れた人間」よりは、はるかにマシであったのだとA子さんは自分に言い聞かせることにした。

そのとおり。

実害はなにもなかった。なかったのだから、時が経てばこんなことは忘れるに違いない。

………………それなのに。

「あの女のせいなんだよ、これは」

A子さんの様子がだんだんそれまでのものとは異なってきた、とTさんとその家族は言う。

たとえば彼女はふだん、Tさん夫婦と同居している家の二階にある和室で寝起きしている。もの静かな日常で、理想的な半隠居生活だと言えなくもない。

その和室の床の間には、若い頃の夫がどこかから買ってきた、飾りものの木彫りの人形が、おいてある。

A子さんはいつからか──後々考えると、それは例の観光都市に祭り見物に行って、しばらく経った頃らしいのだが──この人形が、夜の間に向きや位置が変わっていると訴えるのである。

一度など、睡眠中に人形が枕元まで、いきなり、

ごろごろごろごろ

と、転がってきて飛び起きたのだそうだ。

家族には、それがA子さんが夢を見たとしか解釈のしようがなかった。

現に、転がってきたと主張する人形は、ちゃんと床の間の台座の上にあるし、台座の上にはうっすらとホコリがたまってもいる。

もしもA子さんの言うように向きや位置が変わったとすれば、ホコリの上にくっきりと跡がつくはずだが、そんな痕跡はまったくうかがえない。

これらを理路整然と母親に説明したのだが、A子さんは釈然としない様子であった。

いずれにせよ、気味のよくない話には違いないし母親もイヤがるので、万事判断の速いTさんは問題の人形を処分してしまった。なに、古いというだけでたいして値打ちのある代物ではなかったそうだ。だからこその即断だったのだろうが。

それで問題は解決したかといえば──しなかったのである。

睡眠時に、なにかが自分に近づいてくる。A子さんは今度はそんなことを言い出した。近づいてきて、夢うつつの自分の布団のまわりを無言で、ゆっくりと、畳を舐めるように動いてまわるのだと。

人形の一件の次はコレかと、実のところTさんは疑いを強めていた。

A子さんは夫と死別したあとも気落ちすることもなく、いままでまったくその徴候は見えなかったのだが──最近の言動を見聞きする限り、認知症の初期症状ではないかとTさんは考えざるを得なかった。

誰かが勝手に自室に入って、私物の位置を変えたり盗んだと主張をする。

天井裏や押入れに、何者かが潜んでいると訴える。

夜中じゅう、まんじりともせず、あげくに侵入者がいると騒ぎたてる……。

これらは老人性認知症の症例の典型的なものである。

Tさんが疑いを強めたのも、無理のないところであったろう。

──が、当のA子さんは、かたくなに自分の病的な要素を否定する。その頃にはA子さんは、形相からして、まるで以前とは別人のようであった。頬は落ちくぼみ、体も痩せ、目をつりあげて怒ったように人と話すのだ。

……ほんの数ヵ月前までの、ふっくらとした体格や顔立ちはどこかへ消え、快活でユーモラスな性格も一変してしまっていた。

一度にひとまわりは老けこんだように見える。どこから見ても、老婆にしか見えない。

これが友人との旅行や観劇で、人生を十二分に楽しんでいた初老の女性と同一人物だとは。

そして、Tさん夫婦が自分を病人のように扱うたびに、それこそ鬼のような形相で、つぶやくようにして言うのだった。

「あんたたち。私がボケて、たわごとを言っていると思っているだろう。いーや、噓を言っても私にはわかるんだ。けどね。私はボケてるわけじゃあ、ない。頭だって、おかしいわけでもなんでもないんだ。あんたたちがどう思っていようが」

「そんな、お母さん……」

本心はともあれ、少しでも孝行心のある者なら、こんな場合、否定するしかないだろう。たとえ、重度の認知症の者ほど、その事実を認めたがらないにしても、だ。

「あの女だ……」

Tさん夫婦を前にして、A子さんは天井をにらみながら、言うのだった。

「あの女のせいだ。あの女のせいなんだよ、これは」

「あの女?」

Tさんは、母親の独り言に近い言葉に、思わずたずね返していた。

A子さんは、うなずいた。

「そうなんだよ。ほら、いつか話したろう。気色のわるいピンクの服を着て、私にさわって『ついた……』って言った女。やっとわかった。わかったよ。あいつだ。あいつが私になにか憑けたんだ。『ついた……』っていうのは、そういう意味だったんだよ」

A子さんは一人、何度もうなずくのだった。それから、それこそなにかにとり憑かれたような目つきであたりを見まわすのだった。

「そうなんだ。私にはなにか、憑いているんだよ……」

(こいつは、決定的だな。悠長に構えているわけにはいかない……)

……Tさん夫婦は顔を見合わせた。そしてこの件について相談をすることが多くなっていった。

扉を開けた仏壇のなかに…

Tさんには、ある分野の開業医の知人がいた。その知人を訪ねて、善後策を講じようとしている最中、それは起こった。

ある真夜中。

二階から、絶叫が響いてきたのだった。

寝入っていたTさん夫婦は、叩き起された。そして、寝間着をはだけて慌てて二階にあがり、そこで震えている母親を見た。

なにかから逃れるように、部屋の隅でちいさくなり、歯をかちかちと鳴らしている姿を。

「ぶっ、仏壇が」

A子さんによれば。

このところ、ろくに夜間に眠れなくなっていた彼女であった。それでもとろとろと浅い眠りに落ちかけたとき。床の間の横にある仏壇が、異音を発したのだという。

「………………」

A子さんは、電灯の豆電球の下で、目を開けた。

部屋のなかはほとんど真っ暗であったが、家具などの輪郭は見てとれる。

彼女は、音のした仏壇のほうに首を向けた。

すると。

扉を開けた仏壇のなかに、なにか………………いた。

そうして、それは、

ずる~~~~~~っ

と、A子さんのほうに胴をのばして──────這い出てきた……。

「はっ、放しておくれよ。放しておくれよう!」

……A子さんの興奮状態は、おさまらなかった。

仏壇はおろか、部屋のどこにもなにもいないとTさんがいくら言い聞かせても、まったく耳を貸そうとはしなかった。

年寄りの、どこにそんな力があるものか。

髪を振り乱し、目を血走らせたA子さんは、押さえつけようとするTさんをはねとばさんばかりの勢いで、暴れた。

そのあげくにA子さんは胸の痛みを訴え、救急車が呼ばれることになった。

Tさんは本意ではなかったが、しかたがない。

なんとか母親を階下に連れて行き、玄関に座らせた折りも折り。サイレンの音が遠く聞こえてきた。

やってきた救急隊員に家人が事情を説明している際、その隊員のうちの一人が、肩で息をしている興奮のおさまりきっていないA子さんに近づいてきた。

そして、

ぬうっ

と、A子さんの顔をのぞきこんだ。

「──ヒイッ!」

その隊員の顔は、まぎれもなく、あのショッキングピンクのレインコートを着た女のそれであった。まとった隊員服の下に、ピンクのレインコートが見え隠れしている……。

女はニヤニヤと笑いながら、張り裂けんばかりに目を見開いて、すくみあがっているA子さんに向かって言った。

「どう?………………楽しかった?」

ショッキングピンクのレインコートの女の実在を論じるのは、あまり意味のないことかもしれない。

すべては社会問題にもなっている、高齢化社会につきものの老人性の病のなせるわざであったと──そう言いきるのは、しごく簡単だ。

その進行にともなって、さまざまな典型的な症例があらわれてきたのだと。

得体の知れない陥穽。

すなわち、日常のはざまに、何者かによって設けられた「落とし穴」に落ちこんでしまった当人以外は、だ。

……真実がどうあれ、A子さんはいま、本人の意志にかかわらず、ある場所にいる。

期間は未定だ。

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